第12話 欲望に忠実な王女

 美波さんの今の背丈と、僕の中学時代の背丈が同じくらいだから合うのではないかと思ったが、良い感じに予想が的中していた。胸元あたりの膨らみが若干扇情的ではあるが、これくらいなら普段どおりでいられる。物持ちが良い母親には感謝しないとな。

 美波さんがしずしずとバスルームから出てくる。


「問おう」

「えっ」

「なぜあなたの私服を私に着させないのか」


 上目遣いの目には、なぜか批難めいた色があった。


「よく聞くじゃないですか。ワイシャツは鉄板として彼氏のTシャツを借りてワンピースみたいになっちゃうあれ」

「君は一体なにを言い出しているのか」

「私、彼女ですよね?」


 ムスッとしながら言われる。

 え? もしかして彼シャツじゃないこと怒ってる? 


「美波さんは彼シャツ着たかったの」

「あなたがどうしてもと言うのなら」

「じゃあいいです」

「待って。彼女に着てほしいと思うのが彼氏じゃないのですか」


 美波さんが珍しく声を荒げ、僕はびっくりしてしまった。

 なんでこんなにぷりぷりした態度なのか考えると、一つ思い当たることがあった。


(ははぁ、そうか。男がやりそうなことをしてこないから逆に不安に陥ってるパターンだな?)


 たとえばバレンタインデーのとき、くれるなら買ったチョコでいいよと彼氏が言うようなものに近い。

 彼氏は手間をかけさせたくない親切心で言ったのが、彼女にとっては期待されていないショックが悔しさへと変貌する、俗に言う気持ちのすれ違いというやつだ。彼氏彼女にありがちなやつだ。

 美波さんの場合も、受けるかどうかはともかく、言われて当然くらいには考えていたのがスルーされて彼女としての自尊心が傷つけられたのかもしれあい。

 だけどそれは誤解だ。チョコのことじゃないけど、僕には君への誠意しかない。

 すれ違いを解くため僕は真面目な顔を作る。

 

「それは、僕も男だからちょっとは考えたよ。でも君が嫌がる可能性もあるし、安心して過ごしてほしいから」

「? なぜ彼シャツだと安心じゃないんです?」


 ……ん? なんか噛み合ってないな。


「美波さんは嫌じゃないの?」

「特には。それに考えてみてください、あなたの匂いが染み付いたシャツに包まれていたほうが私は安心するに決まってるじゃないですか。安心させたいというならすぐに出してください。着替えますから」


 美波さんは胸元のファスナーに指をかけジイイと下げ始め「待て待て待て!」僕は慌ててその手を止める。


「早まるな! あとそれも匂いくらいついてるでしょ!」

「芳香剤と防臭剤の匂いだけでこーくん臭が薄い」

「くっ、タンスに閉まって着てなかったからか!」

「さぁ早く。禁断症状が出ますよ彼女が苦しんでもいいのですか」


 なにその脅し文句。

 しかし、そんなに僕の私服を着たいのか……ちょっと複雑だけど、嬉しくはある。これで合法的に彼シャツ姿が拝めるわけだし。

 逡巡したが、僕も男子の性には勝てなかった。

 

「……仕方ない、じゃあ上だけでも貸すよ」

「わ~い♪」

『持ち帰ってフリーザパック保存でくんかくんかし放題!』

「それが魂胆か!」

『しまったつい本音が……!』


 美波さんが慄いたようによろめく、かと思ったら理知的に目を光らせた。


「そうですがなにか」

「開き直るな。それに洗って返すって言ったよね」

「言葉のあやです」

「どんなあやだ! いいから洗って返すように」

『うわあああん! せっかくのチャンスだったのに!』


 心の中で叫んだ美波さんはよろよろと壁際にすがりつき、崩れ落ちる。しょんぼりという表現がよく似合うほど肩を落としていた。

 まったく、いやにしつこいなと思ったらこれだ。僕の服でお楽しみするのが目的だったとは油断も隙もない。


『こーくんのけち、ばかー』


 美波さんが拗ねたようにテレパスを送ってくる。幼女か。

 ……とはいえ、泣き出しそうに見えるくらい気落ちした姿は、ちょっと可哀想かも。

 僕の匂いにご執心なことも、その変態さに目をつむれば別に怒ることのほどでもない気がする。問題は無断だったことなわけで。


「そんなに僕の匂いのするもの欲しい?」

『欲しい』


 ぐりんと僕の方を向いた美波さんが即答する。

 ここまで真っ直ぐに言われるといっそ清々しい。


「なら最初から欲しいって言えばいいのに」

「くれるんですか!?」


 パァッと目を輝かせた美波さんが期待の眼差しを送ってくる。そういうのはもうちょっと違う話題で欲しかったなぁ。


「まぁ考えるだけは――」

「本当ですね絶対ですよ」


 立ち上がった美波さんがぐいと近づいてきた。雨に濡れたせいか美波さんの甘い香りも強調されていて色々とヤバい。ジャージ姿じゃなかったらどうなっていたことか。


『最初からこーくんに言えばよかったんですね。あやうく犯罪まがいのことをするところでした』

「罪悪感はあったんだね」

『しかしあなたの誘惑には勝てませんでした』

「まるで僕が誘ったみたいに言うのやめて」

『細かいことはいいじゃないですか。ひとまずこのままジャージはお借りします。いま私服を着てみたかったのですが、我慢します』


 彼女の言葉は、試しに袖を通してみたかった、くらいの軽い感じだ。

 この人は本当に服が欲しいという思惑以外のことは考えなかったのだろうか。


「ていうか、さ。彼シャツの格好はやっぱりまずいよ」

「さきほどから物騒な物言いですけど、彼シャツってそんなに悪いものでしたっけ?」

「悪いというか……ェロィ」


 控えめにそう言うと、美波さんが大きな目をぱちくりとさせた。


「エ……セクシーだとは思いますけど。こういうのですよね」


 美波さんはスマホを取り出してなにやら操作し、僕に画面を見せてくる。

 映し出されていたのは「彼シャツ特集」と書かれた女性向けのファッションサイトだった。そこにいるモデルさん達は確かに彼シャツを着ているが、しっかり着こなしている上にショートパンツも履いているので露出が低く、性的な印象が薄い。

 「彼シャツコーデ」とか書いてるし、むしろファッション感覚に近い。

 なるほど……美波さんに危機感が薄い理由がわかった。女性向けファッションサイトを参考にしていたらそれは男の僕が抱くイメージとは趣が異なるだろう。

 仕方ない。僕は自分のスマホを取り出し、彼シャツを検索する。


「彼シャツってどちらかというと、こういうイメージなんだけど」


 美波さんにスマホを見せる。男性向けの露骨な絵や写真が映し出された画面を見て美波さんが固まった。中にはもうほぼ裸に近い状況で男に抱きしめられているものもある。


『これ、ショーツ丸見えじゃないですか……なんだか、事後にとりあえず着てみた感が』

「そういうシチュエーション含めた行為へのイメージがあるのです。で、君が僕の服を着て過ごしてたら、僕はどう思うだろう」

『こーくんがその気に……あわわわわだめだめだめ今日はだめ下着可愛くない処理してないラーメン食べたばかりで口臭もまずい!』


 なにか美波さんの心の中が慌ただしくなる。ていうかいまの台詞聞いてよかったのか?


『えっえっ、つまり私の姿でお、おっきくなって我慢できなくて……ベットに座ってる私を、彼が優しく、ゆっくり抱きしめて倒れて、それで下の方に手があぁぁぁ……ありかも』


 彼女の熱を帯びた目線は、僕を捉えているようで別のところを漂っている。

 妄想が炸裂しているが、もしや丸聞こえなこと忘れてないか?

 ええと、これは、僕はどうすれば。


『そういう雰囲気になったらなったで別に、いい、けど……でも心の準備が。最初は痛いって言うし……う、うまく動けるかな。声とか変にならないかな。こーくんの裸みて鼻血出ないかな……そうかこーくんの裸! あっやだっそんなっどうしよう! こーくんの至る所を目に焼き付けたいのに電気は消したい! これがトレードオフというものです!?』


 言っている意味はよくわからないがとりあえず僕の限界がきた。

 僕はそっと両手で顔面を隠ししゃがみこむ。羞恥心といたたまれなさと興奮が混じって頭が沸騰しそうだよぉ。


『あれっ、こーく……!? きゃあああああああ! 待って待って待って!』


 美波さんの叫び声が脳内に響く。やはり、いま気付いたのか……。

 彼女はバタバタと暴れたかと思うと、僕と同じように顔を両手で隠してしゃがみこんだ。

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