第5話 王女と僕の思い出づくり
「あ~疲れた疲れた」
体育祭終わりの帰り道を歩きながら首を回す。久々の運動でくたくただった。
「明日は筋肉痛かな」
『もう、こーくんまだ高校生ですよ?』
僕の腕を抱きしめた美波さんから呆れ半分の声が聞こえてくる。
その美波さんの鼻頭が不自然なほど僕の肩に近かった。
『おじさん臭いこと言っちゃ駄目ですあっこーくん臭強めだ嬉しっ』
「帰宅部が長いからつい。早く風呂入りたいって気持ちの方が強くて」
『わかりますけど。私も汗を流したいですこの匂いが消える前に堪能しないとはすはす』
「受け答えするか妄想に浸るかどっちかにしろ!」
僕がツッコむと、美波さんは叱られた子のように首を竦める。
『だってつい本音が混ざっちゃうんですもん』
「受け答えは口ですればいいじゃん」
『これなら公衆の面前でも甘えられますもん』
「前から思ってたけど君だけそういうのズルい」
『そうでしょうか?』
「だって僕に対しては誰にもバレないで言いたい放題できる。こっちは恥ずかしくてそういうのできないのに」
『こーくんが私に甘えたいと!?』
瞳をキラキラさせた美波さんが腕から離れて興奮したようにぴょこぴょこ跳ねる。
『いつでもどうぞ! 私にどちゃくそ甘えてください! いいこいいこ!』
違う、そうじゃない。
僕としては公衆の面前で言いたいことを伝えられる状況が羨ましいのであって、別にどちゃくそ甘えたいわけではない。どちゃくそってなんだ。
『ずっと甘えてきてくれるこーくんを待っていたのです! 妄想でしか来てくれないんですから!』
それ来るって言い方で正しいのか?
なにやら美波さんの妙なスイッチを入れてしまった。どうやって落ち着けようか、少し考える。
「んー、じゃあ僕も匂い嗅ごう」
「えっ」
彼女の首筋に鼻を近づけると『ちょ、まっ!』美波さんがサッと回避した。
『それは駄目!』
「甘えていいって言ったじゃん」
『そういう甘え方ではなく! 今日は汗かいてます! 汗臭いです! 汗ふきシートで拭いたといっても限度があります!』
「君がそれ言う? 僕だってはすはすしたい」
『でも汗の匂いですよ!?』
「だからおまいう。それに美波さんのだったらたぶん、結構好き」
『あああああそれずるいどうしましょう萌えるでもやっぱり恥ずかしいですぅぅぅ!』
心中で叫びながら美波さんが逃げる。楽しくなった僕はそれを追い掛ける。
ギャーギャー言い合っているのだが、はたから見ると僕だけが喋って追いかけっこするという結構ヤバい光景が繰り広げられた。
じゃれ合いをひとしきり終えた僕らはぜーはーぜーはーと荒い息を吐きながらお互いに元のポジションに戻る。なにか急に冷静になった。ええと、元の話題なんだっけ……。
「さっきの話だけど、疲れたのは久々に全力出したってのも大きいかな」
『棒倒しのときの活躍ですね? あれは能力を使ったのですか』
「うん、そう。声の方向がわかればあとはタイミングで避けられる」
『納得です』頷いた美波さんだが、その話題で逆に神妙な顔つきになる。
『こう言ってはなんですが、私は気が気ではありませんでした……あなたが倒されたりしないか冷や冷やしっぱなしで』
そうだろうな、とは思っていた。
美波さんのこの過度な心配性は、タイムリープを繰り返すことで植え付けられたトラウマが原因だ。どれだけ大丈夫と思っても、安全な場所であっても、ちょっとした不調すら過敏に反応してしまう。
わかっていながら、僕は今日の参加に踏み切っていた。やはり後ろめたさはある。
『……どうしても、このままいくのですか』
美波さんが僕の腕を強く握る。不安な心境を隠し切れない様子だった。
『なにをしてもいいと思うんです。学校に行かなくてもいいし、一日中寝ていたり遊んでもいいし、どこか遠くに行ってもいい。私でよければどこまでもお供します』
「ありがとう。でも、決めたからさ。今まで通りで過ごすって」
『辛くは、寂しくはないのですか。学校という場所は、その、どうしてもこの先の話が出るから……そこで余計に孤独になるくらいだったら』
美波さんはそこで言葉を止めたが、彼女の気遣いはよくわかった。
僕に、一月二十五日から先の未来はない。
僅かに残された期間を律儀に学校に通う必要はない。本当の意味で皆と一緒の立場にないから、疎外感や虚しさを感じる瞬間も訪れる。
だったら自由にしたほうがいいという彼女の意見は、たぶん正しい。
でも、美波さんと何度も話し合って出した結論だ。
「言ったでしょ。僕は変える気はないよ。美波さんだって、僕が気づかなければいつも通りに過ごさせてたわけだし」
『……いえ、それは、あの』
しどろもどろな反応が返ってくる。今のはちょっと意地悪な言い方だったな。
「ごめん、分かってる。僕のために色々隠して、学校生活を楽しくしてくれてたんだよね」
美波さんが真相を隠していたのは、一つは僕の精神状態への影響を考慮して。
もう一つは、僕の希望を叶えるためだった。
あなたの寿命はあと少しです、だから今を精一杯生きましょう――そんなことを言われて平然としていられる人間はいない。多かれ少なかれ動揺し、日常生活に支障をきたす。
今の僕が身持ちを崩さずにいられるのは、彼女の心の声で先んじて気づくという段階を踏んでいたことが大きい。それもなく急に告げられたらきっとパニックに陥っていた。
そうは言っても、死ぬことがわかってから生まれる願望というのも、きっとある。先がないなら一度は外国に行ってみたいとか、大金を使ってみたいとか。
それらの願いは、真実を伝えないままでいれば叶えるチャンスも来ない。
気になった僕は、最後までの過ごし方をどうするつもりだったのか美波さんに聞いてみた。すると随分と納得のいく返答があった。
『確かに私は、あなたがいつも通りに過ごしたいという希望を知っていました。ですから、幸せな日常を送れるように苦心してきたつもりです』
長い睫毛を伏せながら、美波さんは以前の返事をなぞる。
何度ものタイムリープの中で追い詰められた彼女は、ものの弾みのように僕に聞いてしまったそうだ。
もしこの先に死ぬとしたらどういう風に過ごしたいか、と。
僕はといえば、問いに対し
――いつも通り学校に通って美波さんと過ごして、たまにデートして幸せを味わって……それから死にたいな。
と答えたという。
我ながらぶれないなと、聞いたときは笑ってしまったものだ。
やってみたいこともあるにはあるが、そもそも体質的に無理なことが多い。美波さんを僕の都合で連れ回すのも悪いから、普通の生活の中で彼女との濃密な時間を過ごしたいと考えてしまう。
何より僕は、皆の記憶の中に残りたい。
生徒会に、そして美波さんの中に、僕という人間が居たことを残したい。
皆と最後まで楽しい記憶を共有して、居なくなったあとでもたまにでいいから、思い返してもらいたい。
それが切実な想いだ。
美波さんは、そんな僕の願いを叶えるため一年前にタイムリープした。
真相を隠し、人生最後の輝かしい時間を刻みつけるために奔走してくれた。
生徒会に誘ったことも、夏休み中に毎日訪れたことも、全て僕の願いを実践することが目的だった。
『でも私は、これでいいのか、迷いがあります。あなたにはずっと幸せな気持ちで居て欲しい。怯えながら過ごして欲しくない。それが、私の心からの願いです』
迷子になったように、哀愁を滲ませた瞳だった。
あの日以来、美波さんは稀にこういう感情を表に出すようになった。いつもは笑わない王女の異名の如く振る舞うし、なにが変わったわけでもない。
だけど僕の前では、コップの水が溢れてこぼれるように繊細な一面を覗かせる。
おそらく美波さんも、限界が来ている。
葛藤はあった。これ以上心配をかけないように家に閉じこもって、美波さんとだけ会うほうがいいかも、と。
でも。
「……ごめんよ。最後に、僕のワガママを聞いて欲しい」
彼女の手に自分の手を絡める。秋風のせいか、美波さんの手は冷たい。
「僕は、いつも通りでいたいんだ」
たとえ美波さんに負担をかけてしまうとしても、残りの数ヶ月の、あとほんの少しの時間だけでも、生徒会の一人として存在していたい。
僕は美波さんの作った生徒会が好きだ。生徒会長である美波さんが好きだ。
そんな美波さんを、間近で見ていたい。
「だから、言ってよ。棒倒しのとき、格好良かったねって」
僕の強がりに、美波さんは眉根を寄せ、うつむいた。
手を繋ぐのとは反対の腕で、ごしごしと目元をこする。
『――はい、それはもう! 惚れ直しました、こーくん』
振り絞るような声と共に、美波さんが僕の手を握り返す。
そうして僕は、彼女との思い出を作るため、日々を過ごしていく。
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