第4話 田中巡査の拳銃


「……魔法が使えた。やっぱりあの夢は現実だった…… ? 」。


 目の前に巨大な氷塊。


 そして見渡す限り、木や地面に霜がついている。


 火を起こす道具もグリーンドラゴンのせいで壊れてしまったため、ダメ元で火魔法を使ってみると、大爆発がおきた。


 その余波で周囲の木も燃え始めたので、咄嗟に氷魔法を使って、今に至る。


 真夏の昼間に、喉が渇いて渇いて、どうしようもないのに、一滴の水すらない、そんな渇望。


 その水がチェリーにとっては魔法だった。


 職業「賢者」であれば、ほとんどの種類の魔法が習得できるはずなのに、彼女は魔法が使えなかった。


 それがようやく、ようやく満たされたというのに、彼女の心はその重みで暗く、沈んでいた。


「夢の中のあの不気味な老婆が私の母で、父は巨人族だって言うの ? それに人間を殺せだなんて……。確かに私は、ほんのちょっとだけ他の女の子よりも身長が高いけど……」。


 二メートルほどの身体が、膝を抱えてうずくまり、なんだかとても小さく見える。


「……封印する期間が長ければ長いほど、それが解かれた時には強力な魔法を使えるようになる封印魔法、か……。まさか身体には影響はないよね ? これ以上大きくなんてならないよね ? ……巨人族は数十メートルの身長だって言うけど、そんなの、人間じゃなくて化け物じゃない…… ! 」。


 抱えた膝に、顔をうずめる。


「……ダメだ。何か楽しいことを考えよう。そうだ。もしあの夢が本当なら、封印魔法の解除方法は想いを込めたキスだって言ってたっけ。やっぱりコウが回復薬を口移しで飲ませてくれたんだろうな。『オレ オマエ ナオシタ』って言ってたし。救命のためでも、初めて男の人とキスしちゃった……」。


 そっと唇に触れて、顔が朱に染まった。


「それに、初めて男の人からプレゼントもらっちゃった……」。


 チェリーは自分自身の身体を抱きしめるように、身に纏った真新しい白いローブを抱きしめる。


 岩のような顔が、やっと、ほころんだ。


「とにかく、早くご飯を用意してあげなきゃ ! 」。


 彼女が少し軽くなった気分でもって、重たい身体を立ち上げた時、声がした。


 全く聞きたくない声。


 一時間ほど前に、転ばされた彼女から遠ざかっていった声だ。


「なんかこの辺、寒くないか ? さっきすごい音もしたしよぉ ! 」。


「いいから早くチェリーの背負ってた背負子しょいこを探せよ ! あれには大事な道具も入ってたんだからな ! それにドラゴンが満腹になって寝てるかもしれないぜ。そしたら倒しちまおうぜ ! 」。


「バカ ! 寝ててもグリーンドラゴンがお前ごときにやられるかよ ! 」。


 ガサガサと茂みをかき分けて、三人の男達が現れた。


 皆、汚らしく伸びた髭をそのままにして、泥まみれの服の上に色の落ちた革製の防具を身に着けている。


 典型的な金のない冒険者の出で立ちだった。


「お、おい ! グリーンドラゴンが死んでるぞ ! それにチェリーじゃねえか !? 生きてたのか ! 良かったなぁ ! 」。


 驚く冒険者達。


「……何が、良かったなぁ、よ ! 私を転ばせて、おとりにして自分達だけドラゴンから逃げたくせに ! 」。


「細けえことはいいじゃねえか。どうせ荷物持ちポーターなんて、モンスターの前では囮くらいにしかならねえんだしよぉ。でもドラゴンがどうして死んでるんだ ? 他のモンスターにでもやられたのか ? まあいいや。解体して売れる部分を持って帰るぞ ! 」。


 まるで悪びれもせずに、男達はドラゴンの死体へと近づいて行く。


「触らないで ! そいつは私が倒したんだから、私の物よ ! 」。


 殺されかけて、なんとか殺した獲物を何もしていない男達に持っていかれるわけには行かなかった。


 なにより、その肉を命の恩人に振舞わなければならないのに。


「なーに言ってやがる ! ドラゴンの首を折るなんて巨人族みたいな化け物じゃないとできねえよ ! お前みたいな荷物持ちポーターが殺せるわけねえだろ ? 」。


 ビクリ、とチェリーの肩が震えた。


「で、でも……」。


「うるせえ !!!!!!!!!!」。


 リーダー格の男が一喝すると、大きくチェリーの身体が震え、動きが止まった。


「……う……あ……」。


「ガタガタ言ってねえで、さっさとお前も手伝え !!!!!!!!!!」。


 チェリーを育てたのは偏屈な魔法使いの老人だった。


 なぜ血のつながっていないその老人に育てられたのかは、わからない。


 そのことを尋ねても、返ってくるのは怒声と杖の一撃だった。


 普段から自らの手間をはぶくために、言って聞かせることなどせず、大きな声に頼っていた老人が、どれだけ教えてもまるで魔法を使えない少女に優しくする道理はなかった。

 彼女の職業が「賢者」でなければ話は別だったかもしれないし、それでもその老人は怒鳴ってばかりだったかもしれない。


 ともかく彼女は大きな声に弱くなった。


 すぐに委縮して動けなくなってしまうのだ。


 それは老人が死んでも、大きすぎる負の遺産として今も彼女を苦しめている。


 その住まいや魔法書やお金、魔法具などの財産は全てどこからかやってきた息子が持って行って、彼女には何も残さなかったのに。


 そしてそのことを知っている人間は、大声で怒鳴って彼女を支配するのだ。


 今の男のように。


「チッ ! デカい体で震えやがって !! 」。


 汚い色のついた唾が、チェリーのローブに吐きかけられた。


 さっきコウからプレゼントされて、彼女の宝物となったばかりのローブだ。


「……」。


 うつむくチェリー。


 身体の奥から、何か冷たくて熱いものが湧いてくる。


 憎しみだ。


 そしてあの夢の中の声が再び聞こえて来た。


 殺せ、殺せ、殺せ、と。


 何かに突き動かされるように、顔を上げた時、彼女より二回りほど小さな震える背中が見えた。


「なんだぁ、お前は ? 」。


「……俺はこいつの知りあ……いや、友達だな。友達だ ! 」。


 コウだ。


 彼は続ける。


「いいか、お前ら ! 悪いことは言わないから、さっさとこの場から立ち去れ ! 」。


「はぁ ? 何言ってるんだ ? 」。


「死にたいのか ? お前達のために言ってるんだぞ ! 」。


「なんだと !? てめえこそ死にてえのか !? 」。


 突然現れたどう見ても強そうに見えない男が、震えながらもどういうわけかまるで強者のようなセリフを吐く。


 そこには決定的な認識のズレがあった。


「コウ、ひょっとしてこいつらはたまたまチェリーと揉めて引けなくなったんじゃなくて、彼女の強さをまるで把握せずに意図的にからんでいるのでは ? 」。


 装備者であるコウにだけ聞こえる声で、知能を持つウエストバッグが言う。


「なんだと…… ? 」。


 コウからすれば、親切心から警告していただけだった。


 彼にとって冒険者達は、転校初日にトーストをくわえながら走って登校中、曲がり角を曲がると、そこにいたヒグマとぶつかってしまい、逃げるに逃げられなくなっている学生のように見えた。


 そんな彼らに逃げるキッカケを与えるための言動だった。


「それじゃあ、今の俺の行動はこいつらにとって……」。


「急に現れた弱そうな奴がイキリ倒して喧嘩を売ってる、と思われているでしょうね」。


 コウは青ざめる。


 相手は、刃渡り6センチを超える刃物を護身用に所持していれば、逆に銃刀法違反で逮捕される危機を招く日本では見たことの無いような剣を持ち歩いているのだ。


「てめえ ! 何ぶつぶつ言ってやがる !! いまさら怖気おじけづいたか !? 」。


 すらり、と男達が剣を抜いた。


 手入れはされていないが、防具もつけていない人間を殺すには十分だ。


「おい ! なんか武器はないのか !? ポケット ! 」。


 腹部のウエストバッグ、知能を持つアイテムボックスに切迫した表情で問いかけるコウ。


「だからメンテナンス中だと……いえ、あれがありました。アイテムナンバー番外『田中巡査部長の拳銃』です」。


「お前どれだけ田中家に迷惑かけてんだよ !! 」。


 怒鳴りながら、ウエストバッグに突っ込んだ手を引き抜くと、黒いL字型の金属が握られていた。


 コウは拳銃を男達に向けて構えた。


「なんだぁそれは ? なんかのアイテムか ? 」。


 争いごとはあっても、拳銃はない世界。


 男達は訝しげにコウを睨みつける。


(ゲームセンターでガンシューティングをやったことはあるけど、もちろん実物を撃ったことはない。確か結構反動があるんだよな。でも人に撃っていいのか…… ? 死ぬよな ? )。


「あいつらのステータスを『鑑定』しましたが、防具の上に当てれば死ぬことはありませんよ」。


 そんなコウの葛藤を見抜いたかのように、ポケットは言った。


「わかった ! 死ね ! 」。


 パァン !


「ぐおっ !! 」。


 後ろへ吹き飛ぶリーダー格の男。


「てめえ !! 兄貴に何しやがっ…… ! 」。


 パァン !


「ぎゃっ !! 」。


「このやろ」。


 パァン !


「ヒッ !! 」。


「こんな」。


 パァン !


「もう」


 パァン !


「ゆ」


 パァン !



「……躊躇ちゅうちょなく撃ちましたね。『死ね ! 』とか言ってましたし……」。


「死なないとわかっているからこそ『死ね』と言えるんだ。わかんねえかな。この感覚。本当は好きじゃない相手には簡単に好きって言えちゃうような……」。


「そんな歪んだセンチメンタルな感覚は理解不能ですし、したくもありませんね」。


 コウはポケットと軽口を交わしながら、逃げていく三人の背中を眺めていた。


 この場において、三つの認識のズレがあった。


 冒険者達にとっては、チェリーとは大きな声で命令すれば、なんでも言うことを聞く見掛け倒しの荷物持ちポーターである、という勘違い。


 本当は彼らなど、素手で引きちぎったり、一瞬で焼け焦げた骨にできるのに。


 コウにとっては、チェリーとは恐ろしい戦闘能力を持つ絶対に機嫌を損ねてはならない相手であり、その彼女から通りすがりの冒険者を守らなければならない、という勘違い。


 本当は命の恩人で好意の対象であるコウが、彼女に何をしても許してしまうだろうし、冒険者達は自分からチェリーにからんでいくという自殺行為をしたのに。


 そしてチェリーにとっては、自分よりもはるかに弱いコウが恐怖に震えながらも彼女のために勇気を振り絞って、彼女を庇い、その憎らしい敵を追い払ってくれた、という勘違い。


 本当はチェリーに対して震えていたし、冒険者達の方を守ろうとしただけなのに。


「ポケット、なんか洗濯できるアイテムはないのか ? 」。


「ありますよ。アイテムナンバー014『洗濯の杖コインランドリー』です。これは先端から発する青い光を対象に当てると、すぐに綺麗になります。服も、それを着ている人間もまるごと清潔になる潔癖症垂涎すいぜんのアイテムです。その代償として八百円分の魔力をいただくこととなりますが」。


「八百円分 ? 」。


「だいたい一般人が一時間で回復する魔力分です」。


「時給みたいだな……。コインランドリーとしては割高だが、仕方ないか」。


 コウは先端に蒼い宝石のついた短い杖をチェリーに向ける。


 蒼い光が放出され、ローブに付いた汚れは跡形もなく消え、チェリー自身もまるで入浴後のような爽快感に包まれた。


「よし ! これで綺麗になった ! 」。


 そう言って、コウはチェリーに笑いかけた。


 素敵な笑顔だった。


 かつてコウは「その無駄に爽やかな笑顔を誰にでも振りまくな。きっといつか悲劇が起きる。私のように……」と同級生の男子をストーキングした上に交際を迫り、断られると刃物を持ち出して補導されたことがある姉に忠告されたことがあった。


 その忠告は、無駄になった。


 どこか陶酔したようにコウを見つめるチェリー。


「……コウ。彼女との距離には気を付けるように言いましたよね。多分今は『抱きしめ殺されルート』に入ってます」。


 装着者であるコウにしか聞こえない声で、ポケットは言った。


「なんでだよ !? やっぱり『友達』じゃなくて『知り合い』って言った方が良かったのか !? 」。


「そういう問題ではありません」。


 コウは天を仰いだ。


 文明の明かりがその美しさを弱めることのない、異世界の綺麗な星々が彼を見下ろしていた。

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