第24話 モンスター図鑑


「コウ、装備を整えたの ? ポケットさんも黒くなってる……」。


 昨日までの日本の量販店謹製きんせいのシャツとズボンから、いかにもファンタジックな格好となっているコウ。


「ああ、いろいろあってな……。ポケットはまた沈黙モードになってるんだ」。


 そう言って彼は漆黒に堕ちたウエストバッグ型のアイテムボックスを軽く叩いた。


 それは表向きには「知能を持つアイテムインテリジェンス」としているが、実際は四月の女神がしろとして宿っているのだ。


 そして今、その中では彼女が「ゲーム」を勝ち抜くためのアイテムを創造していた。


 「愛」と「創造」の女神、エイプリルは奇跡としか思えないような効能を発揮するアイテムを創造することが出来る。


 しかし無から生み出せるわけではない。


 様々な素材から創り出すのだ。


 昨晩、自らの神域からストックしていた希少な材料をアイテムボックスの中に持ち帰った彼女は創作活動にいそしんでいた。


 彼女自身が禁忌タブーとしていた他者の生命を奪うためのアイテムを大量に生み出すため。


 よってよっぽど緊急のことがない限り、全てを「ゲーム」の「代理人」であり、彼女の「ヒモ」であるコウに任せることにしたのである。


 それは別に彼の能力を信頼したためではない。


 日本で言えば、独身女性が男に預金通帳と銀行印、おまけに家の権利証まで渡して、「彼が投資で何倍にも増やせるのに、元金がないって言うから貸してあげたの ! 」と、のたまい親族がショック死しそうな行為。


 愛を履き違えたダメな女の行いだった。


 ただ、この場合は男の側に全く悪意がないどころか、無理やり押しつけられた財産をうまく運用して増やさなければ自らも破産するどころか命を取り立てられるという恐ろしい状況であったが。



 コウは冒険者ギルド二階の資料室のドアを開けて入室する。


 その後からチェリーが、ぶつけないように頭を下げて入ってきた。


 資料室は古い小学校の図書館、といった感じで低い本棚に古びた本が並ぶ。


 どうやら無人のようで、自分で目的の資料を探さなければならないようだ。


「チェリー、モンスター図鑑みたいなのってあるか ? 」。


「あるよ。ちょっと待ってね」。


 チェリーは迷うことなく、本棚の一角へと歩く。


 いつか冒険の旅に出たいと思っていた彼女は、資料室にある他国についての本や、他の種族についての本を読んで、空想の旅によく出発していた。


 そのためどの冒険者よりもこの資料室に詳しかった。


 そんな彼女が片手に抱えてきたのは、常人ならば両手でなければ持てないほど大きくて赤い革で装丁された本だった。


 彼女はそれを質素なテーブルの上に置いた。


 コウは礼を言って、それを開く。


 この星の絵師が描いたモンスターが本の中でその威容を示していた。


 文字はどういう理屈かわからないが、日本人であるコウにも問題なく読める。


 ページを開く度、思わず手を止めてしまいそうになるが、好奇心を押し殺して、目的のモンスターを探す。


「……あった」。


 コウが開いたページを後ろからチェリーも覗き込む。


大軍アリマサント ? そんなの調べてどうするの ? 」。


「近くの森の中で倒れていた少年が『大軍アリマサント……』ってずっとうわ言のように呟いてたんだ。気になるだろ ? 」。


 コウはページを読む。


 赤黒い身体に、大きなあごを持つ狂暴そうなアリとそれより一回り小さい深紅のアリの挿絵。


 その下にはサイズが記されている。


「体長約一メートルか……。メスの方が小さい……。オス十万匹に対してメス一匹の割合……」。


 コウは図鑑の説明を読み進めていく。


 それは説明と観察手記が交じったようなものだった。


 ……ドラゴンの死体から肉を齧り取り、列をなして巣へと運ぶ大軍アリマサントの後をつけて、ようやく巣を発見。


 その入口は直径三メートルほどの地面に空いた穴だ。


 入口周辺は数十匹のオスがまるで見張りのようにうろついている。


 活動が鈍くなる夜を待って、同行してくれた冒険者二人と巣に侵入。


 最奥の女王アリがいると思われる場所まで行きたかったが、断念。


 その代わりメスと思われる個体を確保。


 それを成果にして帰ることとする。


 しかしそれからが大変であった。


 数万匹の大軍アリマサントがまるで隊列を組んだように整然と我々の後は追いかけてきたのだ。


 一匹一匹は大したことがなくても、それらが万匹となると話は別だ。


 倒しても倒してもキリがない。


 同行した冒険者二人は確保したメスを捨てろというが、冗談ではない。


 途中、大軍アリマサントは我々を追うより、行き当たったモンスターや動物を捕食することを優先していた。


 時には樹上の猿までも、幹を登って捕食していた。


 それでもあっという間に骨だけになっていたので、ほんの少しの時間稼ぎにしかならなかったが。


 ようやく渡河地点までたどり着き、川幅二十メートルほどの深い川を船で渡った。


 すると大軍アリマサントは次々と川へ身を躍らせ、流れていった。


 下流は大軍アリマサントの死骸の山で大変なこととなるかもしれないが、こちらも余裕がなかったのだ。


 ご容赦願いたい。


 その身投げを見物しながら、ようやく一息ついて弁当を食べる。


 冒険者二人は呆れ顔だが、食事はとれる時にとっておかねばならない。


 しかし食後の水を飲んでいる時、異変が起こった。


 身投げする大軍アリマサントがいなくなって全滅したかと思ったが、そうではなかった。


 密林の奥から一匹の巨大アリギガントが出現した。


 体高は二十メートルほど。


 体長は比率から考えて恐らく六十メートルほどではないか。


 その時点で冒険者の内の一人が私を抱え、一人がメスの入った籠を対岸へ放り投げて、私の意志に反して退却した。


 それ以降、アリが我々を追跡してくることはなかった。


 どうやってか奴らは巣から離れたメスの居場所を特定して、追ってくるようだ。


 次はオスを確保して同じ行動をとるかを確認するとともに、突如出現した巨大アリギガントがどこから湧いて出たのかも観察したい。



「……著者バート・マンスフィールド卿か……身近にいたら迷惑そうな奴だな」。


「初版が百年以上前の本だから、その心配はないよ」。


 呆れ顔のコウに、チェリーが軽く笑う。


「もし……この大軍アリマサントが街に来たらどうなると思う ? 」。


「……この街の警備兵と冒険者が総出で当たっても守りきるのは難しいと思う。そもそもこの街の冒険者は最高でもC級だしね」。


「そうか……もし誰かがこの街に大軍アリマサントのメスを持ち込んだとしたら、そいつを見つけて大軍アリマサントに返すしか方法はないか……」。


「でもどうやってメスのアリを見つけるの ? 」。


「それは……」。


 言いよどむコウ。


「心配しすぎよ。そんなこと起こらないわ」。


 コウの隣で、チェリーは笑った。




 フェックション !


 ある一定以上の年齢の男性特有である異様に大きな音量のクシャミが響き渡った。


「うわ ! 汚ねえ ! 他人にむけて唾をとばすんじゃねえよ ! オッサン ! 」。


「しょうがないじゃろ。また誰かがワシの素晴らしい著作を褒め称えておるのじゃから」。


 悪びれもせずに、癖であろうか立派な白い口ひげを指でいじる男性。


 がっしりとした体形。


 背はそれほど高くない。


 まるで貴族のような豪奢な服をお召しになっている。


「……全く……。それにしてもまだ始まらないのかよ ? 」。


 傍らの濃い茶色のローブを着用し、深くフードをかぶった人物は、目の前の草原とその先の街を見やる。


「若い者はせっかちでいかん。あと数時間で始まるぞ。ククク……楽しみじゃのう」。


 人の悪そうな笑みだ。


「……老後の楽しみがあるのは結構だが、本来の目的も忘れんなよ」。


 溜息まじりに、男を諫めるローブの人物。


 二人は街の南、森へとつながる広い草原の端に陣取っていた。


 これから始まる惨劇を見物するためではなく、ある目的のために。


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