第25話 女の決断



 冒険者ギルド資料室。


 コウは開いたままの大軍アリマサントのページを眺めながら、あることを思いつく。


(……もし街にこのアリ共が来たら、警備兵や冒険者はみんなこの対処に当たって街中で何かが起きても対応できないんじゃないか……。その間は泥棒に入れる…… ? それなら…… ! )。


「とりあえずタオさんの所へ行って相談するか……」。


 そうひとちてコウは分厚い本を閉じた。


「タオさんって誰 ? 」。


 怪訝そうな顔のチェリー。


(……これから俺がしようとしているのは妖精族のための行いだ……。巻き込むわけにはいかないよな……)。


「……チェリーに言わなきゃならないことがあるんだ」。


 改まった表情と声でまっすぐにチェリーを見つめるコウ。


 チェリーは思わず息をのむ。


「ラナ、出てきてくれ」。


 その声にこたえて彼の深い緑色の外套がいとうのフードから妖精がふわりと飛びあがる。


 小さな白銀の鎧に全身を包んだ妖精が羽ばたいて空中に浮かんでいた。


 その鎧はピッタリと身体に張り付くような形状で、滑らかだった。


 妖精のはねのために背中は大きく開いている。


 小さな兜の下には若草色の髪と美しい容貌。


 戦乙女いくさおとめが平和な資料室に似合わない威厳を放っていた。


 目を見開いて驚きを表すチェリー。


「見ての通りなんだが……実は……」。


 ここに至る経緯を説明しようとするコウを大きな手が押しとどめた。


「……言わなくていいのよ。全て理解したから……」。


「マジで !? いくらなんでも早すぎるだろ ! 」。


 驚愕するコウを哀しげな瞳で見つめるチェリー。


「……もう引き返せないの ? 」。


「あ、ああ」。


(こいつ…… ! 本当に理解してるっぽい…… ! 「賢者」なのは伊達だてじゃないってことか)。


「そんなに人間がイヤだっていうの ? 」。


「イヤってわけじゃない。俺だって人間だし……。でも俺の望みを叶えるにはこうするしかないんだ」。


「そう……」。


(納得した……。なんでコウが何回も同じテントで寝泊まりしていたのに私やベッティに手を出さなかったのかを……。でもきっと私に振り向かせてみせる…… ! それが私の戦い ! )。


「そういうわけだから……これから先は俺と一緒に行動しない方がいい。チェリーまで俺の仲間だと思われちゃうからな……」。


「何言ってるの。自慢できることじゃないけど、私は人から酷い扱いを受けることには慣れてるから大丈夫 ! だから私を置いて行かないで……もう二度と…… ! 」。


(……考え様によっては、悪い状況じゃない…… ! 他の人間の女には興味を持たないし……女の方がコウに興味を持っても、このことを知ればすぐに逃げていく…… ! )。


「そうか…… ! 正直心細かったんだ……。でもチェリーが一緒に来てくれるなら助かるよ ! 」。


 コウが見せたのは安堵の笑顔だった。


 その表情は何故か、彼女の背筋にゾクゾクとするものを駆けあがらせた。


「だ、大丈夫よ ! 私は絶対にあなたを見捨てないから ! 」。


 そう言って、チェリーはぎこちなく、彼の肩に大きな手を置く。


 ほんと、ありがとな、とコウはその手の上に自分の手を重ねた。


(それにしても……コウが噂で良く聞く妖精しか愛せない歪んだ性癖の持ち主だったなんて……)。


 ラナは自分を見下ろすチェリーの視線に不審な顔。


(この妙に上から目線のデカい女…… ! 絶対に何か勘違いしてる…… ! )。



 領主代官の館。


「……この街に向かっているのは確実なのか ? 」。


 重厚だが飾り気のない机に肘をついて、手を顔の前に組み、鋭い目つきで短髪の若い男が問う。


「あ、えっと……その……」。


 問われた少年はその迫力に委縮してしまう。


「確実かどうかはわかりませんが、可能性は高いでしょう。進んでいるルートもこの街に向かってますし、大軍アリマサントが巣から離れたメスを追跡する習性を利用するため、誰かが街にメスアリを持ち込んだことも考えられます」。


 見かねた隣のスキンヘッドの大男が助け舟を出した。


 この街の冒険者ギルド長、ベンだ。


「この街に……。一体何のために ? 」。


(全く……。今は理由なんてどうでもいいだろうに……)。


 ベンは舌打ちを我慢して、有能そうな風貌と雰囲気の代官の後ろに立っているメイド服の少女に目をやる。


「代官様、まず街に向かってくると仮定して対策を考えましょう。まず大きく二つの対処法があります。迎え撃つか、逃げるか、です。そして私は逃げた方がいいと考えます」。


 ベンの意図をくみ取ったのか、少女は代官に提案した。


「何故だ ? 」。


「単純に万を超える大軍アリマサントに対処する戦力が足りません。領主様の援軍を待つにしても、奴らは壁を簡単に登ってきますから、籠城自体意味がありません。それよりも住民総出で逃げ出して、もし大軍アリマサントがこの街に留まるようなら、領主様の軍と城下の冒険者の力で殲滅すればいいですし、どこかへ行ってしまえば、また戻ればいいでしょう」。


大軍アリマサントが逃げる我らを追ってきたら ? 」。


「その場合でも領主様の城下への途中にある川を渡って橋を落とせば逃げきれます。ここから十キロほどですから」。


 そう言いながらも、少女は恐らく大軍アリマサントは追跡してこないと思っていた。


「……それから、冒険者で目端めはしく者を避難する住民に紛れ込ませておくべきです。もし大軍アリマサントをこの街に差し向けた者がいるとしたら、そいつの目的は街が混乱している内に何かを仕出かすことかもしれませんから。そいつを押さえれば、メスアリの確保までたどり着けるかもしれません」。


「……わかった。今すぐこの街の住民は領主様の城下へと避難開始。警備兵は住民の避難誘導と大軍アリマサントの足止めに加えて進攻ルート上にある村から逃げて来た者がいれば、その保護を。冒険者ギルドは戦闘向きの冒険者は警備兵と足止めに。諜報向きの者は不審者の捜索に……」。


 疑問さえ解決すれば決断の早い領主代官、クレメント・アルクインが広い石造りの部屋の隅に待機している警備兵に指示を飛ばし始め、ベンと大軍アリマサントに遭遇した少年が胸を撫で下ろそうとした時、金切り声が響いた。



 街 城門外。



 コウが住宅街の古びた家の扉を叩くと、確認されることもなくすぐに開いた。


「タオさん。朝からすまない」。


「いえ我が同志、コウさんなら大歓迎ですよ」。


 家の中の小太りの男性は少しも迷惑そうな素振りも見せなかったが、コウの後ろに控える大柄すぎる女性を見て、怪訝な顔となる。


「……こちらの女性は…… ? 」。


「『賢者』のチェリーだ。俺が一番頼りにしてる奴だから、大丈夫」。


 コウが微笑みながら、チェリーに振り向いた。


 再び、何かがゾクリと彼女の背中を走る。


「は、はじめまして ! 」。


「よろしくお願いします。『魔法使い』のタオと申します」。


 タオは丁寧に頭を下げた。


(コウの同志…… ? 確かに妖精のことが好きそうな人ね)。


 と少しばかり失礼な感想を持ちつつ、チェリーはコウの後に続いて、扉をくぐる。


「コウ ! ラナ ! 」。


 真っ赤な髪の妖精が、すぐに飛んできた。


「サラ ! 」。


 それをコウの外套のフードから飛び出したラナが迎え、二人は空中で手を取り合い、なにやら話してから、手を握り合ったままコウのフードの中へと入っていく。


「そのフード、どうなっているんですか ? 」。


 タオが全く膨らみもしないフードを見て、不思議そうに聞いた。


「どうやらフードの中の空間が拡張されて妖精達用の部屋になっているらしいんだ。さすが妖精を眷属とする四月の女神様が用意してくれたアイテムなだけはあるな」。


 コウは軽く肩をすくめて、続ける。


「それで今日はタオさんに相談があってきたんだ」。


 そして彼はまずタオに大軍アリマサントがこの街に迫っている可能性があることを告げた。


「……大軍アリマサントですか。それが本当なら早く川の向こうへ避難しなければなりませんね」。


「街の皆がそうしようとしたら、大混乱になるよな ? ……その時に何人かだけでもこの街の人間のペットになっている妖精を解放できないかと思うんだが……」。


 それを聞いて驚いたのはチェリーだ。


「火事場泥棒をやろうっていうの !? いくら妖精が好きでも、それはマズイわ ! 」。


 タオも少しだけ驚いた様子。


「……いいんですか ? 見つかればもうこの街にいられませんよ」。


 そして諦めたようなコウ。


「いいんだ。どうせ『ゲーム』……いや『百年戦争』が始まる前に街を出て妖精の国へ行くつもりだったからな。四月の女神の『代理人』として」。


「……行き掛けの駄賃ですか。でもコウさん、果たして妖精族でもない転移者のあなたがそこまで背負わねばならないんですか ? 人間を敵に回して、妖精族を救うために戦うなんて……。本来は妖精族自身が……そして四月の女神様が先頭に立ってやらねばならないことです」。


 タオの言っていることは正論だった。


 本来ならば妖精族から「ゲーム」の「代理人」を立てて、四月の女神エイプリルがその指揮をとらねばならない状況だ。


 しかし彼女はアイテムの創造以外の全てをコウへ託した。


 それは無意識の逃避だった。


 妖精族をまとめるならば、どうしてもその現状と向き合わなければならない。


 彼女はそれから逃げたのだ。


 ただただ憎しみに任せてアイテムを創造していれば、それ以外に何も考えずにすむから。


 コウはタオの問いには答えなかった。


 そして話の展開に全くついていけていないが、「賢者」らしく全てを理解している風を装うチェリー。


(な、なんでコウが「百年戦争」の四月の女神様の「代理人」なの !? ひょっとして資料室で言おうとしてたのは、妖精愛好者ってことじゃなくてこの事 !? ど、どうすればいいの !? 人間を敵に回して勝てるわけないじゃない !! )。


「……チェリー。今ならまだ抜けることができるぞ」。


 その内心を知ってか、知らずか、コウは引き留めるでもなく、優しく言った。


 チェリーはその笑顔を見て、また震えた。


 そのわずかにすがるような瞳が、彼女に、彼女の戦い・・・・・の勝利を予感させたからだ。


「……いいのよ。あなたに救われた命だもの。あなたに預けるわ……。でも責任はとってね」。


 何かを選ぶということは、それ以外のものを捨てるということだ。


 彼女は今、覚悟をもって、選択した。


 穏やかな笑みなのに、それを向けられたコウは何か気圧けおされたように息をのむ。


「……コウさん、これを」。


 タオが一枚の大きな紙を差し出した。


 この街の地図だ。


 そして数か所、赤い印がつけてある。


「私とサラがいつか救い出そうと思って、コツコツと調べてきた妖精達の居場所です。……現在いまの人間は何かおかしい。あまりに他の種族に対して無慈悲です」。


 コウが礼を言おうとした時、玄関の扉が激しくノックされた。


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