第26話 二人の選択



「タオ ! 居てくれてよかった ! 」。


 開いた扉の前にいたのは、若い剣士風の男だった。


 黒い金属製の胸当て鎧で、腰から長い剣を下げている。


「一体何事ですか ? 」。


 顔見知りらしいその男に、タオが対応する。


「冒険者ギルドからこの街の全冒険者に向けて強制クエストが発令されたんだ ! 今は皆で、知ってる冒険者の家を訪ね回ってるところだ。とにかく戦闘準備を整えて街の南の草原にすぐに集まれってよ ! 」。


 それだけ興奮気味に言うと、男は足早に去っていった。


 おそらくまだ回らねばならない冒険者の家があるのだろう。


「……まさか大軍アリマサントを迎え撃つつもりなの…… ? 」。


 そのやり取りを聞いていたチェリーが呆れたように呟いた。


「……恐らく住民が避難するまでの時間稼ぎだと思いますが……そうでないならただの玉砕ですね」。


 タオは難しい顔でその呟きにこたえる。


 この街で活動している冒険者は百五十名ほど。


 警備兵は五百名ほど。


 教会の僧侶は二十名ほど。


 そして教会には「聖女」がいた。


 それでも何万匹もいる大軍アリマサントに対抗できるとはとても思えない。


 一匹一匹が大したことはないと言っても、低級冒険者や警備兵の剣の一振りで殺せるわけではないのだ。


 一匹を殺す間に、他のアリが足に取り付いたらもうその人間は倒されて、さらに別のアリが覆いかぶさってくる。


 この人数で対処できるはずもなかった。


 しかし半公的機関であるギルドからの「強制クエスト」から逃げ出せば、手配されて処刑される。


 その「職業」を授けられた者は義務を負い、それを果たさないなら死して恩寵を十月の女神に返還せよ、という教会の教えのためだ。


「……サラちゃん」。


「なあに ? 」。


 タオの呼び声に応えて、コウのフードからようやく真っ赤な髪で、豪奢なドレスを纏った小さな妖精が飛び出してきた。


「今からコウさんと妖精達を助けに行くんだ。そして仲間達を解放した後はそのままコウさんと一緒に妖精の国へ……」。


「もちろんそうするつもりだけど……あんたも一緒に行ってくれるんでしょ ? 」。


 少しだけ眉をしかめて、サラはタオに確認する。


 当然のことを。


 念のために。


「私は……行けない」。


「な、なんで ! どうして !? 」。


 感情の高ぶりに反応してか、サラの身体を炎が包み込む。


 精霊魔法 ? とチェリーの驚いた声が聞こえた。


「私は冒険者として『魔法使い』としての義務を果たさなければならない。それに私にも冒険者仲間がいる。彼らを見捨てて自分だけで逃げるわけにはいかないよ」。


 穏やかだけど、強い声だった。


「そんな……考え直して…… ! お願い ! 私はあんたに命を救われた ! それに…… ! それから…… ! 私はあんたと離れたくないの ! 」。


 泣きじゃくる涙は、すぐに身に纏う炎で蒸発するのに、それでも止まることはなかった。


「大丈夫だよ。お互い生き延びていれば、またいつか会える。だからサラちゃんはコウさんと行くんだ。それにこの街にいる間、サラちゃんはほとんどこの古びた家から出ることが出来なかった。それは本来お花畑や森をどこまでも風と一緒に自由に飛び回る妖精の生き方じゃない」。


 とても優しい声だった。


「でも…… ! でも…… ! それでも……私は…… ! 」。


「サラ……。今は行きましょう。大丈夫 ! 四月の女神様が『主神』になれば対等に人間族と付き合えるようになるわ……。だからまずはそのために行動しましょう」。


 いつの間にかサラの隣に浮かんでいたラナが励ますように言った。


「ラナさんの言う通りだよ。サラちゃん。お互いやるべきことをやるんだ」。


 種族を捨てて、タオの側に居続けるか、種族の尊厳を取り戻すための戦いに身を投じるか、二つに一つ。


 そして、サラは選択した。


「……わかった。私はコウと一緒に行く。だけど二つだけ約束して…… ! 一年後まで生き延びることと、その時も変わらずに独り身であること…… ! 」。


「……一つ目のはともかく、二つ目のは簡単に守れる自信があるよ」。


「そうでしょ ? だから一つ目だけを必死で守ってくれたらいいわ」。


 そう言って、二人は泣きながら、笑い合った。


 この街に来てから、時折タオがサラを森に連れて行ってくれたけれど、二人の世界はこの古びた一軒の借家だった。


 そしてその世界は、今日消えてしまう。


 でもそれは終焉しゅうえんではない。


 いつかまた二人が再会すれば、再び世界は創造される。


 二人の想いが消えてさえいなければ。


 サラは懐かしむように、惜しむようにゆっくりと室内を見渡し、それからゆっくりとタオの顔へ向かって飛んでいく。


 まだ朝日と言っていい陽光が、明かり取りの窓からスポットライトのように二人を照らして、その影が一つにつながった。


 ラナは頬を染めて、チェリーは何か背徳的なものを見るような顔。


 やがて再び影が二つに分かれて、サラはコウ達の方へ飛んでくる。


「……コウさん、サラちゃんのことをよろしくお願いします」。


 タオはどこか申し訳なさそうに、頭を下げた。


 結局の所、四月の女神の「代理人」となったコウに背負ってもらうしかないのだ。


 サラの命を、未来を。


「……ああ、任せてくれ」。


 コウは自分に言い聞かせるように、言った。




 城壁外に広がる街のさらに外、草原に多数の冒険者と警備兵が集結していた。


 サイズの合わなくなった、かつて愛用の装備を身に纏った受付のおばちゃんの姿までもがあった。


(チェリーちゃんとあの男はいないみたいだね。魔法の使えない「賢者」と「ヒモ」なんていう職業の男がいてもいなくても何も変わりはしない。……せめてどこかで幸せに暮らすんだよ)。


 周りの見知った冒険者達の顔を見渡して、おばちゃんは溜息を吐いた。


 自らの家族にはこっそりと事情を話して、すでにこの街を避難させてある。


 その代わり、かつてB級冒険者であった自分は大軍アリマサントの迎撃に当たる。


 これがおばちゃんに可能な精一杯であった。


 なにせ、この迎撃命令は「聖女」直々に下されたものなのだ。


 誰も逆らうことはできない。


 人間族の国は首都の「王族」の権力が強大であるが、地方の「貴族」にもそれなりの権限が与えられていた。


 この国の「王族」や「貴族」は生まれ持った「職業」である。


 「王族」同士から生まれた子は職業鑑定で「王族」と出るし、「貴族」も同じだ。


 そして「王族」と「貴族」の間に生まれる子は運次第だが、大抵「王族」だった。


 しかしその職業の「スキル」は何もない。


 ただ王権神授であることを証明するだけだ。


 十月の女神から支配者であることを認められた一族であるというだけだ。


 それはこの星の人間において絶対に革命で覆すことのできない支配者のあかしであり、それによって人間族は不満はあっても上手く治められていた。


 これは女神側にとっても、ただ呼称を与えるだけの恩寵に使うコストは低く、その割に人間族がまとまるのだから、都合の良いことであった。


 しかし万が一、支配者達が自らの欲にとらわれて暴走しだした時は、それを女神の託宣によって戒める者がいた。


 それが職業「聖女」であった。


 彼女の言葉は十月の女神様の言葉。


 よって今、街の教会で祈りを捧げ、数時間前にこの街の教会を汚らわしい虫共に蹂躙させることを許さなかった「聖女」の言葉に逆らえる者は誰もいなかったのだ。


 ふと、警備兵に指示を出す警備長とその後ろに立つ領主代官の姿がおばちゃんの目に入った。


 傍らにはいつもはメイド服を着ている彼の腹違いで「貴族」の職業を持たずに生まれて来た妹が、似合わない革製の鎧を着て控えていた。


 住民自らが教会を守るために、一人一匹でもアリを殺すのだ、と避難命令を出すことすら許されなかったが、街の外で戦闘になれば自然と皆逃げ出すであろう。


 誘導もなにもないのだから、とんでもないパニックになり、そのせいで生まれる被害もあるだろうが。


(……変わった領主代官様だ。自分だけは安全な場所にいればいいのに)。


 おばちゃんは、好意的な目で彼を見やる。


 有能ではないし、変わり者だが、「貴族」ではない彼の妹の影響か、悪い人間ではなかったし、この街の住民にも優しかった。


 いざという時は「聖女」の命令に背いてでも退却命令を出すために、この場にいるのだろう。


「……おばちゃん ! 最初にド派手な奴を頼むぜ ! 街の中まで響き渡るようなのをな ! 」。


 ギルド長のベンが、筋骨隆々な身体に、鋼鉄製の重そうな鎧を纏い、片手に大きなハルバードを持ち、片頬を上げて言った。


 すでに不穏な空気は街の中にも漂い始めている。


 良くも悪くも、呪文の爆発音がきっかけとなるであろう。


「まかせときな ! 」。


 そう言って、おばちゃんはゴツゴツとした木の杖を振ってみせた。


 体力の衰えから第一線を退いて受付嬢となったが、魔力はまだまだ衰えてはいない。


 やがて、少しずつ空気が震え始めた。


 大量の何かが迫ってくる圧が、警備兵達と冒険者達の下腹に響き、年若い者の顔はさらに青褪める。


 街の前の広い草原が森に変わる所に、ひょっこりと一匹の赤黒いアリの姿が見えた。


 大きさは図鑑の通りかどうかは遠すぎてわからない。


 そして続々と森の中から出てくる赤黒い色。


 それは草原に氾濫した川の水のように広がっていく。


「……なんて……数……」。


 そう絶望とともに吐き出したまだ若い警備兵の呟きは、大きな爆発音にかき消された。

 こうして彼らと大軍アリマサントにとって無益な殺し合いが始まった。


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