第27話 開戦


 上空からみれば、砂時計の砂がくびれたオリフィスに向かって収束していくように、赤黒い大軍アリマサント共は人間達に向かっていった。


 時折、爆発が起こるたびに数十匹の大軍アリマサントが吹き飛び、隊列に大穴が空くが、すぐにそれは何事もなかったかのように後続のアリ達で埋まる。


 そして来てほしくもないのに、待ち構えている人間達の元へと、赤黒い暴流は迫っていく。


 その互いの距離が十メートルを切った時、大軍アリマサントの行く手を炎の壁が遮った。


 高さは二メートルほどの炎の壁が轟轟と地面から吹き出し、長さは数十メートルに渡っている。


「高さは必要ないよ ! もう少し低くして、その分維持することに集中するんだ ! 」。


「はい ! 」。


「おう ! 」。


 いくつかの声と共に、炎の壁が低くなる。


 「魔法使い」五名が並び、それぞれ杖を両手で持ち、地面に刺して防御魔法ファイヤーウォールを共同で発動させたのだ。


 単独の「魔法使い」が発動するそれとは、高さも長さも維持できる時間も段違いである「共同魔法ジョイント」が人間の強みの一つであった。


 けて火に入るアリ達は、次々とそのすさまじい火力に焼かれていく。


 だがその先陣をきった焼死骸しょうしがいが焼き尽くされる前に、それによって少しだけ噴出が弱まった炎の壁を抜けてくるアリがいた。


 仲間の死骸を防火マットの如くに踏みしめて。


「来たぞ ! 」。


 冒険者ギルドの長であるベンが、鈍く光るハルバードの斧部分ではなく、先端に飛び出した槍のような刃で壁を越えたアリを一息つかせることもなく突き刺した。


「いいか ! 絶対に『魔法使い』達に触れさせるんじゃねえぞ ! 」。


 応、という声と共に警備兵の槍や冒険者の剣で貫かれ、切られていく大軍アリマサント


 進路上にあれば大河にでも迂回することなく飛び込む大軍アリマサントの習性は炎の壁を前にしても変わりはしなかった。


 数人で一匹のアリに対応できるため、青褪めていた若い警備兵達の動きも次第に良くなってくる。


 魔法で防御壁を作り、その魔力の供給源である「魔法使い」達を守りながら、壁を抜けてくるモンスターを迎撃するという集団で襲ってくるモンスターに対する基本的な戦術の一つが、この圧倒的な数の差を前にしても機能していた。


 アリ共の蟻酸が蒸発する酸っぱい臭いと、肉の焦げる臭い。


 そんな異様な空気の中、人間達は殺戮に酔っていく。


 酔わねば恐怖に食い殺される。


 酔いはすぐに醒めるであろうけれども。



 街。城壁外。


 草原から大きな爆発音が聞こえた。


「……始まったか」。


 それを合図に、コウとチェリーは古びた一軒家を飛び出し、駆けだした。


 少しずつ速くなっていく城壁に開いた城門へと向かう人波とは逆の方へ。


 そして辿り着いた目的地には、人の気配はなかった。


「まさかもう避難したのか ? それらしい奴とは出くわさなかったが……」。


 首をひねるコウ。


「……いいえ、きっと家の中で息を潜めてるのよ。……嵐が過ぎ去るのを待つみたいに」。


 すぐ隣に浮かぶ小さな妖精が眉をしかめた。


 彼女にとって全くいい思い出のない場所。


 土妖精ノームの居住地であった。


 現在大軍アリマサントととの激しい戦闘が行われている草原と街の境目。


 数軒の粗末な木製の家が建っていて、その内の一軒は昨日ラナが起こした竜巻によって破壊されたままだ。


「……今呼び出してみるから」。


 そう言うとラナは声を風にのせて家々に届ける。


 やがて薄い扉が開いて、のろのろと土妖精ノーム達が姿を現した。


 明るい太陽の下、彼らはボロボロで汚れた服で、元は綺麗な金髪であった髪は薄汚れて茶色く見える。


 そして瞳は終電で帰宅する疲れ切った会社員よりも、死んでいた。


(まるで枯れ木だ。これは……期待しない方が良いかもしれない)。


 コウの心中を知ってか、知らずか、土妖精ノーム達は囁き合う。


「……人間じゃないか。本当にあれが『御使みつかい』様…… ? 」。


「いや、この崇高な気配は……確かに四月の女神様としか思えない……。風妖精シルフ火妖精サラマンダーも従えているし……」。


「……なんで今更……。百年前に四月の女神様がいなくなったせいで……俺たちは……」。


 二十人に満たない身長一メートルほどの土妖精ノーム達。


 後ろの方には両手をあまり清潔ではない布で巻かれたアゼルが、同じ年ごろの女の子の土妖精ノームに寄り添われて、うつむいていた。


 その前にはアゼルの父と妹。


 昨晩の竜巻によるケガはタオがかけてくれた回復魔法で治療済みであった。


「……俺は四月の女神エイプリル様の『御使い』、コウだ……」。


 本当はエイプリルの「ヒモ」であることを隠して、「百年戦争」への勧誘が始まった。


「……無理だ……人間に逆らうなんて……おとなしく従っていれば、殺されはしないのに……」。


 土妖精ノームの誰かの絞り出すような呟きが全てであった。


 ペットとして扱われる風妖精シルフ達のような小型の妖精と違い、土妖精ノーム達は奴隷として使われていた。


 よって遊び半分で殺されることもなく、人間の命令さえ聞いていれば、最々低限には生きていけたのだ。


 コウは無言で土妖精ノーム達を見渡す。


 皆、うつむいたままだ。


(仕方ないか……。本命のペットにされてる妖精達の方へ行こう)。


 コウがきびすを返しかけた時、思ってもみない者の声が響いた。


「……あんた達、本当に今のままでいいの ? 」。


 チェリーだった。


 大きな身体を仁王立ちにして、土妖精ノーム達に語りかける。


「私が読んだ本には、土妖精ノームっていうのは畑を耕して野菜を作ったり、花を育てたり、大地と交わるのを無上の喜びとする種族だって書いてあった。……今のあんた達は下水道の掃除やゴミ拾いに、モンスターの死体の処理なんてやらされて……このままでいいの ? 」。


「……それでも、死ぬよりはマシだ……。生きていける……」。


 また土妖精ノームの誰かが呟いた。


「そんなのは……便利に利用するために人間に『生かされている』だけよ。自分の力で、自分達の幸せのために生きているんじゃない ! 」。


 ピシャリと言い放つチェリー。


 どちらかというと引っ込み思案な彼女であったが、どうしても我慢できなかった。


 彼らの卑屈な顔が、自分に重なって。


「いい ? 一つ教えて上げる。人間には、ううん妖精だってそう。自分が自分らしく生きられる居場所を得るために、絶対に退いちゃダメな時があるの。だから私はコウと一緒に戦うと決めた。……あんた達にとっても、それは今なんじゃないの !? 」。


 その言葉には、塵の一欠片ひとかけら程の嘘や偽りもなかった。


 そして、一人だけ顔を上げた者がいた。


「……僕、戦います」。


 アゼルだった。


「バカ !! 何言ってるんだ !! 」。


 すかさず、彼の父親が怒鳴り散らす。


「……僕が……人間と正々堂々と戦わなかったから、勘違いして『御使い』様を傷つけてしまった…… ! それから…… !! 父さんのひどい命令に言われるままで……戦わなかったから……同胞の妖精を傷つけた…… ! もうそんなの嫌なんだよ !! 顔色を窺って、それに従って、誰かを傷つけるのは !! 」。


「うるせえ !! 」。


 いつものようにこぶしが彼の頬を打った。


 だが、彼はいつものように下を向かなかった。


 真っすぐ、前を見て、コウへ向かって歩き始める。


 父親はそんな息子に、再び拳を振るう。


 それでもアゼルは止まらない。


 どこか気圧けおされたように、思わず一歩引いた父親の足が、地面の窪みにとられて、お尻をついて転んだ。


 それを一顧いっこだにせず、アゼルは前に進む。


 そしてコウの前にたどり着いた彼は、ひざまずいた。


「『御使い』様、昨日は本当にすみませんでした。ラナも……本当にごめん……。どうか……僕を妖精族のための戦いに加えてください。それは僕の戦いなんです。僕が僕らしく生きるための…… ! 」。


 すがるような声だった。


「ラナ」。


 コウの呼びかけは確認だった。


 それにこたえて、ラナはアゼルの上で小さく一回りする。


 するとその軌跡が光の輪となり、ゆっくりとアゼルに降りていった。


 それはまるで天使の輪っかのよう。


 光の輪が彼に触れると同時に、殴られて腫れた顔が癒えていく。


 ラナが自らを傷つけたアゼルを仲間に受け入れても良い、と行動で示したのだ。


 コウはおもむろに黒いウエストバッグ型のアイテムボックスから「洗濯の杖コインランドリー」を取り出す。


 魔力を込めれば、先端の青い魔石から放たれる光があらゆる汚れを落とす生活アイテムだ。


 その清浄な光が、アゼルに注がれる。


 くすんだ金色の髪は輝き、薄汚れた服は破れ以外はろしてのように綺麗になった。


 四月の女神の「御使い」の正装である樹木のような色合いの服を纏ったコウによる儀式が始まる。


 その日常とあまりにかけ離れた神聖と言っていい空気に周囲の土妖精ノーム達は息を呑んだ。


「……なんじ土妖精ノームの子、アゼルを愛と創造を司る四月の女神エイプリル様の使徒と認め、エイプリル様に代わって『御使い』たるコウが『恩寵おんちょう』を授ける」。


 仰々ぎょうぎょうしく台詞を言い終わると、またしてもウエストバッグ型のアイテムボックスから、今度は小さな杯を取り出した。


 アイテムナンバー032『妖精達の狂宴フェアリーズ・カップ』だ。


 これは空の小さなカップに魔力を注ぐと、花蜜が湧き出るアイテムだが、「御使い」か女神の「ヒモ」が使えば、「恩寵」を与えるアイテムとなる。


「……杯を空けよ」。


 うやうやしく両手で小さな杯を差し出されて、アゼルはそれを振るえる両手で受け取り、一気に傾けた。


 とてつもなく濃厚な花蜜の甘味が広がる。


 だが少量のはずなのに、なかなか飲み下せない。


 時間をかけて、なんとかそれを身体が受け入れた。


「……満たされたか ? 」。


「……はい」。


 アゼルの身体の中を今まではなかった経路が出来上がり、それを通して、大地とつながった。


「賜った『恩寵』を示すのだ」。


 そのコウの声に従って、地面に両手を付けて、誰もいない地面に向けて攻撃の意志を伝えるアゼル。


 そしてその結果に周囲はどよめく。


「経験を積めば積むほど、『恩寵』は鍛えられていく。アゼル、汝を我らの仲間と認めよう。共に妖精族のために戦おう」。


 そう言って、コウは土妖精ノーム用の小さな茶色い外套がいとうを羽織らせてやる。


 アゼルは笑った。


 大地とつながり、そして共に戦う仲間とつながれたことが、無性にうれしかったのだ。


 そんなアゼルとコウを少しだけ複雑そうな目で見つめるラナ。


(……私の時はこんなちゃんとした儀式としてやるどころか、お腹が空いてるだろうから飲めって感じだったのに……)。


 その心を見透かしたように笑う隣に浮かぶサラ。


 「恩寵」を授けるのに儀式めいたことは何も必要なかった。


 だけど、これから死ぬ可能性の高い戦いに身を投じる者への手向たむけとしては必要なことであったし、それに感じ入る者もいるのだ。


「わ、私も、私も戦います ! どうか『恩寵』を授けてください !! 」。


 ちょっと前までアゼルの隣にいて、今は後ろから彼の背中を見ていた少女が、まず声をあげた。


 コウは目を閉じて、小さな杯を持つ。


 瞼の裏には「494/500」の文字があった。



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