第28話 テロリスト
「
身体に満ちた魔素がスキルの発動とともに、運動エネルギーへと変換されていく。
跳び上がった黒い胸当て鎧に短い金髪の青年は五メートルの高度から、一気に剣を振り下ろし、着地する。
さくり、とまるで何の抵抗もないように剣は着地地点にいた体長一メートルほどの大きさの
「……アリ一匹に随分な大盤振る舞いだな」。
銀色の髪を後ろに撫でつけた大柄で不愛想な顔の男が、槍で
「しょうがねえだろ ! こいつら話に聞くより固いんだしよ ! お前だってタオに強化魔法をかけてもらってるじゃねえか ! 」。
すかさず言い返す青年。
「一回きりのスキルと、五分は効果の続く強化魔法とだったら、どちらのコストパフォーマンスが高いかくらいわかるだろう ? 」。
そう言って、二匹、三匹と立て続けにアリの頭を貫く槍の男。
「うるせえ ! 」。
青年は剣を振りかぶり、目の前のアリに振り下ろす。
ガキンと金属同士が衝突したような音がして、剣はアリの頭の半ばほどで止まった。
それを引き抜こうとする間に、脇からもう一匹が
「ウォオオ !? 」。
迫りくるアリの頭から突如、角が生えた。
そう見えたのは、後ろから槍の男がアリの頭を貫いたからだ。
「……意地を張らずにお前も強化魔法をかけてもらえ。これは成長するための戦いじゃない。生き残るための戦いなんだぞ」。
槍の男はアリの頭から抜いた穂先を振って、アリの体液を振り払う。
蟻酸の溜められた毒腺を突いていた場合、すぐに切れ味に影響が出るからだ。
それでも何匹も突き刺している間に、槍の穂先は少しずつ腐食してきていた。
周りを見渡せば、今殺した一匹で手近にいるのは全て片付いたようだ。
炎の壁を維持する五人の魔法使いの内、一人はもう倒れていた。
炎を維持する最適な術式で効率良く魔素を炎に変換しても、経験不足の「魔法使い」にはこの辺りが限界なのだ。
「
密度の下がった炎の壁を抜けてくるアリの数も当然多くなっていく。
今までは数人で一匹に対応できていたのが、逆転して、数匹に対して一人が当たらねばならなかった。
「……しょうがねえな。それにしてももう三十分は経ってるだろ。もうそろそろいいんじゃないのか」。
「まだ十五分ほどですよ。……それに退却のタイミングを決めるのは私達ではありませんから」。
アリに囲まれている警備兵の元へ槍を構えたキャスと剣を握ったボリス、そして少し遅れてタオが走っていく。
「それにしても炎に焼かれても全く怯むこともなく突っ込んでくるし、どれだけ仲間が殺されても士気が下がることもない。
キャスが転がるアリ共の死骸を見て言った。
「未来を思い悩むことも過去を悔むことも、現在に恐れを抱くこともないんですから、そういう点では幸せな生き物なのかもしれませんね」。
どう見ても幸せな生涯の結果とは思えないような死骸の脇を通り過ぎながら、タオが
「何言ってやがる ! 悲しみや苦しみが無くても、楽しみや喜びもないなんてつまんねえだろうが ! 」。
ボリスがそう言って、進路上のアリの死骸を派手に蹴飛ばした。
「……お前みたいな前向きな奴にはわからんだろうな……」。
キャスはどちらかというと減点方式の考え方をする。
産まれた直後の自分の持ち点が百点だとしたら、それが最高点で何か悪いことがある
減点の度に悩み、苦しんでしまう。
そして何か良いことがあっても、点数が減らないだけで、けして回復しないのだ。
ボリスのように良いことがあればそれが積み重なっていく加点方式の考え方とは根本が違った。
「
補助回復魔法が得意なタオが先行する二人に魔法をかける。
「うおおおおお !! 」。
下段から切り上げられた剣が、アリの頭を切り飛ばし、その間に槍が並んだ二匹をほぼ同時に突いた。
「すまん ! 助かった !! 」。
足をとられて転倒していた警備兵は、その隙に体勢を立て直して再び槍を構える。
戦場は徐々に乱戦の様相を
その時、二人目の「
「……頃合いですね。領主代官様、撤退しましょう」。
街の中は建物があるし、それを乗り越えて進むにしてもアリ達の速度は落ちる。
道を追ってくるアリは魔法で牽制しながら逃げるしかないが、それでも街中にはアリ達の興味を引く食料も残っているだろう。
質素な革の鎧に身を包んだ誰よりも信頼する腹違いの妹の進言に、領主代官は肯かなかった。
前線から数百メートル後方で、彼はいかにも貴族が好みそうな豪奢な鎧を纏い、腕を組んで戦場を見つめていた。
「クソ !! 撤退命令はまだか !? 」。
重たい音を立てて振るわれたハルバードが三匹のアリを纏めて吹き飛ばす。
先ほどに比べて
「
街の住民もこの事態に気づいて避難し始めているだろうし、「聖女」の無茶苦茶な迎撃命令にも従った。
最初から従わなければ、別の者がトップに据えられて、命令通りに全員が玉砕させられていただろう。
だからこの戦いの途中で命令に背いて退却する必要があったのだ。
後はこの場から撤退して、途中で命令違反を犯した処罰をなるべく軽くするための根回しでも行えば良いはずだった。
耳障りな羽音を立てて、一匹の小さなハチが戦場を眺める二人の元に飛んでいく。
一人は弁当であろうパンを齧りながら、座り込んで戦いを見物する壮年男性。
そしてもう一人は濃い茶色のローブのフードを深くかぶっていた。
ハチはそのローブの袖から、スッと中へ侵入していく。
「うまくいったようだぜ」。
「それはいい ! 撤退などされてはつまらんからな ! 」。
そう言うと男は、水筒を傾けて中の液体を飲んだ。
その視線の先で、また炎の壁の勢いが弱まった。
街。城壁内。
アデリエンヌ・アレマンは溜息をついた。
どうして望まない来客ほど、こうも望まないタイミングで来るのだろう、と。
「……話の分からない奴だね。今はこの館にいる女を避難させなきゃならいんだってば ! 」。
その怒気を含んだ声に、広い部屋の中で放し飼いにされている小さな
「分かってないのはお前の方だ。
濃い茶色のローブに身を包んだ男が胸を張って言った。
(こいつの言っていることが本当ならば、この街に
アデリエンヌは目の前にいる長い耳に長い金色の髪、そして碧眼の整った顔の男を改めて睨む。
それは彼女と同じエルフの男だ。
「さあ ! ここに囚われているエルフは今日をもって戦士と生まれ変わるのだ ! そして共に我らエルフ族に自由をもたらそうではないか !! 」。
まるで舞台役者のように男は両手を広げて熱っぽく語る。
(……大きなお世話よ。故郷の森はもう焼かれてない……。私達はもう人間の街で生きていくしかない。そしてそのための「市民権」を買うためのお金を稼ぐために、ここの女達は必至に頑張っているのに……)。
彼女が今や護身用以外に使い道のなくなった愛用の弓に手を伸ばしかけた時、ガチャンと小さなガラスが割れる音がした。
床の上には小さな円形の色ガラスが落ちて割れていた。
天窓のガラスだ。
彼女が天井を見上げると、ちょうどそこから今度は侵入者が飛び込んできたところだった。
小さな穴から、小さな妖精達が次々と素早く入り込み、室内でホバリングしている。
その数は十体。
その内の八体がアデリエンヌと男に対峙し、残りの二体は花瓶へと飛ぶ。
そしてその影に隠れていた
髪の色以外は
ラナの隣にいる金色の髪と瞳を持つ妖精が、先ほどの男に勝るともおとらない熱っぽさで
「助けにきましたわ !! さあ !! こんな汚らわしい場所から早く出ましょう !! ……そしてあなたも『
妖精族を生み出した四月の女神エイプリルは綺麗なものが大好き。
よって妖精達の容貌は軒並み美しいものである。
しかしその中でも彼女の美は群を抜いていた。
白銀の小さな鎧から光がこぼれているようであった。
レア中のレア、妖精の王種と呼ばれる
彼女がたまたまこの街一番の商会の主に飼われていたのだ。
アデリエンヌは苦笑いを浮かべた。
「……あの妖精もあんたの仲間 ? 」。
「いや違う。だが仲間になれるかもな。この状況を利用して俺と同じことをしていたんだろう」。
男はニヤリと笑う。
「……イヤです」。
にべもない返事が返ってきた。
「私は戦うなんてできません……。それにアデリエンヌ様は私に良くしてくださいます。私は……今のままで満足しているのです」。
「……あなたは自分さえ良ければ良いと言うの ? まだこの街で救わなければならない妖精族がいるのに…… ! 今は街に
「……それは哀しいことですけど……私には関係ありません。それにそんなに戦いたいならそこのエルフの男と戦ったらどうですか ? どうやらそいつが
その言葉が妖精達の間に緊張を走らせる。
自由に空を飛べる彼女達にとって
だが檻に閉じ込められた状態では話は別だ。
早急に仲間を救出しなければならない状況だが、その元凶が目の前にいる。
(……これはコウを呼んだ方が良さそうね)。
ラナがそう判断した時、
「……あなた……何なの…… !? 自分は誰かを守ろうともせず……戦おうともせず……挙句に他人に戦わせようとして…… ! あなたみたいに仲間を見捨てて平気な妖精がいるから……だから私は…… ! 私は…… !! 」。
「ダメ !! 」。
ラナが咄嗟に風を起こして
そして次の瞬間、室内は光で溢れた。
さきほどまで
光が一瞬で岩壁を蒸発させて、一直線に進んでいったのだ。
「妖精が精霊魔法を……四月の女神様が戻ってきた…… ? 」。
アデリエンヌは呆けたように呟いた。
「ラナ ! 邪魔しないで ! 」。
「いいの ? 『御使い』様の言葉に反しているわよ ! 」。
その言葉は魔法のように
ちょうどその時、彼女が石壁に空けた大穴から、ふわりとコウが飛んで入ってきた。
その髪の一部をさきほど放たれた光の精霊魔法によってチリチリに焦がして。
「ああ !? 『御使い』様 ! 申し訳ございません !
慌ててコウの元へと飛びよる
「良いのです。ゾネ」。
コウは穏やかな口調で、優しく微笑む。
四月の女神の「御使い」っぽく振舞おうとして、彼は迷走していた。
だが一つだけ心掛けていたのは、美しい
アイテム「
ラナもすぐにコウへ飛び寄り、手早く状況を説明する。
「……わかった。サラは皆を率いて救出を続けてくれ。ラナは残れ」。
その言葉に従って、深紅の髪の妖精を先頭に妖精達が外へ飛び出していく。
こうして「御使い」を詐称する四月の女神の「ヒモ」とこの事態の元凶であるテロリストは対峙した。
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