第二章 百年の支配を賭けたゲーム

第20話 道化


 荘厳な黒い大理石の床、そして同じ素材で灰色の壁、白い天井。


 そんなモノクロな円形の大きな部屋。


 中央には同じく円形の白いテーブルが設置されて、等間隔に十二の椅子がテーブルに沿って並べられている。


 そしてその十二の椅子の後ろの壁はこのホールへの出入り口となっており、壁に空いた十二の穴の先の通路はそれぞれの神域へとつながっていた。


 埋まった椅子は十一。


 たった一つの空席のちょうど対面には、茶色の髪で、瞳が見えないほど細められた少し垂れ気味の目、そして少しだけ豊満で若いけれども落ち着いた雰囲気を纏ったお母さん、といった風の女性がなにやら説明しているが、他の参加者の大半は納得できないようだ。


「……ですから、私は『主神』のまま『ゲーム』に参加すると言っているんです。今はまだ私が『主神』となってから九十九年ですから、あと一年、『ゲーム』の期間中も任期は残っているのですから」。


「ふざけるんじゃないわよ ! 一端『主神』の座から降りるのがすじでしょ ! そうしないとあんたが有利すぎるじゃない !! 」。


 反論の声を上げたのは、最初の発言者から右回りに四人挟んで五つ目の席に座る一際小柄な少女。


 末娘で三月の女神、イルシューアだ。


「イルシューア !! ミシュリティーに向かってなんて口のきき方するの !! 」。


 十月の女神の右隣り、九月の女神ワーブドリードが黒い艶やかな髪から突き出た尖った獣の耳をピンと立てて三月の女神を叱りつけた。


「へっ ! まるで忠実な犬だな ! 」。


 白髪に金色の瞳、そして白い肌には微かに鱗が見える。


 テーブルの上に両肘をついて、両手で億劫そうに顔を支えている七月の女神が吐き捨てるように言った。


「なんですって…… ! 」。


 ワーブドリードが美しい顔を歪めると、その口からは牙が見えた。


「ワーブドリード姉さん、いいのよ。私は気にしてないから」。


 まるで動じていない十月の女神は微笑んだままだ。


「ミシュリティー……でも……」。


「いいって言ったわよね ? 」。


「う、うん。ごめんね」。


 九月の女神の狼とおぼしき耳が下を向いた。


 そのやりとりを見て五月の女神、マイアルペリは溜息を吐いた。


 百年ごとに次の百年間に「主神」となる女神を決める「ゲーム」。


 それは百年ごとに行われると最初に決めた。


 すると「ゲーム」翌年に「主神」となった女神の任期最後の一年間がゲームの年となる。


 「主神」であれば強力な恩寵を与えることのできる眷属の数は段違いだ。


 もし十月の女神がゲーム期間中にその座を下りれば、「主神」として授けた恩寵の数を維持できなくなり、人間族の戦力は大幅に減る。


 だから彼女がそんな提案を飲むことはないし、運営のルールがそれについて細かく決まっていない以上、どうすることもできなかった。


 そしてそれ故に彼女は、なりふり構わずに最初の「ゲーム」を制しに動いたのだろう。


(せめてルールの追加や改正を十二柱の内の過半数の賛成にしておくべきだったのよ……。全員一致じゃなければルールをいじれないなんて、今更ながら呆れるわ……。百年前は本当に姉妹同士の遊びだと思ってたから……。それに……)。


 長い耳のマイアルペリはちらりと彼女の右隣りの空席を見た。


(エイプリル姉様……。今どこで何をしているの…… ? そもそも無事なの…… ? 姉様が帰ってこなければ参加者不足で「ゲーム」自体開かれずにミシュリティーがもう百年の間「主神」になってしまう可能性もあるのに……)。


 百年前の「ゲーム」で「代理人」とともに消えた姉の姿を思い浮かべる。


 「愛」と「創造」をつかさどる四月の女神。


 若草色の柔らかな髪にピンク色の花冠をかぶり、純白のワンピースを纏って、いつも愛らしい微笑みを浮かべていた大人になる直前の少女の姿。


(せめてこの世界にいるなら、「ゲーム」のルール遵守の契約魔法で最終確認であるこの場に召喚されるはず……)。


 マイアルペリが何度目かわからない溜息を吐こうとした時、異変は起こった。


 空席のすぐ後ろの空中に、黒い穴が空いた。


「……姉様 !? 」。


 驚きと喜びの表情のマイアルペリ。


 だが、彼女の顔はすぐに歪んだ。


 他の女神達も同様だった。


 十月の女神を除いて。


 すさまじい異臭が穴から吹き出してきたのだ。


 腐った生魚と硫黄が混ざったような臭い。


 地獄の、悪魔の臭い。


 やがて穴から、化け物が出て来た。


 ところどころ抜け落ちた若草色のボロボロの髪。


 枯れた花冠。


 黒い眼窩の髑髏には少しだけ腐った肉がこびりついている。


 そして純白であったワンピースはまだらに茶色くなり、破れた穴から骨がのぞいていた。


「あらあら、エイプリル姉様、お久しぶりね。随分と素敵なお姿になられましたね。『ゲーム』参加は大丈夫かしら ? ちかけていらっしゃるようだけど」。


 嬉しそうに弾む声で、十月の女神が言った。


「姉様 ! 挑発に乗っちゃダメ ! これ以上憎悪に囚われたら…… !! 」。


 五月の女神がいさめたが、無駄だった。


「『ゲーム』 ? 何を言ってるの ? ハルを殺し、妖精族を殺し、生き残った妖精族を人間のオモチャにしたあなたは今ここで死ぬし、それを黙認していたあなた達も今死ぬのよ」。


 四月の女神はぐるりと円形のホールを見渡し、ゆっくりとテーブルに両手をつけた。


 バキゴギン、と骨が増殖して変形していく嫌な音が響いていく。


 髪が完全に抜け落ちた髑髏の額からは大きな三本の角が生えた。


 黒い眼窩には小さな赤い光が灯る。


 そして背中からは茶色いワンピースを引き裂いて大きな骨の翼が出て来た。


 異臭はもはや黒い霧となってホールの視界を悪くする。


(姉様はアイテムを通さなければならないという制限はあるけど、母様と同じ「創造」の権能を持っている……。そんな強力な神が悪魔に堕ちたら…… !? )。


 そのあまりの魔力の圧に、まるで深い海の底にいるように十柱の女神達は動けなかった。


 そんな時、空いたままの空中の穴から何かが落ちて来た。


「……痛たたた……。こんなに地面が近いとは思わなかった…… ! 尾てい骨から着地しちまったじゃねえか……」。


 若い人間の男のようだ。


 異形と化したエイプリルのすぐ後ろで背中を向けて悶絶している。


(この感じ……姉様の「御使みつかい」…… ? 人間がどうして ? )。


「……ここが地獄か……。それにしてもなんてクサイ臭いだ…… ! 地獄だけあって体臭も地獄クラスの悪魔でもいやがるのか……」。


 ひとちる男の言葉を聞いて、エイプリルはそっと自分の身体に鼻を近づけて、ビクリと震えた。


「……おーい !! エイプリル !! 助けにきたぞ !! 」。


 背中同士が触れそうなくらいの近距離で全く気付かずにエイプリルのいない方向に向かって大声で叫ぶと、男は席の後ろの壁に開いた通路へと歩きだし、彼女から遠ざかっていく。


(な、なんなの ? この間抜けな男は ? エイプリル姉様を召喚したゲートから出て来たってことは追いかけてきたの ? ひょっとして召喚を地獄に堕ちたのと勘違いして…… ? )。


 マイアルペリがこの状況のおおよその検討をつけて、改めてエイプリルを見ると、またしても変化が始まった。


 まるで巻き戻しのように角と翼は引っ込み、元の骸骨の姿となる。


 ただ一つ違ったのは頭の花冠が瑞々みずみずしいピンク色の生花となり、甘い香気を振りまき始めたことだ。


(まさか自分の地獄の臭いをごまかすために……)。


 そしてマイアルペリの目の前で骨だけの女は恥ずかしげに頬に両手を当てて、身体をくねらせた。


 この場にいる他の女神達にはわからなかったが、エイプリルにはコウの行為の意味がわかったのだ。


 この場に召喚される直前、彼女は彼に「一緒に地獄に堕ちてくれるのか」と問うた。


 そして彼はここを地獄と勘違いしたまま、来てくれた。


 つまりコウはエイプリルのために地獄に堕ちてくれたのだ。


 それは「愛」の女神でもある彼女の憎悪に焼かれた魂をさらに別のもので燃やした。


(もしかして……戻る…… !? )。


 そんな楽観的な思いがマイアルペリの脳裏によぎった時、声がした。


「どこへ行くの ? エイプリルならこっちよ」。


 十月の女神だ。


 コウはピタリと止まり、恥ずかしそうに頭に手をやって振り向こうとした。


「振りむいちゃダメ !! 」。


 それをエイプリルの叫びが止めた。


 女神は地上に降臨する際、しろを必要とする。


 その依り代に宿やどった女神の姿はよっぽど霊感の強い者でもないかぎり視認することはできない。


 よってコウもエイプリルのおぞましい姿を見たことはなかったし、彼女もけして見られたくはなかった。


 そしてそれを十月の女神はよくわかっていた。


「……エイプリル !! 大丈夫か !? 」。


「……大丈夫よ。それよりここは絶対に振り向かないで ! そのまま真っすぐ行くのよ。そうすれば出られるから。私もすぐ後ろをついていく」。


「わ、わかった ! 死者の国で振り向いちゃいけないってのは神話でよくある話だ ! 危ない所だった。そうすると今俺を振り向かせようとしたのは……悪魔か ? 」。


「そ、そうよ ! 恐ろしい悪魔、ミシュリティーよ ! 絶対に騙されちゃダメよ ! 」。


「その悪魔の名は間違いないのか ? 」。


 やけに名前にこだわるコウ。


「そうよ。私は十月の女神、ミシュリティー」。


 そんな二人を揶揄からかうように、十月の女神が名乗った。


「女神をかたるか……。悪魔め…… ! 今、はらってやる ! 名乗ったことを後悔するがいい ! 」。


 コウがこの状況で余裕がある理由は三つ。


 一つ目は悪魔祓いにおいて悪魔に名乗らせれば、ほぼ勝ちが確定するため。


 二つ目は彼が悪魔というものを舐めくさっているため。


 これはある海外の番組での集団悪魔祓いを見たことによる。


 ホールに集められた悪魔に憑りつかれた大勢の人間をマイクを片手に持った神父が次々と祓っていくのだ。


 しかも憑りついた悪魔は律儀にマイクを向けられた時にしか発言しなかった。


 神父がマイクに悪魔祓いの文言を唱え、それに反応した悪魔が向けられたマイクに向かって罵倒する、なんともシュールな光景。


 それを見て以来、コウは悪魔が怖くなくなった。


 三つ目は実際にコウの姉と姉の親友のチーちゃんが悪魔祓いに成功しているため。


 当時中学二年生のチーちゃんの妹が悪魔に憑りつかれて、時々悪魔に身体を支配されるようになったことがあった。


 それを祓うために姉とチーちゃんは教会の水道水を「聖水」として妹に振りかけたり、通信販売で悪魔祓いグッズを購入して実践した結果、悪魔はいなくなったのだ。


 しかしその件は深い傷を残したようで、チーちゃんの紹介で初めてコウが頬を赤く染めた彼女の妹に会った時、「昔、悪魔に憑りつかれてたんだって ? 」と心配そうに話しかけると、奇声をあげて逃げていったことがあった。


 そしてコウは姉が必要なくなったからと、部屋の隅に放っていた悪魔祓いセットを遊び半分で友達と使い、それを熟知していた。


 およそこの三つの理由とエイプリルによる勘違いがコウをこの世界の「主神」である女神に対して悪魔祓いをかますという暴挙に走らせたのだ。


 コウは深く息を吐いてから、ひざまずいて、手を組み、祈り始める。


「……天にまします我らの父よ……」。


(この男…… ! 間抜けにもほどがある ! 神に悪魔祓いなんて…… ! 通路の先にはエイプリル姉様の神域があるのから早くそこへ行けばいいのに ! ……姉様もどうして止めないの !? )。


 マイアルペリがエイプリルを見ると、彼女はうっとりとコウの祈りの声に聞き入っていた。


(ダ、ダメだ…… ! この二人、バカな男とそれに心酔する頭のイタイ女のカップル状態になってる…… ! )。


 頭を抱えるマイアルペリを他所よそに祈りはどんどんと進む。


「……御名によって命じる。汚らわしき悪魔ミシュリティーよ。神の鎖に縛られ、この場より去れ ! 」。


 祈りは終わった。


「…………気は済んだ ? これで私が悪魔じゃないってわかってもらえたかしら。今振り向けばエイプリルを助けてあげるわ」。


「……まさか……本当に女神…… ? 」。


 当然ながら悪魔祓いが失敗に終わったコウは、ゆっくりと立ち上がり、振り向いた。


「えい ! 」。


「ぎゃッ ! 」。


 両目を押さえて転げまわる男。


 ブイサインのように人差し指と中指を突き出した体勢のままのエイプリル。


(め、目つぶし…… ! )。


「大丈夫 !? ミシュリティー ! なんてひどいことを ! 」。


 白々しく叫びながら、エイプリルは転がるコウの脇に座り、頭の花冠から花びらを二枚とって、彼の両目に張り付け、なにやら液体を指先から出してその花びらの上に垂らした。


「……痛みがひいていく……。ありがとう、エイプリル。それにしても目つぶしをされる直前、少しだけ恐ろしい女の姿が見えたんだが……あれがミシュリティーか ? 」。


「そ、そうよ。さあ、立って。今度こそ真っすぐ行くのよ。その花びらは私が良いって言うまで外しちゃダメだからね ! 」。


「わ、わかった……」。


 ふらふらと立ち上がって、通路を壁伝かべづたいに歩いて行くコウ。


 その背中を愛おしげに眺めるエイプリル。


 その彼女の背中をさらに見つめるマイアルペリと他の女神達。


 ふと濃密な花の香りが漂ってきた。


 その元となる女神は美しい若草色の髪と桃色の花冠、そして純白のワンピースを纏い、こちらに背を向けていた。


「……姉様 ! 」。


 振り向いたその顔は、彼女達の記憶にある少女のものではなかった。


 凄絶な女の笑顔だった。


「……気が変わったわ。『ゲーム』には参加する。そして正々堂々と『主神』になってからあなた達に復讐することにするわ。『主神』になればたとえ悪魔になったとしても地獄に堕ちることはない……。万が一今の私が悪魔となって地獄に堕ちたら、彼が追いかけてきちゃうもの……」。


 それだけ言うと、再び彼女の顔は朽ちていった。


 しかし完全に骨にはならず、ミイラのような状態だ。


(……やっぱり戻ってきてる。でもまだ完全じゃない。それだけ憎悪が深かったのね。でも仕方ない。姉様は「愛」の女神。「愛」が深ければその分、それを傷つけられた時の憎悪は深くなる。……もしあの道化が殺されたら、その時はもうどうしようもなくなるでしょうね)。


 エイプリルは最後にホールを一瞥し、くるりと身をひるがえして通路を彼女の神域へ向かって歩いていった。


 それを機に大きな笑い声が響いた。


「ハハハハハハハッ ! ここまでミシュリティーをコケにする人間がいるとはな ! 」。


 七月の女神の発言に対して、九月の女神が噛みつき、ホールは再びやかましくなった。

 コウのすさまじい道化ぶりは十柱の女神から声を奪うほどだったのだ。


 結局のところ、運営上のルールは変更できるはずもなくミシュリティーは「主神」として「ゲーム」に参加することとなり、二週間後の四月一日の午前零時の開始時刻に向けてそれぞれの女神は最後の準備のためにそれぞれの神域へと帰っていった。


「ミシュリティー、帰らないの ? 」。


 九月の女神、人狼を眷属とするワーブドリードが椅子から立たないミシュリティーを心配そうに見やる。


「……先に帰ってくださいな。私はあの男のせいで少し気分が悪いの」。


 眉をしかめる十月の女神。


 珍しく見せる機嫌の悪い顔だ。


「わ、わかったよ」。


 怯えたようにワーブドリードは彼女の神域へと通じる通路を走っていく。


 それを首だけ動かして確認したミシュリティーはすでに誰もいなくなったホールで大きな舌打ちをした。


 そんな彼女の様子を通路の陰から覗いている女神がいるともしらずに。


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