第19話 四月の女神
ラナは咄嗟に
一瞬前までいた場所に、彼女から見れば教会の尖塔ほど太く巨大な木の棒が打ちおろされた。
ほとんど上昇せず肩から滑り込むように着地した彼女に今度は巨大な足が踏み下ろされる。
「ヒッ…… ! 」。
ラナは横たわった体勢から、必死に身体を転がし、なんとか踏み潰されることを回避した。
そして急いで体勢を立て直して、今度こそ上に飛ぶ。
ふらふらと不安定ながらも空中にとどまり、改めて彼女の五倍以上の大きさの少年と向かい合った。
「アゼル…… ! あなた自分が何をしているかわかっているの !? 同族殺しよ ! 」。
「うるさい ! うるさい ! うるさい ! どうせあのまま人間に連れられていても結局お前はオモチャにされて殺されてたんだ ! だからせめて楽に殺してやる ! 」。
少年は罪の意識から逃れるためか、無茶苦茶なことを言って自己正当化をはかり始める。
(……このまま室内で逃げ回っていてもジリ貧。いつかは捕まる。どうにかして外へ。扉は無理。となると……)。
必死に頭を回転させるラナに
ブン、と羽ばたきを強めて素早く少しだけ上昇した彼女の足のすぐ下を凄まじい風圧とともに棒は通りすぎていった。
彼女は空中での体勢を制御し、少年を見据えたまま目的の場所へと少しずつ移動する。
「バカで鈍い
「そ、そんなことあるわけないだろ ! なんで人間が…… !? 」。
否定しつつも、アゼルが動揺していることは丸わかりだった。
「いいえ、四月の女神様に誓って本当よ ! 人間でも転移者なら十月の女神様以外の眷属になれるって知らないの !? 」。
この世界で産まれた人間は自動的に十月の女神に属することとなるが、地球で産まれたコウはその限りではない。
そしてアゼルは自分が刺した人間が転移者に多いと言われる黒髪であることを思い出した。
「ま、まさか……」。
「あんたのせいでこの街の妖精族は救われない ! それに覚悟しておくことね。これから始まる百年戦争に四月の女神様が勝利して『主神』となられても、きっと
「黙れえぇぇぇぇええええ !!!! 」。
アゼルは焦りと怒りの感情をそのまま両手に握りしめた棒に込めて、大きく振り下ろした。
それをギリギリで横に避けるラナ。
そして勢いの止まらない棒の先には窓の鎧戸があった。
バゴン、と観音開きの鎧戸が外に向かって開く。
ラナは狙い通り開いた窓に向かって、全ての力を翅に込めて飛び、ついに外へと出た。
逃げるな、という声が後ろから聞こえたが、当然彼女が従うわけもない。
飛ぶ彼女の身体を夜風が撫でていくのが、とても心地よかった。
ラナは思わず目を閉じて、風の感覚だけを肌で味わう。
するとそこに違和感があった。
「…… !? 」。
咄嗟に感覚を信じて高度を下げると、同時に彼女のすぐ真上を巨大な棒が回転しながら通り過ぎて行った。
彼女の背中の翅を引きちぎりながら。
くるくると回転しながら、落ちていく小さな妖精。
「やった !! 」
それを、ほっとした笑顔で眺める
すぐにラナは地面に衝突した。
ほとんど音もせずに。
ふらふらと彼女は激痛に耐えて立ち上がる。
左の二枚の翅は根本から無残にちぎれ、今彼女の背中にあるのは右の一枚の翅だけだった。
それを確認した彼女は絶叫した。
そしてその叫びに
風だ。
ラナを中心に小さなつむじ風が吹き始め、どんどんと激しくなっていく。
窓から出ようと枠に足をかけた体勢のまま茫然とする少年の目の前で、竜巻へと成長した風は彼女を護るために小さな小屋へと進攻を始めた。
全てがバラバラになり、空へ巻き上げられ、やがて竜巻が消えて、落ちてくる。
周りに散在する同じような小さな木造の小屋の屋根は落ちて来た瓦礫で穴を開けるが、それ以上のことはなかった。
ラナは小さな膝を地面につけた。
「……使えた……。精霊魔法が使えた…… ! やっぱりコウは『御使い』だったんだ…… ! 」。
広場でコウが何もないコップに花蜜を湧き上がらせて、それを飲ませてくれた時、すぐ身体に違和感があった。
何か力の通り道のようなものが身体の中に張り巡らされて、それが周りを吹く風とつながったような感覚。
しかし風の吹かない屋内に連れ込まれてその感覚は消えていたが、再び外に出た時にはさらにそれが強く感じられた。
そして彼女が、ここ百年以内に生まれた妖精誰もが、使うことのできなかった精霊魔法を行使することができたのだ。
長々と呪文の詠唱を行い、肉体から直接発動させると負荷に耐えられないので杖から発するために魔力のロスが大きい人間達の魔法と違い、精霊魔法は妖精達の発動の意志だけで瞬間的に行使することができる。
さまざまな思いが到来するラナの前に、何か大きなものが落ちて来た。
ボロボロになった少年だ。
ピクリとも動かない。
ラナはようやく安堵の溜息を吐いた。
「……早くコウの所に帰らなきゃ……。でもどこにいるんだろう…… ? むしろ今の精霊魔法に気づいてくれるのを待った方が……」。
ブツブツと考えながらラナは彼女の五倍以上大きな少年に背を向けて歩き出す。
さすがに右の翅一枚では飛ぶことはできない。
それなのに彼女の身体は空中にあった。
「……そんな…… ! 」。
「……お前 ! なんでこんなひどいことを…… ! 僕はお前を助けようとしただけなのに ! 」。
奇跡的に生きていた少年の手に、捕らえられて持ち上げられている小さな妖精のラナ。
再び風とつながろうとした時、嫌な音とともに身体の形が無理矢理に変えられたのを感じた。
少年が両手で思い切りラナを握り潰したのだ。
口から行き場を無くした赤い血がどんどん押し出されてくる。
すさまじい激痛に悲鳴をあげようにも、
泣きじゃくりながら、さらに両手に力を込めようとした少年の腕が、燃えた。
何の前触れもなく、ごく自然に。
「……え ? う、うわああああああ !! 」。
少年は慌ててラナを放り出して、両腕の炎をなんとか消そうと暴れまどう。
空中の彼女にはもう飛ぶ力はなく、このままでは固い地面に激突するのは必定であったが、そうはならなかった。
柔らかなものが彼女の小さな身体を受け止め、すぐにもっと柔らかいものが彼女の顔に触れて、口から溢れる血を逆流させる勢いで、何かが身体に流し込まれた。
瞬間、全てが消えて、残ったのは顔と背中の温かく柔らかな感触だけ。
ゆっくりとラナの顔からそれが離れて、彼女はコウの両手に包まれていて、先ほどまで触れていたのは彼の顔だとわかった。
「……よかった ! 間に合った……」。
コウの笑顔を見て、改めて自分の身体を確認するラナ。
どこにも痛みはない。
潰されたはずの身体も元通り。
そして何より、背中には計四枚、左右二対の透明な美しい翅が揃っていた。
さきほど
もう二度と戻らないと思っていた自慢の翅を見つめて、少し動かしてみて、彼女は泣いた。
それを見て焦ったのはコウだ。
どう見ても通常の手段では回復しそうにないほどの重症であるラナを救うために回復アイテム「
超高性能な回復アイテムだが、口移しで飲ませないと効果がないという身体を回復する代わりに人間関係を回復不能な状態に
必死で弁明するコウを少し離れた場所から眺めるタオとその肩に座る妖精のサラ。
「伝説の通りですね……。『御使い』である妖精王ハルは口づけで傷ついた妖精達を老若男女問わずに救ったなんて聞いた時はどんな変態なのかと思いましたが……。そうせざるを得ないアイテムを使っていたんですね」。
コウの言い訳を聞きながら、タオは呟いた。
「恐ろしいアイテムね……。あんたが使ってたら回復した瞬間に精霊魔法で攻撃されてたかもね」。
「……否定できませんね」。
ようやく泣き止んで、笑顔でコウの周りを自在に飛び回る
「そ、そんなに落ち込まないでよ ! あんただって……その、私を助けてくれた時……素敵だったじゃない……」。
数年前、こことは違う街でお金持ちの子どもが遊び半分で犬に食べさせようとしていた妖精がサラで、それを救ったのがタオだった。
「サ、サラちゃん…… ! ……熱い ! 」。
「ご、ごめんなさい ! まだ上手く制御できなくて…… ! 」。
彼女の感情に反応したのか、その小さな身体には知らぬ間に炎が纏われていた。
さきほどコウから四月の女神様の恩寵を授けてもらい、彼女は火の精霊魔法を扱えるようになっていたのだ。
「……それにしても初めて火の精霊魔法で攻撃した相手が人間じゃなくて同じ妖精族の
両腕を真っ黒にして転がるアゼルを見て、彼女の顔は悲痛なものとなる。
「彼もある意味では犠牲者なのかもしれません。人間のせいで追い詰められて……。もしかして街ではなく森で出会っていたら妖精族同士仲良くなっていたかもしれませんしね」。
タオは溜息を吐いた。
そしてコウが立ち上がり、二人に近づいてくる。
「二人のおかげでなんとか間に合ったよ。俺だけじゃ
「ありがとうございました…… ! 」。
コウに合わせてラナも空中で頭を下げた。
軽く自己紹介をしあって、ラナとサラは女性同士でなにやら高度の高い空中でおしゃべりをしている。
「タオさん、すまないけど俺はもう行くよ」。
コウは腕時計を見て焦ったように言った。
「あの『
「なんとなくわかるんだ。だから大丈夫 ! それじゃ ! 」。
軽く手をあげると、コウは走り出す。
「またいつでも訪ねてきてください ! 」。
タオの言葉に振り返って笑顔で返し、コウは街の外へ向かって再び駆けだした。
その背中を空からラナが滑空して追いかけていく。
ぽふりとタオの頭にサラが着地した。
「二人で何の話をしていたんですか ? 」。
「普通の女の子同士の話よ。でも彼が『御使い』じゃなくて女神様の『ヒモ』だってことは言わない方が良かったかも……。相当がっかりしてたし……」。
「まあ確かに『御使い』と『ヒモ』ではまるで肩書の格好良さが違いますからね」。
「いや、そういうことじゃないんだけど……。まあいいわ」。
人間と妖精の二人は、小さくなっていく人間と妖精の二人の背中を眺めた。
街から森へ向かう道を一体の
白く無駄にヒラヒラのついた貴族が着るようなシャツに、黒い革製の細身のズボン。
髪の毛はサラサラの金色。
虚ろに開いた瞳は碧眼。
そして腰には白色のウエストバッグを装備している。
ウエストバッグ型のアイテムボックスで「
夜道を進むポケットを呼び止める声が後ろからした。
「……どうして追いかけてきたんですか ? 」。
「…………せめて出て行った理由を聞きたいっていうのと…………一つ確認したいことがあってな」。
声の主は走りに走って、ようやくポケットに追いついたコウだ。
「置手紙に書いた通りです。ようやく色々と思い出したんです。私のせいで死んだ者や、今も苦しんでいる者がいることを。だから私はもう誰も不幸にしないために、誰とも関わらないことにしたんです」。
抑揚のない音声だった。
「……そうか、それが理由か……。それじゃあ一つだけ確認させてくれ。その『思い出した』っていうのは、自分が『
「そ、それは……」。
明らかに動揺した声。
「そうなんだろ ? 四月の女神。エイプリル」。
「……その名前で呼ばれたのは百年ぶりですね……。どうしてわかったんですか ? 」。
まるで人間のような、諦めたような女性の声がウエストバッグからした。
「大した推理じゃない。いつの間にか俺の『職業』が四月の女神様の『ヒモ』になっていた。だが俺は
とても格好悪いことをなんとなく格好良さげに言って、コウは軽く肩をすくめた。
「……本当に、全然、まったく大したことない推理ですね」。
「そうだろ ? 」。
そう言って、二人は少しだけ笑い合う。
「……私は本当にダメな女神なんです。百年前の『ゲーム』で私は『御使い』である妖精王ハルを『代理人』に立てて、私自身はアイテムボックスに
コウとそのすぐ隣で安定したホバリングを見せるラナは、静かに女神の独白を聞いていた。
ポツリ、ポツリと彼女は続ける。
あるタイミングで十月の女神の託宣によって人間族が「代理人」だけではなく種族全体で他の女神の「代理人」を殺すために動き出し、種族間の戦争になったこと。
個体の戦闘能力はともかく、集団での戦闘は人間族に分があったこと。
彼女の「代理人」妖精王が十月の女神の「代理人」を暗殺してでも、人間族を止めようとしたのに、話し合いで解決することを勧めて、結果として多くの妖精族が殺されたこと。
「参加証」を渡せば、これ以上妖精族を攻撃しないという人間族の言葉を自分が信じたために交渉の場所に赴いた妖精王ハルは「参加証」を奪われた。その直後、数百人の魔法使いによる「次元魔法」によって彼と腰のウエストバッグ型アイテムボックスに宿った自分は地球まで飛ばされたこと。
その際、ハルの肉体は移動に耐えきれず燃え尽きてしまい、自分も
「……私はちょっとおかしくなってしまったんでしょうね。自分のせいでたくさんの妖精族が死んだし……ハルまで……。そこから冗談だった設定が本当になって、私は『
「……そして地球で魔力をもった人間から魔力を集めている内に、俺に出会い、そのタイミングでこの星に帰還するための魔力が集まったというわけか……」。
「この世界に帰ってきて、妖精族の実態を見て思い出してしまったんです。自分の償いようもない大きな罪を……。それに私が不在だったせいで……妖精達がまるで人間のペットみたいに扱われているなんて……。きっと私は周りを不幸にするダメな女神なんです。だからこれ以上誰も巻き込まないためにどこかの洞窟で一人で朽ちていくことに決めました」。
長い告白が終わった。
彼女が宿ったウエストバッグを装備した
「……まてよ。今お前がまたいなくなったら、次の『ゲーム』はどうするんだ ? また人間族が百年間支配する結果になってもいいのか ? それに妖精族に恩寵を与えなきゃならないだろ ? ……俺もできる限り一緒に協力するからさ」。
ピタリと
「……一緒に…… ? コウ、あなたにはまだ言っていないことがあります。私のように憎悪の念で満たされてしまった女神には罰が下されるんです。徐々に身体が腐り、地獄へ
ゆっくりと
「ねえ、コウ。気の狂った頭のおかしい女と一緒に地獄に堕ちてくれるっていうの…… ? 」。
静かだが、すさまじい迫力の声だった。
コウは思わずたじろいだ。
瞬間、世界から音が消え、動きが消えた。
コウの腕時計はちょうど午前零時を指している。
「な、なんだ !? 」。
空中で羽ばたきもせずに停止しているラナを見てコウは驚きの声をあげた。
そして
「ま、まさか地獄に通じる穴 !? 」。
ポケットが吸い込まれた後も、穴は消えることなく存在している。
まるでコウを誘うかのように。
「……女神のあいつに魔法で地球に送ってもらうのが一番近道なんだ…… ! 」。
彼は自分に言い聞かせるように呟いた。
そして腰の若草色のアイテムボックスから「
ロッドの先端に付けられた魔石から蜘蛛型モンスターの糸を自由自在に出せるアイテムだ。
「地獄に蜘蛛の糸か……。おあつらえ向きだ…… ! 」。
コウは一番近くて立派な木に向けてロープ程の太さの粘着力のない糸を発射し、幹にしっかりと縛り付ける。
そして端を木につながれ、もう一方の端はロッドからどんどんロープが伸びていく即席の昇降機とする。
一度だけ大きく深呼吸した彼は、穴に向かって走りだした。
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