第18話 「ヒモ」の恩寵



「……もう大丈夫だよ ! 」。


 ようやくラナが大きな手から解放された場所は、簡素な木造の部屋だった。


 その手の持ち主は身長一メートルほどの少年。


 綺麗な金色の髪と緑色の瞳にとがった耳。。


 同じ妖精族で土妖精ノームの少年だ。


 人間と比べれば小さいが、それでも風妖精シルフであるラナの五倍以上の大きさだった。


 本来は森で暮らす彼ら土妖精ノームは今や人間のために街で働かされていた。


 人間達がやりたがらない下水道の管理・掃除、モンスターの死体解体など、キツイ仕事は彼らにやらせているのが、この街の実情であった。


「僕はアゼル。数日前にあのペットショップの前を通りかかった時に君の助けを呼ぶ声を聞いたんだ ! 君を買った人間が人目のない路地裏に入ってくれたから、なんとか助けることができたよ ! 」。


 屈託くったくのない笑顔で、自らの成し遂げた救出劇に興奮気味の少年。


 ラナは卒倒しそうな心持ちだった。


「……なんてことしてくれたの ! あんた達土妖精ノームは鈍いから、わからなかったんでしょうけど、コウはただの人間じゃないのよ ! 私達の味方だったのに ! 」。


 当然感謝の言葉をもらえると思っていたのに、小さな風妖精シルフから出て来たのは罵倒の言葉だった。


 少年はびっくりしたように目を見開いたが、すぐに憐れむような顔となる。


「……あの人間に騙されてたんだね。少し落ち着きなよ。人間が妖精族の味方なわけないじゃないか ! 」。


「そうじゃなくて !! 」。


 ラナは小さな身体を目一杯動かして、怒りを表現していた。


「もしかしてお腹が空いてイライラしてるの ? 今、花を摘んできてあげるからね。……あと親に見つかると面倒だから静かにしててね ! 」。


 それだけ言い残すと、少年は慌ただしく部屋から出て行った。


 きっちりと扉を閉めて。


 ラナは少年の話の通じなさに、怒りを通り越して泣きたくなってきた。


(四月の女神様の恩寵おんちょうがないと、頭まで悪くなるのかしら……)。


 彼女は溜息を吐きながら、周りを見渡した。


 木造の小さな部屋、と言っても身長ニ十センチほどの風妖精シルフにとってはダンスホールよりも広いが、のすみにはベッド代りなのか藁が敷かれ、壁には木製の小さな観音開きの鎧戸が窓の役割を果たしており、そこから西日が漏れて室内を赤く照らしていた。


 ラナは足りないはねのせいで飛ぶのが苦手だが、なんとか鎧戸の前でフラフラとホバリングする。


 外開きの鎧戸を小さな身体全体を使って押してみるが、ビクともしない。


 その時、部屋の扉が静かに開いた。


 鎧戸と反対側の壁にあるそれにラナが振り向くと、土妖精ノームの少女が扉を開けたまま固まっていた。


 顔立ちからして、さっきの少年の妹であろう。


「お願い ! ここから……」。


 出して ! という前に扉がそれを拒絶するかのように勢いよく閉じられた。


 ラナは再度、溜息を吐いて重ねてある藁の上に降り立った。


(しばらく我慢して隙を見て逃げ出すか、粘り強く説得してみるしかないか……。あのペットショップの鳥かごの中にいた時よりはマシだけど……。お願い ! どうか無事でいて ! )。


 彼女が長期戦の覚悟を決めた時、扉の向こうで事態は急転していた。


「なんでお前の部屋に風妖精シルフがいるんだ !? 」。


 響く男の怒声。


「ひ、拾ったんだよ ! 同じ妖精族なんだし、助けてやろうと思ってさ……」。


 弁明する少年。


「拾った ? そんなわけないだろ ! 人間達は風妖精シルフをペットとして高値で売買してるんだぞ ! 」。


「で、でも実際……」。


「お兄ちゃん、ペットショップで売られている風妖精シルフが助けてって叫んでるから、救ってやるんだって言ってた ! 」。


 裏切り者 ! とでも言いたげに妹を睨むアゼルは、派手に頬を殴られた。


「バカ野郎 ! お前、人間から盗んできたな ! バレたらお前だけじゃなくて俺たち家族みんなひどい目に合わされるんだぞ !! 」。


 父親は激昂した。


「……大丈夫だって ! 誰にも見られてないし…… ! 」。


「……お前 !? その袖の血はなんだ !? もしかして人間を傷つけて風妖精シルフを奪ってきたのか !? 」。


「そうさ ! 僕たち妖精族を奴隷みたいに扱ってる人間に一泡ふかせてやったんだ ! 」。

「このバカ !! 」。


 精一杯、胸を張るアゼルを父親は思い切り殴りつける。


 アゼルは吹き飛び、壁に頭をしたたかにぶつけた。


「いいか !! この街で人間が一人妖精に殺されたら、仕返しに俺たち妖精族は少なくとも二十人は殺されるんだぞ !! わかっているのか !? 」。


 叫びながらアゼルを殴り続ける父親。


 彼の顔は原型をとどめないほどに腫れあがり、口からは血が流れていた。


 しばらく殴打が続いたが、ふいにそれが止んだ。


 父親はぐったりと倒れるアゼルの横に太い木の棒を放り投げた。


「この家に風妖精シルフがいるとまずい。証拠を消すんだ。お前が風妖精シルフを叩きつぶして、埋めるんだ ! わかったな !! 」。


「そ、そんな……」。


「やるんだ !! それともお前を埋めて欲しいのか !? 」。


 父親は横たわるアゼルの髪をつかんで、無理やり立たせる。


「わかったよ……。だから放してくれよ……」。


 彼は泣きながら、棒と暗い室内を照らすためのランプを手に、再び扉を開けて部屋に入り、逃げられないようにすぐ閉めた。


「ごめんよ……ごめんよ……」。


 泣きじゃくりながら、謝りながら、床の上に立つ小さな風妖精シルフに向かって大きく棒を振りかぶるアゼル。


「あんた……一体なんなのよ !? 救世主気取りで私をさらった挙句に、都合が悪くなったら私を殺して証拠隠滅を図ろうなんて !! 恥ずかしくないの !? 」。


 彼と父親との大声でのやり取りは部屋の中に筒抜けであった。


 ラナは小さな身体全部で、怒りを表現した。


「うわああぁぁぁぁぁぁああああああ !! 仕方ないだろ !! みんな人間が悪いんだ !! 」。


 彼女にとっては塔と言ってもいいくらいの大きさの棒が、振り下ろされた。



「……ここは ? 」。


 コウが目覚めたのは薄暗い室内だった。


 天井の照明用魔道具は広い部屋全体を明るくするには少々力不足のようだ。


「意識が戻って安心しました。かなりの深手ふかででしたからね」。


 コウはその声に思わず背中に手をやる。


 痛みはない。


 ただ服に乾いた血が張り付いている感覚があった。


 彼の寝かされているソファーの対面、背の低いテーブルを挟んで、椅子に男が腰かけていた。


 コウの記憶にある男だ。


「……あんた、確か広場にいた……」。


 コウとラナを憧憬しょうけいの目で見ていた小太りの中年男性だった。


「私は『魔法使い』のタオです。といっても回復魔法専門ですがね。以後お見知りおきを」。


 男はわざわざ立ち上がって、コウに向かって一礼。


 妙に丁寧な態度だ。


「広場であなた達を見た時、同好の士を見つけたという喜びとともに、衝撃を受けましたよ。私は街の人々の前であれだけ堂々と妖精とデートする度胸はありませんからね。そんなあなたと是非仲良くなりたいと思って、後をつけたのが幸いでした。おかげでナイフに刺されて死にかけているあなたを助けることができましたから」。


 にやり、と笑うこの世界では珍しく丁寧語を使う男の頭の上にぽふりと小さな妖精が着地した。


 その妖精は赤い髪に緑の瞳だ。


 背中にはラナと違って二対のはねが綺麗にそろっている。


 そしてお姫様をモデルにした人形が着るような豪奢なドレスをその小さな身体に纏っていた。


「何言ってるのよ ! あんたに度胸があろうが、なかろうが、私があんたとデートなんてするわけないでしょうが ! 」。


 そうわめきながら、妖精はタオの髪の毛をむしり出す。


「サ、サラちゃん ! 髪の毛だけはやめて ! 痛い ! 」。


「やかましい ! あんたがもう少し早く追いついていたら、こんな状況にはならなかったんだ ! 」。


 哀願あいがんを無視して、しばらく髪をむしり続けて満足したのか、妖精はテーブルの上に降り立ち、改めてコウに挨拶する。


「初めまして、私はサラ。風妖精シルフ火妖精サラマンダーのハーフよ」。


 燃えるような真っ赤な髪を前に垂らし、サラはお辞儀をした。


「ああ、よろしく。俺はコウだ。タオさんが俺を助けてくれたんだな……ありがとう……そうだ……ラナはどうした ? ポケット。一体あの時何が…… ? 」。


 まだはっきりしない頭で、コウは呼べばいつもこたえてくれるウエストバッグ型のアイテムボックスで「知能を持つアイテムインテリジェンス」のポケットに問いかけた。


 だが返事はない。


 彼の腰には何も装備されていないのだから、当然だ。


「ポケット……どこへ行ったんだ…… ? 」。


 茫然自失となるコウにタオが一枚の紙と若草色のポケットより小さめのウエストバッグを手渡した。


「読んでください。あの「知能を持つアイテムインテリジェンス」がベルトにペンを巻き付けて書き残していった手紙です」。


 コウはそのシュールな光景を思い浮かべながら、手紙に目を通す。



 コウへ


 私は自分が周囲を不幸にする存在だってことを思い出しました。


 だから私は誰も巻き込まないために、一人で地獄へ落ちることにします。


 予備のアイテムボックスに全部のアイテムとお金をいれておきました。


 手切れ金としてあなたにあげます。


 これを使ってラナを助けてあげてください。


 ときどきは私のことを思い出してくれると嬉しいです。


 絶対に、絶対に探さないでください。



「……こっちは後から探しに行っても大丈夫そうだ……。ラナはどうなった ? 」。


 コウは手紙をタオに渡してから、若草色のウエストバッグを装備した。


「そ、そうですか ? あの風妖精シルフも攫っていったのは土妖精ノームでしたから彼女を傷つけることはないと思いますけど……。手紙の方が何か死を匂わせるようなことが書いてありますし、すぐに探しに行った方が……。いやでも『絶対に探さないでください』とも書いてあるし……」。


 あたふたするタオ。


「あー、何と言うか多分大丈夫だと思うわ」。


 それに引き換え、落ち着いた様子のサラ。


「タオさん、この文面をわかりやすく翻訳すると『絶対に探しに来てねっ ! 万が一探しに来なかったら、いつかあなたの枕元に刃物をもって立っているかもしれないよぉ~』となる」。


「ほ、本当ですか ? 」。


「大丈夫だ。俺の経験から言ってタイムリミットは今日の零時だ。日付が変わったらアウトだが、言い換えればそれまでは余裕があるってことだ。それまでにラナを助ければいいさ」。


 何を根拠としているのかは全くわからないが、謎の自信に満ち溢れているコウに思わずタオはうなずいて、話しだそうとした。


「待って ! それより先に確認したいことがあるの ! コウ、あなたは四月の女神様とどんな関係 ? 」。


 タオを制して、サラは真っすぐにコウを見つめた。


「……会ったこともないが、俺は女神様が製作したアイテムを使っている。家出中の『知能を持つアイテムインテリジェンス』のポケットも女神様謹製きんせいだ。それだけのはず……」。


 コウは自身なさげに答えた。


「それだけのはずはないわ。どういうわけか、あなたから四月の女神様の気配が強く感じられるの。何か経路パスがあなたと女神様につながっているみたいな……。相当濃厚な接触があったような……。『御使みつかい』として認められたか……特別な恩寵を受けたか……。もしかしたら人間のあなたに合わせて『職業』として賜っているかも……」。


 食い下がるサラ。


「いや……まるで、全く、本当に心当たりがないな……」。


 冒険者ギルドの登録証に記載された恥ずかしい「職業」を思い出しながらも、わざとらしく首をひねるコウ。


「その……『御使い』というのは女神様の『ヒモ』みたいなものなのか…… ? 」。


 何も知らない風を装い、聞いてみるコウ。


「いいえ違います」。


 タオの当然すぎる返事にコウはどこか安心する。


 彼の職業、「ヒモ」がもしかしたら「御使い」のことではないかという要らぬ心配をしたからだ。


「……正確な例えではありませんが……人間族の女神様が大商会の会長だったとします。そうすると我々人間は各商店の店員です。店員は生まれた時から会長に雇用することを決められています。そしてその待遇も基本的には大元の雇用主である会長が決めています。この店員は『勇者』とかこの店員は『役職無し』とかね。『御使い』は各商店の主人ですね。ですから新たに店員に役職を与えることもできるのです。ただし会長である女神様に申請して許可を得なければなりませんがね」。


「……百年前から四月の女神様は行方不明なの。だから今の妖精族は会長不在の大商会みたいなものよ。新たな店員に誰も役職を与えることができない、つまりは妖精族の強みである精霊魔法を行使する能力をもつ妖精がどんどん減っていって、自らを守ることもできずに、今じゃ人間のオモチャ扱いよ。妖精族だけじゃない。他の種族だって私達に比べればマシだけど、ただの奴隷扱いよ ! 」。


 サラは吐き捨てるように言った。


「どうしてだ ? 他の種族の女神様達は健在なんだろ ? 」。


 コウは怪訝な顔。


「……百年前の戦争で人間族の女神様が『主神』となられました。さっきの例えで言うととんでもない額の遺産が会長の懐に入ってきたので、店員をより給金のかかる役職につけることが容易になったのです。本来ならば予算の関係で一人しか『勇者』の役につけないところを二十人ほど『勇者』にしたりね。そうやって人間族は膨大な戦力をもって他の種族を支配していったのです」。


「だから……もしあなたが四月の女神様の『御使い』ならば、私に力を授けてくれるんじゃないかって思ったのよ」。


 サラはすがるような瞳でコウを見つめた。


「……話が少しズレましたね。『御使い』はさっき言ったように言わば商店の主人です。それに対して『ヒモ』はそのまんま会長の愛人です。会長の寵愛をいいことに商会内で好き勝手に権限を振るえます。自分の判断で予算も考えずにお気に入りの店員を役職につけたり……。店員をまるで自分の召使いのように扱ったり……」。


「なんて迷惑な存在だ……」。


 顔をしかめるコウ。


 地球でも零細企業の社長の愛人が事務として入社してきたり、経営に口を出したりし始めるとロクなことにならないのは周知の事実であった。


「まあ、女神様の『ヒモ』なんてごく一部の人間しか聞いたことのないほど眉唾まゆつば物の存在ですから、実在するかどうかも怪しいもんです」。


 タオは小さく溜息をついてから、一枚のカードを取り出した。


「ところで……あなたの『知能を持つアイテムインテリジェンス』が去っていく時、あなたの身分証を私に渡して行ったんですよ。コウは怪しい人間じゃないからって」。


 タオの手にはコウの冒険者登録証があった。


 そしてそこには「職業:ヒモ(ランク Gゴッデス)」の文字。


 次の瞬間、サラはコウに飛び掛かっていた。


「あ、あんた、やっぱり女神様のヒモなんじゃない !! なんで言わなかったのよ !? 」。


 今度はコウの頭の上で髪の毛を思い切り引っ張るサラ。


「イダダダダ ! 初対面の相手に『どうも、職業はヒモです ! 』なんて言えるわけねえだろ ! だいたい俺には何の心当たりもない ! その職業は冒険者ギルドのミスだ ! 」。


「ミスかどうかは試してみればわかるわ ! 私に恩寵を授けなさい ! 早く !! 早く !! 早く !!!! 他人の財布からほどこしをするようなもんなんだから、あんたには何の損失もないんでしょ !! 」。


 サラはコウの髪を滅茶苦茶にしながら暴れまわる。


「そ、そんなこと言われても恩寵なんてどうやって授けりゃいいんだよ ? 」。


「伝説によると過去に妖精王ハルは空中から花蜜を出現させて、それを飲ませることで妖精に恩寵を授けたことあると言いますが……」。


 タオが、したり顔で腕を組みながら、全くアドバイスになっていないアドバイスを送った。


「そんなファンタジックなことが、神ならぬただびとの俺にできるわけねえだろ ! 」。


「……お願いだから、恩寵を私に与えて……。もう嫌なの…… ! 仲間の妖精がオモチャみたいに人間の子どもに遊び半分で殺されたり、要らなくなったら虫みたいに踏み潰されるのを……何もできずに震えながら見ているだけなんて……そんなのもう嫌 !! 」。


 それは魂の慟哭と言ってもいい、自らの全てを絞り出すような叫びだった。


(クッ……。なんとかしてやりたいが……。……そうだ。空中から花蜜を出現させることはできないけど……アイテムがある ! )。


「試してみるか……」。


 そう呟いて、コウはまだしっくりこない若草色のウエストバッグに手を入れて小さなコップ型のアイテムを取り出した。



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