第8話 空腹


「ピーピー ! ピーピー ! ピーピー ! ……ピピピピピピピピ !! 」。


 寝ぼけているのか、必死にウエストバッグの表面を指でスワイプするコウ。


「私にそんなことをしても無駄です。起きてください。もう9時です。ピー !! ピー !! ピー !! 」。


 マチの薄いウエストバッグ型のアイテムボックスが無慈悲に言った。


「うう……わかったから、そのスマホのアラームみたいな音を出すのをやめてくれ……」。


「私のモノマネの一つ、『アラーム』を体験できてよかったですね」。


「モノマネ ? お前に備え付けられたアラーム機能なんじゃないのか」。


「何言ってるんですか。三分後にはもう一度アラームが鳴る『スヌーズ』のモノマネをしてあげますから」。


「普通にスヌーズ機能だろ……それ……」。


 コウはふらふらと起き上がり、洗面所へと向かう。


 どういう仕組みなのか、テントの中なのに蛇口レバーを回すと水が出る。


 バシャバシャと顔を洗う。


 ちょうどその時、チェリーも目を覚ました。


 ベッドの傍らには大きな籠。


 中身はない。


 身体を起こし、ベッドに腰掛ける。


「……お腹すいた」。


 確かにちょっとだけ人より多めに食べることは自覚していたけど、明らかに今の食欲はおかしかった。


 ゆっくりと立ち上がった彼女は違和感に気づいた。


 ローブの裾と袖が若干短くなっているのだ。


「……寝ている間に無意識にローブのサイズを変更しちゃった ? 」。


 変に思いながらも、サイズ変更可能なローブに魔力を通してピッタリにする。


「これでよしっと」。


 そして部屋を出ようと、扉の前に立った時、彼女は固まった。


 気のせいではない。


 明らかに扉が昨日よりも小さくなっていた。


 しかし扉のサイズは変わるものではない。


 つまりはチェリーが昨日よりも大きくなっていたのだ。


「なんで…… !? 遅れてきた成長期…… ? 」。


 そんなわけがないのは、彼女が一番よくわかっていた。


 あの悪夢の中の老婆を思い出す。


 チェリーには巨人族の血が流れていると言った、あの老婆を。


「そうだ…… ! きっと昨日食べ過ぎたから……。だから食べなければ……大丈夫……」。


 チェリーはぶつぶつと自分を納得させるように呟きながら、身体を曲げて、扉をくぐった。


「おはよう」。


 ちょうど廊下にいたコウが声をかけた。


「……おはよう」。


 チェリーは猫背気味の体勢で返す。


「顔色悪いけど、大丈夫か ? 」。


 心配そうなコウ。


「……大丈夫。朝ごはんはいらないから……」。


 そう言って洗面所へ向かうチェリー。


(……ひょっとしてダイエットでも始めたのかな)。



 この地方で一番大きな街、サーズの周辺には村が点在している。


 村々は農業や酪農を行い、収穫物を街に売りに行くことで生計をたてていた。


 その内の一つで、こんなやり取りがあった。


「ベッティ ! 村を出て行くってどういうことだ !? 」。


 詰め寄る青年。


 農作業の途中だったのか、手には鎌をもっている。


「……街で色々と挑戦してみたいんだよ」。


 彼の詰問に答えたのは、気の強そうな目をした村娘だ。


「挑戦 ? 『魔法使い』とか『戦士』とかの職業を女神様から賜ったならともかく、何の職業も与えられなかったお前が街に行って何ができるって言うんだ !? 」。


 この世界では女神から与えられた職業は言わば「恩寵」であった。


 「魔法使い」ならば魔法を使うことができるし、「戦士」ならば頑強な肉体を授かる。


 彼らは女神様の恩寵を授かった者として尊重される一方、その職業の役割を果たすことを求められた。。


 チェリーのように職業を与えられても、その効力を発揮出来ない者は別として。


「わかっちゃいないね。『何でもない』からこそ『何にでもなれる』のさ ! 女神様が授けてくれる職業以外ならね。だから私は料理人になるかもしれないし、お花屋さんになるかもしれない、それにもしかしたら舞台の上に立つ女優にだって…… ! 」。


「は ? お前みたいなただの村娘がそんなもんになれるかよ ! いいか ! この村で生まれた者はこの村で生きて、この村で死んでいくんだ ! それが決まりだ ! 」。


「……村長の息子で『村人』の職業を授かって、一生この村に縛られ続けるあんたには理解できないだろうね」。


 憐れむような、それでいて力を持った視線が青年を射た。


「わかったようなことを言うんじゃねえ ! 」。


 青年の手が娘の頬を力一杯、張った。


「……気は済んだかい ? ともかく私は明日この村から出て行くから」。


「お前は……俺の婚約者なんだぞ ! 」。


「そんなのはあんたの父親が勝手に決めたことさ。私が従う義務はないよ」。


 にべもなく言い放ち、娘は踵を返して去っていく。


 後に残されたのは怒りで震える青年。


「そんな勝手が……許されるものか……。お前はずっとこの村にいるべきなんだ……。俺と一緒に……」。


 鎌を握りしめる手に力が入る。


 そしてそんな青年の様子を草むらから見つめる一つの大きな瞳があった。



 コウとチェリーは森の中を歩いていた。


「お、おい、あれってもしかして ? 」。


 コウが何かに気づいて、指さす。


 その指の先にはうねうねと蠢く大きな青色の粘菌のようなモノがいた。


「スライムね。動物やモンスターの死骸を餌にしてるから、森の掃除屋と言われてるわ」。


 チェリーが転移者であるコウに教えてくれた。


「やっぱり ! すごい ! 」。


「そう ? 珍しくもないモンスターだけど」。


 ゲームや小説などの創作物のおかげで、日本では最も有名となったモンスターの登場にコウは興奮した。


 そこにチェリーとの温度差は否めない。


「コウ、あのスライムの魔石を採取してください。アイテムのメンテナンスに必要です」。


 腹部のアイテムボックスから声がした。


「採取って言っても……」。


 よくよく観察してみると、内部に紫色の小さな石がある。


「魔石の周辺部分だけを風魔法で吹き飛ばせば、簡単にとれるはずよ」。


 チェリーは無造作にスライムに近づき、なにやら呪文を唱えた。


 すると周辺に気圧差が生じたのか、強い風が吹き始める。


「ウインドバレット ! 」。


 彼女の叫びとともに、地面が大きくえぐれた。


 その大きな穴には、何もない。


 そして飛び散ったスライムまみれとなった男と女。


「ご、ごめんなさい ! 魔力を込め過ぎたみたい……」。


 大きな身体を縮こませるチェリー。


「フフッ !! やり過ぎだって !! 」。


 スライムを見てからテンションが高まっていたコウは怒るどころか、大笑いしながら軽く彼女の肩を叩く。


 友達にやるように。


 一晩一緒に過ごして、チェリーが身体は大きいけれど普通の、どちらかと言えば気の弱い女の子だとわかり、恐怖心は薄まっていた。


「それにしても思ったよりベタベタしないな。なんでだろ」。


「それは魔石が取り除かれたからです。スライムの魔石はその身体の粘度を調節する機能がありますから。それが必要だったんですが……」。


「あっちにもう一匹いるな。よし行くぞ ! 」。


 スライムまみれの男はスライムまみれの女に笑いかけて、走り出す。


「ま、待って ! 」。


 別においていかれるわけでもないのに、チェリーは慌てて追いかける。


 二匹目はなんとか出力を押さえて、魔石を上手くその身体から弾き出せた。


 ようやく採取を終えて、アイテムボックスから取り出したアイテム『洗濯の杖コインランドリー』をチェリーと自分に使うコウ。


 杖から放たれる青い光が二人のスライムにまみれた身体を綺麗にしていく。


「チェリーはスライムなんて慣れっこかもしれないけど、俺は初体験だから。なんていうか『冒険』してるって楽しさがあるよ ! 」。


 コウの興奮はまだ冷めない。


(ああ、そうだ。私も昨日から、コウと出会ってから、楽しかった。今まで荷物持ちポーターとして他の冒険者達と行動しても何も楽しいことはなかったのに……)。


 他に仕事がなくて荷物持ちポーターをやる人間の扱いは、はっきり言って良くない。


 重い荷物を持たされて、最後尾を一人で歩かされる。


 戦闘では邪魔者扱い。


 食事の用意をさせられるが、皆が食べ終わった後にその残飯を食べるだけ。


 夜は見張りでほとんど眠れない。


(昨日は、なんだかんだ二人で食事の準備をして、一緒に食べて、一緒にテントに泊まって……。ああ、そうだ。命の恩人でもあるけれど……コウは初めてできた私の冒険の仲間なんだ ! )。


 いつの間にか、身体についた頑固なスライム汚れはすっかり落ちていた。


(一度もサーズの街から出たことがない私は旅をしたくて冒険者を目指してた。もっとコウと一緒にいろんな場所へ行ってみたい ! そのためにもこの狂いそうな空腹をなんとか我慢しないと……)。


 チェリーがお腹をそっと押さえた時、悲鳴が聞こえた。



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