第9話 蜘蛛



 両親が死んでから、一人きりの家で、彼女は荷造りをしていた。


 とは言っても、日用品や着替えをお気に入りのリュックサックに詰め込むだけ。


 街までは徒歩で三日かかるが、その間にモンスターに出会うことも滅多にない。


 逆方向の森へ向かえば話は別だけど。


「今日でこの家ともお別れか……」。


 祖父母の代から建て替えられていない小さな平屋の家を見渡し、彼女は感慨にふける。


「…… ! 何……今の ? 」。


 彼女が窓を眺めた時、ちょうど何かが窓の外を通った。


 横に通り過ぎたのならば、村の誰かだろう。


 だが、それは上に向かって錬金術師謹製の透明なガラス窓を通り過ぎて行った。


 つまり家の壁を何かが登って行ったのだ。


「猿 ? でももしモンスターだったら……」。


 家から逃げ出そうか迷ったが、外に出て襲われるのも怖い。


 とりあえず煙突から侵入されないように、ベッティは暖炉に火を入れた。


 暖をとる必要がある時期ではなかったが、頻繁に料理に使う火を暖炉でまかなっていたおかげで、薪もあるし、すぐに炎が燃えあがる。


 ほっと一息ついた彼女は、もう一度窓を見て、固まった。


 外が見えなくなっていた。


 窓が白い何かに覆われているのだ。


 ベッティは動揺しながらも、外に通じる扉の前に行き、カギを外して少しだけ外の様子を見ようとして、それを果たせなかった。


 何故なら、全く扉が動かなかったからだ。


「閉じ込められた…… ? そんな……なんで…… ? 」。


 今にもこの村から出て行こうとしてたのに、タイミングの悪さを呪いながらも彼女は保存食と汲み置きの水を確認する。


「なんとか二日くらいは大丈夫ね……。その間に村の誰かが何とかしてくれるか……無理でも街で冒険者か警備兵に頼めば……」。


 そう算段をつけると、彼女は暖炉の前の椅子に腰かける。


 薪がはぜる音以外は何も聞こえない。


 その静けさが不気味だった。


「私の家がこんな状況なのに、誰も騒いでいないなんて ! ひょっとして外からは異常がないように見えるの ? それとも……みんな同じように閉じ込められている ? 」。


 良くない想像ばかりが膨らんでいく。


 ふと気配を感じて窓を見た。


 一面、びっしりと白いものに覆われていたはずなのに、隙間ができていて、そこから何かがのぞいていた。


 悲鳴をあげるベッティ。


 それはスッと窓から離れて行ったが、白いものの隙間はそのままだった。


 彼女はおそるおそる窓に近づいて、外を確認して、強硬手段に出ることを決意した。


 先ほど覗いたモノと、外の状況が籠城していても良い結果にならないことを彼女に教えたからだ。


 暖炉から燃える薪の一本を取り出して、中味はたっぷり藁のつまったベッドマットへと放る。


 木一本分の火はすぐに大きな炎となり、壁を焼き始めた。


 彼女は部屋の隅にうずくまって、もうもうと上がる煙を避けながら、その時を待つ。


(一年前に村を出て街へ行ったヘンリエッタちゃんも、家族と揉めて出発するのに苦労してたけど……。家族のいない私がこんなに恐ろしい思いをして脱出しなきゃならなくなるなんて思いもしなかった……)。


「やっぱり村から街に移り住むって大変ね」。


 ベッティは自嘲的に頬を歪めて、燃え崩れて外が見えた薄い壁に向かって、走り出した。


 燃え落ちる家から文字通り飛び出した彼女は、ゴロゴロと転がり、服に燃え移って大きくなろうとする炎を消して立ち上がり、走り出す。


 街の方ではなく、森の方へ。


 本来の目的地に通じる道のある方角から、わらわらと彼女へと向かってくる者たちがいたからだ。


 走りながら、白いものに覆われている家々を見やる。


(私の家もああなってたのね。あの糸に覆われて)。


 小さな村を横断して、彼女は森へと入る。


(森から村を迂回して街に向かおう ! その間に冒険者に会えれば……)。


 彼女はそう計画立てて、転んだ。


「え…… ? 」。


 思い通りに動いてくれなかった脚を見ると、両方に白い糸が絡みついていた。


 そして顔をあげて、近づいてくる者たちを間近に見て、ベッティは始めて悲鳴をあげた。


 その異形いぎょう達の不気味さによるものではない。


 彼らの顔に知り合いの面影を見たせいだし、彼らが着ていた服に見覚えがあったからだ。


「……なんだこいつら ? 蜘蛛人間 ? 」。


 唐突に若い男の声がした。


 顔には真っ黒な四つの瞳。


 口からは大きな二本の牙がはみ出し、脇腹からは細長い虫の脚が何本か飛び出して、無軌道に動き回る。


 それでいて、基本は人間であった。


 そんな彼らを見ての発言。


「助けて !! 」。


 ベッティは藁にもすがる思いで、声の主に懇願する。


 この辺りは森でもモンスターがほとんど出現しない場所だ。


 それでもその男はなんの武器も防具も身に着けていないのには違和感があった。


 ただ腹部にウエストバッグをつけているだけだった。


 しかしその男の後ろの木陰には大きな人型の何かが控えていた。



「……こんなの初めて見るわ。人間が蜘蛛に変化する途中みたい」。


 可愛らしい声だ。


(てっきり「モンスターテイマー」と使役されるゴリラのモンスターかと思ったけど、違うみたいね……)。


 ベッティは改めて大きな人影を見る。


 大柄だけど、女性だ。


 コウとチェリーの二人だった。


 森の中で悲鳴を聞いて駆け付けたのだ。


「邪魔……するな。村のモノを……連れ戻す……だけ。村のみんなは……絆でつながってる」。


 一匹が声を出した。


「何が絆よ !! しがらみで村から出て行こうとする人間を縛りつけるくせに !! その上今はそんな姿になって、吐いた糸で私を村に縛り付けようっていうの !? 」。


 ベッティは激昂した。


 せっかく村から街へ出発する彼女にとって門出かどでとも言える日を、化け物のような姿となった村人に滅茶苦茶にされた彼女には当然怒りが沸き上がる。


 蜘蛛人間はそれに取り合わずに、チェリーに話かけ始めた。


「……そこのデカい化け物みたいなのは……ひょっとして……女か…… ? 力が強そうで……畑仕事に向いてる……。お前にお似合いの……男が村にいる……45歳で……子ども三人……前の奥さんは働かせすぎて……死んだ……。村に……嫁にこな……」。


 大きな破裂音が森に響き渡り、蜘蛛人間の頭が弾け飛んだ。


「……せっかくだけどに合ってるわ」。


 人差し指を前に突き出したチェリーが低い声で言った。


 空腹のイライラもあって、風魔法を警告も無しに撃ったのだ。


 残り三匹の蜘蛛人間達は一斉に襲い掛かってくるが、みな身体のどこかに大きな風穴を開けて倒れた。


「さすが『賢者』だな」。


「こ、これくらい大したことないわ ! 」。


 本当は初めて実戦で魔法を使う彼女は、動く標的に対しては何発か外して結構焦ったのだが、なんとか普通の「賢者」や「魔法使い」では考えられないほど魔法を連発して当てることに成功したのだった。


「大丈夫か ? 一体何があった ? 」。


 コウは倒れているベッティに近づき、両脚に絡まる太い糸を外してやる。


「ありがとう…… ! 私はベッティ。近くの村に住んでたんだけど……」。


 ベッティは簡単に事情を説明する。


「村全体がおかしくなっているのか。どうする ? 」。


 アイテムのメンテナンスを開始する、と言って以降まるで喋らなくなったアイテムボックスの人工知能「ポケット」に頼れないコウはチェリーに相談する。


 なにしろこの世界に来てから一日しか経っていないのだ。


 右も左もわからない。


「……人間がモンスターに変化する事態は最優先で冒険者ギルドか警備隊に報告する義務があるの。だから村を迂回して街へ向かいましょう」。


「わかった」。


 コウはうなずいた。


 もとより自分には判断のしようのないことだ。


「お願い ! 私も一緒に街へ連れて行って ! 」。


 コウはチェリーを見る。


「…………いいわよ」。


 ゆっくりと三人は歩き出す。


 コウの隣にはベッティが並び、その後ろからチェリーが続いた。


(……モンスターになったとは言え、同じ村の人間が死ぬところを間近で見たんだ。ショックも大きいだろうな)。


 彼はまだ、ベッティの強さとチェリーの弱さを知らなかった。


 後ろから見ると、コウの黒い髪より頭一つ分ほど低い位置に、くすんだ金色の長い髪がある。


 時折、気の強そうな大きな青い瞳でコウを見上げて、話しかけている。


 コウは転移者であることを隠しているようで、当たり障りのないことを笑顔で返す。


 楽しげな二人を高い位置から見下ろしながら、チェリーは空腹でふらつく頭で思う。


(……やっぱり食べないとダメだ……。力が入らない……。このままだと戦えない。……でも食べたらまた身体が大きくなっちゃう……。コウは……やっぱり自分より背の低い女の子の方が好きなのかな……。なんだろう…… ? さっきまでコウと一緒にいてすごく楽しかったのに……今はなんだか、苦しい……)。


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