第10話 ブレッドメーカー・ブレイカー



 夜の森、焚火の光が闇の浸食を半径数メートルほど押しとどめてくれている。


 焚火を囲んでいるのは三人。


 その内の一番小さな人影から声があがった。


「おいしい ! こんなにおいしいパンを食べたのは初めて ! 」。


 大げさに喜んでみせる少女。


 気の強そうな顔がほころんだ、その笑顔はとても可愛らしいものだった。


「好みに合って良かった」。


 コウも喜んでもらえたからか、嬉しそうにこたえる。


 コウの前には細い木のツルで編まれたふたのつきの四角いパン用バスケットが置かれている。


 人工知能付きアイテムボックス「ポケット」の中に収められていたアイテムナンバー011「みんなのパン屋さんブレッドメーカーブレイカー」だ。


 蓋を閉じて、魔力を込めれば思った通りのパンが焼きたてで出てくるという手軽さは、わざわざ特注の大きなパン窯を作り、原料の小麦粉も選別し、修行によって身に着けた技術でもって、丹精込めてパンを焼いているパン職人から刺客を放たれても文句を言えないほどである。


「チェリー、本当に食べないのか ? 」。


「……お腹すいてないから、いらないわ」。


 心配そうなコウに、チェリーはやせ我慢で返す。


 本当は今にも狂いそうなほどに空腹なのに。


(昨日から10センチほど背が伸びてる……。もしこのペースで伸びたら、十日で1メートルも大きくなっちゃう……。きっと昨日は食べ過ぎたからだ。食べなかったら、きっと大きくならない……)。


 焚火の前で、大きな身体を丸めてなるべく小さくなっているチェリー。


「……でも、食べないと身体がもたないんじゃ……」。


 空腹によるイライラが頂点に達していた彼女にとって、コウの気遣いはわずらわしいだけだった。


「いらないって言ってるでしょ !! そんなに食べさせたいんだったら、そっちの小さくて痩せっぽっちな女にいくらでも食べさせてればいいじゃない !! 」。


 そう怒鳴るとチェリーは立ち上がって、森の暗がりへと歩き出す。


「どうしたんだ…… ? 」。


 コウはその背中を追いかけるが。


「ついてこないで !! しばらく一人にさせて !! 」。


 とチェリーに言われて、立ち止まった。


 彼女は森の闇を進み、コウから見えないくらい離れた場所で、へたりこんだ。


「なんで怒鳴っちゃったんだろう……私にひどいことをしてきた人達には怒鳴れなかったのに……」。


 チェリーの脳裏には、驚いたように目を見開いたコウの顔がまだ焼き付いていた。


 そもそも食事をとらないのは、コウに自分が巨人族とのハーフだと、化け物だと知られて嫌われたくないというのも大きな理由の一つなのに。


 ガサリ、と彼女の前の草むらが揺れた。


「コウ ? 」。


 ついて来るなと言っておきながら、追いかけてきてくれた嬉しさで、彼女は顔を上げた。


 そもそも、コウならば後ろからくるはずだ。


 そこにいたのは化け物だった。


 身体は人間。


 村人のような服。


 ただ頭が蜘蛛だった。


 顔が蜘蛛の顔だというのではない、人間の頭ほどの一匹の蜘蛛のお腹から首が生えて人間の身体に続いているのだ。


 咄嗟に魔法を放とうとするチェリーを蜘蛛人間の手が押しとどめる仕草をして、話しだした。


「まて。お前と争う気はない。俺の目的はベッティだ。あいつさえ村に返してくれれば、すぐに去る。ずっと観察していたが、お前の目的はあの男だろう ? ベッティがいなくなることに何の問題があるんだ ? 」。


 頭の蜘蛛がわしゃわしゃと気持ち悪く八本の脚を動かしながら、交渉を持ちかけて来る。


「モンスターと取引はしないわ ! 」。


「どうしてだ ? 俺もお前も似たようなものだ。化け物であっても、化け物となってもちからづくで、好きな人間の側にいたいんだろ ? なあチェリー・ミルフォード ! 」。


 頭の蜘蛛は当然無表情だが、身体の方は大きく両手を広げて、高ぶる感情を表現していた。


「どうして私の名前を !? 」。


 驚愕するチェリー。


「俺に力を授けてくれた方がお前を知っていた。巨人族とのハーフなんだってな。その筋力であの男の脚をもいでしまえよ。そうすれば逃げられる心配もなくなるぞ」。


「あんたがベッティを蜘蛛の糸で縛り上げるように ? 私は……そんなことしない ! 私は人間としてあの人の側にいたいの ! 」。


「強がるなよ。お前は自分が化け物であることをあの男に隠して近づいたんだろ ? それがお前の言う『人間』のすることなのか ? 」。


「……うるさい !! あんたに私の何がわかるの !? 」。


 チェリーの指先から、空気の弾がすさまじい速度で撃たれ、蜘蛛男は数メートル吹き飛んだ。


 ぐらり、とチェリーの身体と視界が揺れる。


 もう限界だった。


 倒れこむ彼女に、誰かが駆け寄ってくる。


 こんどこそ、コウだ。


「チェリー !! 大丈夫か !? 」。


 仰向けに倒れている彼女に懸命に呼びかけるコウ。


「……ねえ、コウ、私……あなたに言わなきゃならないことがあるの。だから聞いて……」。


 腹部につけたウエストバッグ型のアイテムボックスを探って回復薬を出そうとする彼の腕をチェリーは優しく握って止めた。


「私……人間と巨人族との間に生まれた子なの。今は人より少し大きいだけだけど、もしかしたらそのうち数十メートルまで大きくなるかもしれない……。そんなの……化け物だよね……」。


 コウは黙ってチェリーを見つめていた。


「だから少しでも……大きくならないように食事をとらなかったんだけど……そのせいでもう動けなくなっちゃった……。間抜けだよね……」。


 チェリーもコウを見つめた。


「コウ、どうする ? 私、人間じゃないけど、今の内に……まだ巨人にならない内に殺しておく ? 巨人になったら理性も失うかもしれないし……」。


 悲痛な顔のチェリーに、コウは静かに言う。


「なあ、チェリー。もし逆にお前が人間で、俺が化け物だったらどうする ? 殺すのか ? 」。


「え ? 」。


 チェリーは一瞬、きょとんとした顔になる。


 そしてしばらくしてコウの言いたいことがわかった。


「……殺せるわけないじゃない…… ! 殺せないよ……。出会ってからそんなに時間は経ってないけど……あなたは私の大事な人だもの……」。


「俺だってそうだ。この世界で初めてできた友達なんだからな」。


 そう言って、コウは笑った。


 数メートル先の草むらの中で、蜘蛛人間が起き上がる気配がした。


「コウ……。私を置いて逃げて…… ! 」。


 コウはその懇願を無視して、ポケットに呼びかける。


「ポケット ! 緊急事態だ。『三十六計逃げるに如かずテレポートバッジ』を使うぞ ! 」。


「いいんですか ? あれは一人用ですよ」。


 スライムの魔石を入手してから、ずっと静かだったウエストバッグがようやくこたえた。


「なんだと !? それじゃあ意味がない。攻撃用のアイテムはまだメンテナンスが終わらないのか !? 」。


「一つだけ終わりましたけど……かなり大きな代償が必要ですよ。入手済みの魔石をあなたの身体に埋め込んで、モンスターの力を得るアイテムです。あなたの身体と魔石の相性が悪ければ、昼間の蜘蛛人間の出来損ないみたいになりますし、相性が良ければ目の前の蜘蛛人間みたいになれます」。


「……どっちにしろ地獄か」。


 コウはゆっくりと起き上がった蜘蛛人間を睨みつける。


「『三十六計逃げるに如かずテレポートバッジ』を使ってください。彼女達を見捨てても数か月から数年の間、心が痛むだけです。しかし化け物になれば、死ぬまで鏡を見るたびに後悔しますよ。地球に帰っても家族に拒絶されるでしょう」。


「……さすが人工知能だ。一切気を使わずに嫌なことをズバズバと言いやがる」。


 コウは拳を握りしめ、顔を歪めながら瞼を閉じて考える。


(姉ちゃん……どうしたらいい ? )。


 彼は家族の中で一番仲が良く、意外と頼りにしている姉に心の中で問いかけた。


 すると、ある時の光景が思い出された。


「姉ちゃん、せっかく希望していた会社に就職できたのに……上司を殴ってクビになるなんて……」。


 ああ、これは、姉が引きこもりになるキッカケの事件の後、二人で河原を歩いている時のことだ。


「しょうがないさ。セクハラされて泣いてる同期の女の子を見たら、助けないわけにはいかないよ」。


 あっけらかんと言う姉。


「でも……後悔しないのか ? 」。


「しないさ。コウ君、人間はね。心の中に鏡があるんだ。洗面所の鏡と違って、どれだけ綺麗にごまかしても、自分の本質を映しだす鏡が。その鏡に困ってる人を見捨てた卑怯な自分が映るなんて私はイヤなんだ。ま、要は自分の心を常にかえりみろってことかな。正しい行いができるように」。


「姉ちゃん……。まるでヒーローみたいなこと言うね」。


「そうさ ! お姉ちゃんはヒーローなのさ ! 」。


 無意味に走り出す姉を追いかけるコウ。


(自分の心の鏡に恥じない、正しい行いか……)。


 コウはゆっくりと目を開けた。


 蜘蛛人間はチェリーの魔法によるダメージもすっかり回復したようで、こちらに向かって歩いてくる。


「ポケット ! そのモンスターになるアイテムを俺に使え ! 」。


「本当にいいんですか ? 」。


「ああ、ここでチェリーを見捨てて逃げるなんてことはできない ! 」。


「……まだ若いからでしょうか。甘いし、バカですね。そんなことでこれからこの世界で生きていけるんでしょうか。でも『ライオンさんとウサギさんは一緒に仲良くマシュマロを食べてるんだよぉ、なんて考えてるような頭のイタイ女』には気に入られるかもしれませんね」。


「何をぶつぶつ言ってるんだ ! 早く ! 」。


 蜘蛛人間がもう眼前に迫っていた。


 その時、光がコウを包んだ。



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