第2話 愛の経口回復薬


 目の前の光景が信じられないコウ。


「な、なんだこれは ? 」。


「『グリーンドラゴン』と『賢者』です。『賢者』の方は、まだ生きてます」。


 普通に喋るウエストバッグ。


「賢者 ? そう言えばゴリラのことを森の賢者と言うが、そういうことか」。


 コウは焼かれて黒くなっているゴリラを見やる。


 おそらく側に倒れている恐竜と殺し合って、相打ちになったのだろう。


「しかしゴリラが焼かれているとは、異世界だからドラゴンに火を吹かれたという設定か ? 」。


 この状況が、暇を持て余した金持ちの娯楽だと予想しているコウは訝しげに二体のモンスターを観察した。


 しかし二体はどう見ても本物にしか見えない。


(万が一、本当に万が一、このゴリラが『人間寄りのゴリラ』じゃなくて『ゴリラ寄りの人間』であった場合、どうなる ? この二つは似ているようでまるで違う。前者を見殺しにしても罪に問われることはないが、後者であった場合、適切な処置をとらなければ保護責任者遺棄致死罪となる…… ! )。


「おい ! なんとかしてこいつを助けられないのか !? 」。


「私の中に『回復アイテム』があります。それを念じながら手を入れてみてください」。

 切迫している状況にも関わらず、相変わらず感情がまるでない返答が、腹部のウエストバッグから返ってきた。


「そんなことが本当にできるのかよ……」。


 疑いながらもコウは言われた通りにウエストバッグのジッパーを開き、手を入れてみる。すると何かが自然と手の中に納まった。


「なんだ ? これは ? 」。


 取り出した手に握られた小さな茶色の瓶。


「アイテムナンバー003『愛の経口回復薬ラヴポーション』です。経口けいこうで使用してください」。


「けいこう ? 口から飲ませる経口か。これを飲ませたらいいのか ? 」。


「そうです。ただし『口移し』で飲ませないと効果はありません」。


「は ? 」。


「私の中のアイテムは恐ろしいほどの効果を発揮します。大きな力に大きな代償が伴うのは、当たり前です。ちなみに過去にこれを使用した者は、回復した相手に刃物で刺されること三回、殴られること五回、そのまま熱烈なキスに発展したことが一回あります」。


「完全に使用後の人間関係が破綻はたんしてるじゃねえか。……でも最後のキスに発展したっていうのはまだ救いがあるな……」。


「男同士でしたけどね」。


「何考えてこんな回復アイテム作ったんだよ !? その後の人間関係が回復不可能になってるだろ ! 」。


「それは偉大なる製作者様に聞いてください。ともかく、どうするんですか ? 救うのですか、それとも見捨てるのですか ? 」。


 うう、と苦しそうな呻き声が聞こえた。


 黒焦げの顔からだ。


 コウは、覚悟を決めて小さな瓶をあおり、そっと口をその呻きのもれる唇へと触れさせて、中味を流し込み、すぐに離れる。


 離れた時には、すでに黒焦げであった全身が回復していた。


「ゴリラ寄りの人間……しかも女性か……これは隠れた方が良さそうだな」。


 現代日本でも男が女性相手に人口呼吸を行ったら、回復後にセクハラで訴えられたという都市伝説があるくらいだ。


 こんなわけのわからない状況であっても、コウは訴訟回避のために大きな木の後ろに身を隠した。


「……おかしいですね。本来ならば口移しをしている最中に意識が戻って、修羅場となるはずなのに……」。


 少しだけ残念そうに喋るウエストバッグ。


「お、おい ! あれなんだ ? 」。


 コウがゴリラではないかと思ったほどに筋骨隆々の女性の身体に光でできた鎖が浮かび上がる。それは女性に巻き付いていたが、小さな破裂音と共に弾け飛んで、消えた。


「……封印魔法です。あの女性の何かを封じていたようです。何か条件が満たされたので解除されたと予想できます」。


「条件 ? 死にかけてから蘇るとか ? 」。


「わかりません」。



 全身に絶え間なく走る苦悶の中、ふと唇に柔らかいものが触れた感覚があり、何かが流し込まれた。


 それは全身に染みわたり、みるみる痛みが消えていく。


 急速に浮かび上がろうとする意識を、何かが暗闇に留めた。


 どこまでも続く暗闇の中、職業「賢者」、チェリーの前に一人の女性が立っていた。


「これは……夢 ? 確かグリーンドラゴンに襲われて……」。


「夢じゃありませんよ。ようやくあなたの封印が解けたの。おめでとう ! チェリー ! 」。


 目の前の女性が小さく拍手する。


 顔は老婆なのに、髪は艶々とした紫色で、背筋もしゃんと伸びて、スタイルも良い。


 そのアンバランスさがなんとも言えない不気味さをかもし出していた。


「封印 ? 」。


「そうよ ! 今まで魔法が使えなくて辛い思いをしたでしょ ? それももう終わり。私が開発した封印魔法『つければつけるほど鍛えられる重りギブス』の効果であなたは常人ではけして辿たどり着けない境地に達したのよ ! 」。


「そんな……じゃあ今までの苦労はみんなあなたのせいだって言うの !? 」。


 チェリーは憤る。


 職業判定で「賢者」とされながらも、彼女はどうしても魔法が使えなかった。


 どれだけ練習しても、魔法書を読み込んでも、モンスターを倒しても。


 それでも冒険者となる夢を諦めきれなかった彼女は「荷物持ちポーター」としてさまざまなパーティーに同行したが、その扱いは悪かったし、ひどくバカにされた。


 おまけに荷物持ちポーターを始めてから、その負荷以上に筋肉が異常に発達し始め、身長も伸びた。


 おかげで「巨人族の呪いのせいで魔法を使えない賢者」と噂になり、物珍しい目で見られるはめともなった。


「そんなに怒らないの ! これからは思う存分魔力を使えるんだから ! 」。


 皺だらけの顔が小さく舌を出して、ウインクした。


 それになにか言いようのないおぞましさを感じながらも、チェリーは疑問をぶつける。


「……封印魔法は何か解除する呪文か特定の行為があるはず。それは何だったの ? 」。


「うふふ。知りたい ? それはね……男の子からのキスです !! 素敵でしょ !? 」。


 キャッと顔を両手で覆う老婆。


 あっけにとられるチェリー。


「ふざけてるの !? そんな……そんなことで…… ! 」。


「ふふ、起きたら目の前にその男の子がいるかもね !? ドキドキしちゃうでしょ !? 」。

「……グリーンドラゴンのブレスに焼かれて死にかけてる私にキスする変態が目の前にいるかと思うと、別の意味でドキドキするわ」。


 凄まじい目力で睨みつけるも、老婆は気にもしない。


「あら ? 少なくともあなたのことを想ってキスしてくれたはずよ。そうしないと解けないように設定してあるもの。回復薬を口移しで飲ませてくれたのかもね」。


 それを聞いて、すこしだけチェリーの表情はやわらぐ。


(そう言えば、唇に柔らかい感触があってから、痛みを感じなくなった……)。


 思わず唇に手をやる。


「ふふふ……。それでね。あなたは目が覚めたらね。その男の子を……殺しなさい」。


「え ? 」。


「まずはあなたを想ってくれた人を殺すの。それが最初。そして次にあなたと関係のある人。それからあなたと関係のない人。全て殺しなさい」。


 先ほどとは打って変わって無表情の老婆。


「な、なんでよ !? なんでそんなことしなきゃならないのよ !? 」。


「何言ってるの ? 散々人間の傲慢さに苦しめられたでしょ ? あなたのその人間離れした身体、まるで巨人族みたいだって。奴らは人間以外をしいたげるモンスターよ」。


「なに言ってるの !! 私だって人間よ !! 」。


 チェリーは叫んだ。


 どうしようもない不安を吹き飛ばすように。


「……違うわ。あなたは人間じゃない。正確には半分だけね。私が巨人族の男と交わってあなたを作ったの。この大賢者メリー・ミルフォードがね」。


 誰もが知る、伝説の大賢者の名前に驚愕の表情となる。


「素敵だと思わない ? 人間の身体では耐えられないほど強力な魔法も巨人族なら問題なく使えるわ。それなのに巨人は魔法が使えない。だから私の魔法の才能を持った巨人がいれば、全てを破壊できるわ ! ……それがあなたよ。チェリー・ミルフォード」。


「嘘よ !! 」。


「嘘じゃないわ。殺しなさい。殺しなさい。殺しなさい。殺せ。殺せ。殺せ !! ころ……何 ? まさか『洗脳魔法わたし』を状態異常と判断して……馬鹿な ! そんな回復薬なんてあるわけが…… ! 」。


 プツリ、と暗闇が消えて、再び意識は浮上を始める。


 チェリーは瞼を開けると、すぐに身体を確認した。


 とても肌触りのよい白い布が自分に被せてある。


 痛むところはどこにもない。


 自分のすぐ脇には、首の折れたグリーンドラゴン。


 無我夢中でブレスに焼かれながらもチェリーがへし折ったのだ。


「信じられない……確かに丸焼けになったはずなのに……」。


 かけられている布はどうやらローブのようだ。


「小さいけど……え ? 」。


 彼女の身体に比して小さなローブを羽織ると、ちょっとだけ魔力を吸われた感覚があり、ローブは大きくなった。


「もしかして魔道具 ? 」。


 瀕死の重傷から自分を回復させて、こんな高価そうな魔道具までかけてくれた恩人は、数百メートル離れた場所から、様子をうかがっていた。


 ジャストサイズとなったローブを羽織る女性を見ながら、コウは深く息を吐いた。


「……どうやら大丈夫そうだな」。


「良かったんですか ? アイテムナンバー012『一生もののローブグロース・レコード』をあげてしまっても。あれは魔力を通すとどんなサイズにもなる仕立屋いらずの品物なのに……」。


「だって裸で放置するわけにもいかないだろ。それにあのローブを身に着けていると服飾ギルドから嫌われるとかいうわけのわからない代償があるしな」。


「それは当然でしょう。本来なら買わなければならない子ども服から大人服まで、あの一着があれば、買わなくても済むんですから。そんな品物を持つ者が彼らから憎まれないわけがないです」。


「そりゃそうか」。


 コウは軽く肩をすくめた。


「あの女性と接触しなくていいんですか ? 」。


「もし口移しをしたことを覚えているとややこしいことになりそうだから、いいよ。それにあれだけの恵体に暴れられると、正直怖い」。


 ぶるりと震えるコウ。


「さっき『鑑定』してみましたが、彼女ならば簡単に手で握りつぶせますよ」。


「何を ? リンゴとか ? 」。


「人間の頭部です」。


「やっぱり『人間寄りのゴリラ』じゃないのか ? 」。


 もう一度、様子を見ようと木の陰から顔を出したコウの視界に、大きな白い布が映った。


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