第3話 三十六計逃げるに如かず
身長は二メートル前後、発達した筋肉は今はゆったりとした白いローブに包まれて見えない。
それでも先ほど彼女が全裸であった時に、それを見たコウの恐怖が薄れることはなかった。
もし仮に本当にここが異世界ならば、相手がどんな倫理観を持っているかわからないし、習慣もわからないからだ。
例えば地球では挨拶である握手も、もしかしたら挑発行為かもしれないのだ。
簡単に彼の頭を握りつぶせそうな大きな手を持つ彼女と相対して、コウは考える。
(ここは余計なことをせずに、最低限がいい。必要以上のことはしない方が安全だろう。……となれば)。
「オレ オマエ ナオシタ。 オレタチ トモダチ。 オマエ モリニ カエル。 オレ マチヘ イク。 マタ イツカ アオウ。 ゲンキデナ」。
そう言うと、くるりと彼女に背中を向けて、コウは歩きだす。
(フフッ ! 完璧だ ! )。
「……そっちは森の奥だけど……街に行きたいんじゃないの…… ? 」。
ピタリ、と脚が止まる。
この世界では珍しい黒い髪の毛を恥ずかしそうに掻きむしりながら、青年が振り返った。
女性からすれば、瀕死の自分を救い、全裸の自分に高価なローブまでかけてくれた相手。
その上どうやら回復薬を口移しで飲ませてくれたらしく、それが彼女にとって初めてのキスともなれば、多少のバイアスがかかって見えるものだ。
彼女は熱のこめられた茶色い瞳で、コウを見つめる。
(なんか、ものすごく睨まれてるんだが……。ひょっとして回復薬を口移しで飲ませたのがバレてるのか…… ? )。
少し癖のかかった短めの茶色の髪で、ほりが深い顔。
いわゆる濃い顔だ。
(輪郭で損をしてるタイプだな。顔周りも筋肉がついて逞しすぎる)。
そんな失礼なことを考えているとも知らずに、女性が口を開く。
「助けてくれてありがとう。私はチェリーよ。職業は『賢者』。あなたはひょっとして転移者 ? 言葉も片言だし、珍しい黒髪黒目だし……」。
「あ、ああ。どうやらここは異世界らしいな。俺はコウだ。よろしく」。
一体今、自分は何語を喋っているのだろうか、と思うコウ。
彼はもはやここが本当は地球ではないか、という疑念、いや希望をほとんど捨てていた。
地球で、あんな重度の火傷が一瞬で治る薬があるわけがないからだ。
だとすれば、どうにかして生き延びて、地球へ帰る方法を探すしかない。
「コウね。……それにしても転移者に会えるなんてすごいわ ! 伝説によると転移者は特別な能力を持っているっていうけど、その能力で私を助けてくれたの !? 」。
興奮気味に迫るチェリー。
「いえ、彼の能力ではありません。私のおかげです」。
「カ、カバンが喋った !? もしかして『
「そうです。彼自身の能力はこの世界の一般人以下です。すごいのは私、アイテムナンバー000『
(自己顕示欲の強いウエストバッグか……。さすが異世界だ)。
軽く溜息を吐くコウ。
「そ、そうなんだ。よろしくね。ポケットさん ! 」。
「よろしく。チェリー」。
生まれて初めて交わすウエストバッグとの挨拶に、彼女は若干戸惑い気味だった。
「あと……このローブなんだけど、街まで貸してもらっていい ? 他に着るものがなくて……」。
「いいよ。俺には必要ないから、あげるよ」。
「本当にいいの ? こんな高級な魔道具を……」。
「そのアイテムはまだ数枚ストックがあるので、お気になさらずに。それから魔力を大量に通すとサイズ変更だけでなく、破損個所の修復もできますよ」。
ウエストバッグにまでそう言われて、チェリーは申し訳なさそうな顔から一転、嬉しそうな顔になる。
「ありがとう ! 私、
(「ちょっとだけ」か……。まあ悪そうな奴じゃなくて良かった)。
彼女の大きな身体を見上げながら、コウは苦笑する。
そして安心すると、空腹に気づいた。
日も傾き、暗くなりつつある。
「……夕飯時か」。
「ローブのお礼にもならないけど……私が用意してあげる ! 」。
そう言うや否や、チェリーは駆けだした。
彼女が倒れていた場所へ。
「まさかあの恐竜を食う気じゃないだろうな……」。
食文化の違い、という一言では済まされない不安に襲われるコウ。
「コウ。気を付けてください」。
「何を ? 今から出てくるかもしれないゲテモノ料理か ? 」。
「そうじゃありません。そうだとしても私には関係ありませんし。あなたの能力はオブラートに包んで言えば『カ』で始まり、『ス』で終わる言葉で表現できます」。
「全然包めてねえよ。カスってことだろ ? しょうがないだろ。平和で便利な地球育ちなんだから。そう言えば、そもそもお前が俺を無理やりここへ連れて来たんだろ !? 来ることができるなら、帰ることもできるはずだ ! 早く戻せ ! 」。
「その問題はとりあえず置いておいて」。
「俺にとっては日本の少子高齢化問題くらい置いておいたら取り返しがつかなくなるデカい問題なんだが」。
「転移に関しては本当に申し訳なく思っています。しかし私がこの世界ガーデニア以外で完全に再起動すれば、自動的にこの世界に戻るようにセットされているんです。とある理由で地球に転移した私は、セーフモードで少しずつあちらの世界の人間から魔力を集めて、必要な量が
「人間から魔力を集める、か。それが呪いのウエストバッグの正体か」。
「魔力を吸われても少し気分が悪くなるだけです。それにあちらの世界の人間は魔法を使いませんしね。それより、気をつけるのはチェリーのことです」。
「あの子を ? いい奴そうじゃないか」。
「さっき改めて彼女の身体能力を『鑑定』してみたんですが……。驚かないでください。……デアドリッテエーベネ級です」。
「……そのデアドリッテエーベネ級とやらが、まずわからないんだが」。
「地球のレトロなRPGゲームで言うと、レベル30前後の勇者パーティーとやり合える強さです」。
「それメチャクチャやばい奴じゃねえか ! 中ボスだろ !? 」。
「だから彼女とは適切な距離をとってください。嫌われてビンタでもされたら首が胴体から、ちぎれ飛びますし、好かれて抱きしめられたら、背骨が折れるどころか全ての内臓が口から出て死にます」。
「そんなグロい死に方してたまるものか…… ! そうだ ! 何か逃げるアイテムはないのか ? テレポートするような感じの ! 」。
「ありますよ。アイテムナンバー023『
「それだ ! そいつを使って逃げるぞ ! 」。
「……ただし代償として千分の一の確率で壁の中、あるいは岩や木の中にテレポートして、死にます」。
「……怖すぎるだろ。いや、しかし千回に一回か……」。
「何が千回に一回なの ? 」。
「ヒイィッ !! 」。
唐突に後ろからチェリーの声がして、コウは跳び上がる。
「ど、どうしたの ? そんなに驚いて ? 」。
「い、いえなんでもありやせん。それじゃあ、あっしはこれで失礼しやす」。
混乱のあまり、落語のような口ぶりとなるコウ。
「一体どこへ行くのよ ? それよりポケットさんの中に調理器具とかない ? 私が運んでた
再び申し訳なさそうな顔となるチェリー。
「ありますよ。アイテムナンバー番外『田中家の調理器具』です。コウ。取り出してください」。
「あ、ああ」。
ウエストバッグに突っ込んだ両手を出すと、そこには大きな鍋とその中に包丁やまな板、フライパン、おたま等の基本的な調理器具が入っていた。
「すごいわ ! これで大丈夫よ。期待していてね ! 」。
笑顔で調理器具を抱きかかえて、再びチェリーは駆けて行った。
「お前、田中家から盗んできたな…… ? 」。
「黙秘します」。
さらに取り調べようとした時、背後から爆発音がした。
その響きに伴う猛烈な爆風に、コウは煽られる。
「なんだ !? 」。
続けて、急激に気温が下がり、足元の草には霜が降り始めた。
「この世界では砂漠みたいに夜になると氷点下になるのか !? 」。
「いえ、おそらく彼女が料理のために火を起こそうと魔法を使い、想像以上の爆発が起こったために、それを消火するために慌てて氷魔法を使ったのだと予想します」。
ドジっ子がカワイイのは命にかかわらない限りにおいてのことだ。
例えば入院した際、担当の看護師がドジっ子だった場合は生死にかかわる。
「近くにいなくて良かった……。でもいずれ向こうにその気がなくても、なんかのはずみでこっちが大けがをしそうだな。やっぱり今の内に逃げるか ? 」。
「ですが、この森をあなた一人で抜けられますか ? 今、使用可能なのは補助系と生活系のアイテムだけですが」。
「攻撃用とか防御用のアイテムはないのか ? 」。
「……メンテナンス中です」。
コウは静かに、天を仰いだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます