第32話 命はその守り継いだものの中に


 街。


 城壁内。



 整然と並んだ礼拝者れいはいしゃのための重厚じゅうこうな木製の長椅子。


 その隙間すきまに太い柱が規則的に立つ。


 柱と柱の間、柱と壁の間の上部はめがね橋の半円状の橋梁きょうりょうを思わせるアーチがあり、重たそうな石の天井を支え、奥には祭壇があり、お香が焚かれている。


 そして祭壇の後ろには女神の像がある。


 その荘厳そうごんな空気が満ち満ちた中、「聖女」は一心に女神像の前にひざまずいて祈りを捧げていた。


 百年前にこの星の「主神」となった十月の女神ミシュリティー様が生み出された眷属である人間族は、他の種族を自由に扱っていいし、今街の外に迫っているアリなど、女神様の「恩寵おんちょう」を賜った人間ならば負けるはずがない、というのが彼女の「人間」としてのり方。



 エルフの娼館。



 身体のちょうど真ん中に線を引いて、右半分はエルフ、そして左半分は蟻人ぎじん


 そんな例え規制が緩和される前のアダルトビデオ並みに手厚いモザイク処理をされたとしても簡単に化け物とわかる存在の、柔らかそうな右半身に撃ちこまれた炎の爪は、固い音とともに跳ね返された。


 それと同時に、固い方の左腕が重い響きとともに、「竜人の着ぐるみGドラゴニュート・スーツG」をまとったコウの胸を殴り、吹き飛ばす。


 石造りの壁に背中から衝突して、コウは強制的に肺の中の空気を吐き出させられた。


 炎を纏った竜の爪は、その中身を貫くことはできなかったが、着ているローブを業火に包み込むことぐらいはできたようで、化け物は炎に包まれた。


 そして人型の炎はまた歩きだす。


 左右バラバラでぎこちなかった動きは次第に統一されて、一個の意志の元、確実な歩みとなっていく。


 女エルフ、アデリエンヌ・アレマンに向かって。


「食いたい ! 食いたい ! 」

      「食いたい ! 食いたい ! 食いたい ! 」。

「食いたい ! 食いたい ! 」


 二種類聞こえていた声もその判別がつかなくなり、一つのまるでガラスを擦り合わせたような不快な音となっていく。


 やがて焼けて身体からローブが落ちて、先ほど血で汚れた絨毯が今度は焼け焦げて、さらにその価値を落とす。


「……いくらしたと思ってんのよ」。


 そんなアデリエンヌの恨みがましい声を聞いて、蟻人の左右の大顎が大きく開いた。


 まるで嘲り笑うかのように。


 炎と煙の中から現れたのは鮮血のような真紅の蟻人。


 エルフだった右半身は蟻人の右半身へと変化して、完璧な蟻人となった。


「……エルフ、食う」。


(こいつ……さっきからどうして私やコウには見向きもせずにエルフだけを…… ? )。


 ラナが疑問に思ったことは、とある大軍アリマサントの習性の影響を受けていたからなのだが、今は知るよしもない。


「……スー。階下の子達に避難するように言ってきて ! 」。


 アデリエンヌが固い表情ですぐ隣の空中にいる水妖精ウンディーネに言った。


「で、でもアデリエンヌ様 ! 市民権のないエルフがあなたに連れられずに外に出たら…… !! 」。


「私が先に逃げたら、こいつはきっとあの子達を食い殺す。だから先にあの子達を逃がして !! そうすれば私も逃げられる !! 」。


 ゆっくりと近づいてくる蟻人から目線を外さずに、アデリエンヌは強い口調で重ねて言った。


 だが、水妖精ウンディーネのスーは動かない。


 すがるような、悲痛な声で、懇願する。


「お願いです !! ご自身を優先してください !! ……私は……あなたが一番大事なんです…… ! あなたがあの地獄から救い出してくれたから……私は…… ! 」。


(ああ、きっとあの水妖精ウンディーネにとっての女エルフは、私だったらコウだし、サラだったらタオなんだ)。


 ラナが二人のやり取りを聞きながら、そんなことを思う間にも蟻人は近づき、アデリエンヌは少しずつそれに合わせて後方へ移動する。


 手には弓と矢、そして背中には矢筒をかけて。


「……聞こえなかったの ? 」。


 凍るような声だった。


 そしてその冷気に当てられたように水妖精ウンディーネの表情が固まる。


「……あなたには理解できないかもしれないけど、私が一番大事なのはエルフ族の若い子達なの。私自身よりもね。……それに責任もある。百年前に私達が負けたからエルフは森を焼かれ、人間の奴隷となり、純血のエルフの数も随分と減った……」。


 長命のエルフの中には、先の「百年戦争」を経験した者もいる。


 そしてその中には押しつぶされそうな責任感の中、なんとかエルフの居住地で産まれた若いエルフ達に「市民権」をお金で買わせて、奴隷から解放しようと活動している者達がいた。


 エルフ娼館の女主おんなあるじ、アデリエンヌ・アレマンはその中の一人である。


 人間達の法律では、奴隷にもわずかながら給金を与えねばならないし、その給金がたまれば「市民権」を買い取れるという希望が、奴隷達の反乱を抑制していた。


 この街ではあまり見ないが、解放されて人間と結婚して子をなしたエルフも多数いる。


 そこに愛があったか、打算があったかは誰にもわからないが。


 もはや次の「百年戦争」でエルフ族が勝つ見込みはほとんどなかった。


 だからアデリエンヌは下手に人間の機嫌を損ねないために、次の「代理人」にはすぐに人間族に「参加証」を自ら献上して欲しいと思っていたし、目の前のテロリストのような存在は許せなかった。


「私は、私よりも大きなもののために生きているの。それが私の生きる意味。そして私が死んでも、その大きなものが有り続ければ、その中に私もいるの。ずっとね。……スー、もし私に恩義を感じているのなら、あの子達を逃がして。そして妖精族のために戦って」。


「え ? 」。


「……四月の女神様は頭の中まで春のお花畑みたいな方だって言うけど、あの『御使みつかい』をみてると本当みたいね。それを体現したように、なにもかも甘い。……でも人間の女神よりも、そんな甘々あまあまな女神様が『主神』になってくれた方が、きっと良いから。私にとっても。あなたにとってもね」。


 彼女は目の前の蟻人から目を外さずに、柔らかく微笑んだ。


「……わかりました」。


 小さな唇を噛みしめて、ようやくスーは首を縦に振った。


 そして彼女の隣の空中からすぐに階下へはいかず、石壁に背をもたれかけて倒れているコウの元へと飛ぶ。


「……この役立たず…… ! さっさと起きて戦いなさいよ ! 私が戻って来た時にアデリエンヌ様が無事じゃなかったら許さないから…… ! 」。


 激励もせずに、そう吐き捨ててからようやくスーは広い石造りの部屋から出て行った。

 勝手なものだ、とラナは溜息をついたが、不思議とそれほど怒りは湧いてこなかった。


 自分が同じ状況だったら、多分同じように誰かに八つ当たりしただろうから。


(クソ…… ! 全く動かない ! この着ぐるみ、こんなに重かったのか !? )。


 コウは竜人を模した鎧の中で、もがいていた。


 先ほどの蟻人の攻撃で胸の魔石が割られたためだ。


 魔石はいわば変換機コンバーターであった。


 そして透明な胸のそれは魔素を外皮の強化と、人工筋肉を稼働させるエネルギーへの変換をになっていたのだ。


 それが割れた今、「竜人の着ぐるみGドラゴニュート・スーツG」はコウの力だけではピクリとも動かせない。


「ポケット ! 緊急事態だ ! 」。


 先ほどから何度呼びかけても、女神が宿やどったウエストバッグ型のアイテムボックスからは何の返事もない。


「ああ……もうどうしようもない……」。


 コウの口から小さな絶望が漏れた。


「壊すしかないけど、後で文句言うなよ ! 」。


 そうポケットに宣言して、コウは「瞬着」によって「竜人の着ぐるみGドラゴニュート・スーツG」から元の外套を羽織った装備へと戻る。


「コウ !? 」。


 驚いたようなラナには応えず、コウはすぐに腹部の黒いウエストバッグ型のアイテムボックスに手を突っ込み、にゅるりと二つのアイテムを取り出す。


 今脱いだばかりの「竜人の着ぐるみGドラゴニュート・スーツG」と「ヒモ男の棒ストリング・ロッド」だった。



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