第139話 パンケーキ団の解散



「……パヴェルだ…… ! 俺の名はパヴェルだ ! 言ったぞ ! だからもう……やめてくれえええぇぇぇえええ…… !! 」


 筋骨隆々の男の口から、割れた陶器の破片二つの断面をり合わせたようなかすれた声が絞り出された。


 ミーノに憑いた悪魔がついに屈したのだ。


「貴様は人間に苦痛を与えるのは得意でも、与えられるのは弱いみたいだな…… !! 」


 誰にでも当てはまる曖昧なことを「自分のことだ」と思い込んでしまう心理現象のことをバーナム効果と言う。


 一例を挙げると、占い師が「あなたはプライドが傷つけられるとやる気をなくしますね」などと診断するのがそれに当たる。


 その一例として列挙されそうな誰にでも当てはまることを、まるで決め台詞のように吐き捨てて、コウは悪魔祓いの最終段階を行使する。


「『死』と『腐食』をつかさどる悪魔パヴェル ! 神の御名において命ずる ! お前を拘束する神の鎖に従い、今すぐこの肉体から去れ ! 」


 拘束されて仰向けになったミーノの、悪魔の眼前にコウはくすんだ金色の十字架を突き付けた。


 ぐぱぁっと大きくミーノの口が不可視の力で開き、その中から粘着質な黒紫のヘドロのような煙がゆっくりと吹きあがる。


 やがてそれは目に見えない鎖で縛り上げられた人型となって空中にとどめ置かれた。


「クソが !! 早くこの鎖を解け !! そうすれば俺は強制的に地獄に帰還する !! この場の動く腐乱死体どもは再び死ぬ !! 万事解決だろうが !? 」


 強すぎる力を行使する者はしろなく地上に存在することはできない。


 それが世界のことわり


 それだけは女神も悪魔も同じであった。


「……お前達は悪意の塊なのに、意外と他人の悪意には鈍感なんだな。痛みに対してもそうだ。人間を傷つけ、その苦痛を享楽とするくせに自らの苦痛にはまるで耐性がない。だから簡単に悪魔祓いに屈するんだ」


「なんだと !? 」


「今から俺が行うのは純度 99.999 %の化合物を製造する日本企業も驚きの純度 100 %の八つ当たりだ ! 貴様の仲間に酷い目に遭わされたんでな ! 」


 神の御使いとは思えぬ理不尽なことを言い放ち、コウはミーノの身体を拘束している金属の縄に魔素を浸透させて再び形を変化させる。


 一振りの剣に。


「この神気の染み込んだ剣に貫かれたらどうなると思う ? 今の状態のお前でも死ねるんじゃないか ? 」


 まるで濡れたように輝く柄までも鈍色の金属でこしらえらえた両刃の剣を喉元に突き付けられて、煙上の悪魔は激しくもがく。


「よせ…… ! 俺は力のベクトルは違っても女神どもと同等の存在なんだぞ ! 計り知れない時を経た希少な…… ! それをたかだか百年生きられればいい人間が殺すというのか !? 」


「……『死』を司る悪魔が生を惜しむか……。まあいい。取引だ。俺の条件を飲めばすぐに解放してやる」


 悪魔と言えば契約のプロだ。


 彼らが依り代に憑くためには、依り代となる者の同意が必要である。


 よって悪魔はその者の望みを叶えることを条件に契約を結ぶのだ。


 例えば、ミーノの場合は死んだ 5 人の仲間を蘇らせること。


 その契約を悪魔の方から反故ほごにすることは滅多にない。


 彼らが契約を守らないとなれば、誰も依り代となることに同意しなくなるからだ。


 そんな契約に慣れているパヴェルも初めて遭遇した自らの存在の消失という危機に見落としていた。


 そもそも相手が契約を遵守する気があるのかどうかを。


 神の側である存在が嘘をつく可能性があるかどうかを。


 それから二言三言、二人は言葉を交わし、満足したコウはどこからか白い玉を取り出した。


 髭型万能ツールの簡易アイテムボックスに一つだけ残っていた悪魔を封じる宝玉を。


 そしてありとあらゆる罵詈雑言を吐きながら、黒い人型の煙はその白い玉に吸い込まれ、黒紫色の玉となる。


「ふう……」


 パキン、と何かが弾ける音がしてコウが纏う白い竜人ドラゴニュートの鎧が消えた。


「……生きてるようだな」


 倒れたままのミーノを一瞥すると彼はおもむろに手にした悪魔の封じられた玉に魔素を込めた。



────


 死臭の混じった生温なまぬるい風が身体の表面を舐めていく不快な感覚。


 ミーノはゆっくりと目を開けた。


 身体は所々痛みを訴えるが、大したことはない。


 それよりも対処しなければならないのは精神に負った致命傷であった。


「俺は……なんてことを……悪魔にそそのかされ……皆の遺体をもてあそんで……」


 悪魔に憑かれている間、どこか狂騒状態にあった精神は腐った死体を生前の姿で彼の瞳に映していた。


「……本当に遺体に皆の魂が宿っていたかもわからないのに……悪魔が動かしていただけかもしれないのに……俺は……俺は…… ! 」


 岩のような顔に一雫ひとしずく、二雫、涙がこぼれた。


 そんな滲む視界に光が歪んで映る。


 虹色の光、視認可能なほど濃密な魔素だ。


 それは少し離れたところに立つ男の放つ光だ。


 そしてその光は彼が手にする黒紫の玉へと流れ込んでいく。


 ふっとミーノの歪む視界の端に揺れるものが見えた。


 薄い、薄い、その背後の密林が透けて見えるほどに薄いグリーンのローブのすそだ。


 目がその先を追っていくと、笑顔があった。


 小柄で、パンケーキが大好きで、それをパーティー名にまでしてしまった少女の笑顔だ。


「あ……ああ…… ! イラリア…… !? 」


 少女は笑顔で口を動かしているが、ミーノの耳には届かない。


「なんだ…… ? 聞こえない…… !? 」


 そのミーノの声は少女に届いたようで、イラリアはゆっくりと半透明の両手を動かしてお腹のあたりをポンポンと叩き「満腹だよ ! 」とでもいうように笑った。


「そうか……良かった…… ! こんなジャングルの奥にまであれだけの量の材料を運んだ甲斐があった…… ! 」


 そんなイラリアの肩にそっと彼女を守るように半透明のすらりとした腕が置かれる。


 苦笑するような顔の、いつもの武道着を纏ったジャスミンだ。


「……ジャスミン……すまない……」


 そんなミーノにジャスミンはイラリアを背後から抱きしめることでこたえる。


 もう一度イラリアに会えただけで満足だよ、とでもいうように。


「ヴァスコ……お前にはちゃんとした生身の乙女を用意できなくて……」


 とミーノがその隣のまだ青臭い容貌の少年に語り掛け始めるが、半透明の少年は慌てて手を振り、口元に人差し指を立てる。


 そして照れ臭そうに頭を掻いた。


 いいって ! いい経験になったぜ…… ! とでも言うように。


 その隣の男女二人は、しっかりと手をつないでいた。


 ヴァレリアとギドだ。


 これから先、どのようなことがあっても、どのような場所に行くとしても、分かち難いほどに固く、固く。


 二人の口が同時に動く。


 声は聞こえない。


 だけどミーノにはわかった。


 ──ありがとう。


「みんな……違う……感謝しなければいけないのは……謝罪しなけりゃならないのは……俺だ…… ! あの時……俺だけが……逃げて……生き残って……」


 一人だけ青年となった男は慟哭する。


 そんな彼を懐かしむように、愛おしむように微笑んで、五人の姿はさらに薄くなっていく。


「待ってくれ…… ! 俺も……俺も……皆と一緒に……」


 そんなミーノの声が届く前に、ふっと五人の姿は消えた。


「……今のは一体…… ? 」


 いつの間にかコウの傍に佇んでいたソフィアが茫然と呟いた。


「このアイテムは女神がつくった特別な神器でな。封じ込めた悪魔の力を行使できるんだよ。あの悪魔……ちゃんと魂を呼び出して死体に入れてたんだ。だからその魂をここに呼び出したってわけだ」


 どこか寂しげな顔でうずくまるミーノを見やるコウ。


「それでさっき私達と対峙してたゾンビが全部崩れたんだね……。あんたと悪魔の決着がついたと思ってすぐに来たんだけど……怪我はない ? 」


「ああ、ソフィアも無事で良かったよ」


 そう言ってコウは爽やかに笑った。



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