第37話 融合


赤黒い大軍アリマサント


 数を大分減らしたはずなのに、相変わらず草原を行軍する彼らの数は戦闘開始から変わっていないように思えるほど。


 ただ森林から草原へ進軍していた彼らの最後尾が見えた。


 終わることなき隊列の終わりが見えた。


 そこで変化が始まった。


 隣り合った二匹の蟻達が、吹雪の中の恋人達のように身を寄せ合い、その固い外皮がぶつかり合うこともなく、重なった。


 完全に重なった。


「何だい ? 今のは ? 融合した…… ? 」。


 おばちゃんが誰に言うでもなく、呟いた。


 二匹が一回り大きな一匹となり、全体の数は半分になった。


 それがどんどん繰り返されていく。


「……モンスター図鑑に書いてあった大軍アリマサントが消えて巨大アリギガントが現れたっていうのは、これが原因だったのね」。


 ひとちるチェリー。


 どこからか、微かにクシャミの音が聞こえた気がした。


「……この大軍アリマサントってさらわれたメスを追いかけてきたオスなんだよね ? きっとこのオスは皆、メスのこと狙ってるんだよね ? でもそのためにオス同士で合体しちゃうなんて本末転倒だと思わない !? 」。


「知らないよ ! そんなこと ! 」。


 想像力がたくましい土妖精ノームの少女、ユーニスが頬を染めて、ハイテンションでアゼルに話しかけ、すげなくされていた。


 やがて数の力と引き換えに一個の巨大な力となった巨大アリギガントが出来上がる。


「……こんなデカい化け物……。どうしたらいいんだい ? 」。


 体高二十メートル、体長六十メートルほど。


 小さな山のようだ。


 体のフォルムは融合する前の大軍アリマサントと変わりはない。


 そしてそれは鳴いた。


 巨大な牙のような大顎を天に向けて。


 雄叫びだったのかもしれない。


 ガラスを擦ったような不快を与えることに特化した音だった。


「キキィィィィィィィィイイイイイイイイ──── !! 」。


 思わず耳を塞いでしまうほどの大音量。


 それが収まり、ほっとしたのもつかの間、大地が震え始めた。


「……逃げるよ !! あいつの進路から外れるんだ !! 」。


 そう言って、チェリーは駆けだした。


 巨大アリギガントと街とを結ぶ線状から逃れるために。


 今までも蟻達の進路から外れた者は数十匹の追撃を受けたが、基本的に蟻達は街に向かうことを優先していた。


 そしてこの一匹の巨大な蟻は、ゆっくりと頭を逃げるチェリー達の方へ向けて、進路を変更する。


 巨大な脚は一歩が大きい。


 人間の一歩が必死に地を這い逃げる虫の百歩になるように、あっという間にその距離は縮まっていく。


「……なんでよ !? 街にいるメスを優先するんじゃないの !? 」。


 走りながら後ろを振り返り、焦るチェリー。


「きっとオス同士で合体して、満足しちゃって、メスのことはどうでも良くなったんだよ !! 」。


「お前はさっきから何を言っているんだ !! 」。


 チェリーを先頭に、三人の土妖精ノームが続き、少し遅れておばちゃんが最後尾だ。


「お困りのようね♪」。


 走るチェリーのすぐ隣を武器であるハルバードが飛んでいる。


「なんでちょっと嬉しそうな声なのよ !! 言っとくけど、こんな状況だからって『恩寵』なんか要らないからね !! 」。


 相変わらずの、にべもない対応。


「ねえ、なんであの槍みたいな斧、飛んでるの ? 」。


 走る土妖精ノーム達の内の一人、デニスがこんな状況でも呑気に問う。


「もともと鳥みたいに飛ぶんじゃないの ? ハルバード・・・って言うくらいだし」。


 とユーニス。


「そっか ! さすがユーニス ! 」。


「適当なこと言うんじゃない ! チェリー姐さんがあれは呪われてるって言ってただろ ! 悪魔の力で飛んでるんだ ! 」。


 まるで緊張感のない二人をアゼルが怒鳴った。


「可愛らしい子達ね。でももうすぐ死ぬ。あの蟻に追いつかれて。あなたが私の『恩寵』を拒んだせいで」。


「……ッ ! 」。


 ハルバードの言う通りだった。


 巨大アリギガントはすぐ後ろまで迫り、その地響きが彼女達の走る脚を震わせていた。


「巨人になってあの男に拒絶されるのがそんなに怖い ? 」。


「……そうよ ! 悪い !? 」。


「ふーん。じゃああなたはあの男の外見だけが好きでそんなに想っているの ? 」。


「それは……違うけど……。そもそも外見とかいう範疇じゃないでしょ !? 」。


「神域からあなたを見るついでに周囲も見たけど、小さな妖精が人間を想っているのを見たわ。なら小さな人間が巨人を想うこともあるんじゃない ? 」。


「それは……人間が妖精の命の恩人だったからよ。私は……まだコウにそれだけのことをしてあげてない……」。


 チェリーの声はだんだん小さくなっていく。


「そんなことないわ ! あなたは今この瞬間もあの男のために命を張っているじゃない ! もっと自信を持ちなさい ! あの男だってそれくらいわかってるわ ! 」。


「そうかな…… ? 」。


「そうよ ! それにあなたが『責任とって』と言ったのをあの男は拒否しなかった。その意味をちゃんとわかってるはずよ ! 」。


「そう……だけど…… ! 」。


「それに男なんて女の大きな胸とお尻が大好きなのよ ! あなたが巨人になれば妖精はもちろん、人間の女なんて及びもつかない大きな胸とお尻になるわ ! 」。


「それ『大きい』の意味が違わない !? 」。


「さらに特別サービスよ ! 今『恩寵』を受けるなら巨大化した後、通常サイズまで戻してあげる ! ……その代わり巨大化する度に通常サイズが五十センチずつ大きくなっていくけど、一回だけならそれほど変わらないし、徐々に大きくなっていけば、あの男も少しずつ慣れていくわ ! どう !? 」。


 歯切れの良いセールストークに、チェリーの心は揺さぶられる。


(……なんで巨人族なら号泣して転げまわるくらい喜ぶ後天こうてんの恩寵を授けるのにこんなに苦労しなけりゃならないのよ……)。


 ハルバードに宿る三月の女神の分霊の心境は少し複雑であった。


 本来女神の「恩寵」は産まれる前に先天的に授けられる。


 そうすれば小さな「恩寵」も与えられた者が成長と共に鍛えていけば、強力なものに育っていく。


 そちらの方がコストがかからないのだ。


 しかし後天的に授ける場合には、ある程度強力なものを授けなければ意味がない。


 だからよっぽどの功績をあげた者にしか後天の恩寵を授けることはないのだ。


 ちなみにコウが四月の女神に代わって杯によって妖精達に授けている「恩寵」は全て後天のものであり、薄めれば妖精族全体に行きわたるものもたった五百杯分にしかならない。


 それも各妖精によって器の大きさが違うため、一人一杯というわけではなかった。


 悩んでいるからか、チェリーの速度は落ちて、後ろを走っていた土妖精ノーム達と並ぶ。


 ハルバードに言われたことを考えているのか、その人間的な意味で大きな自らの胸を抱き寄せたりしている。


 その扇情的な仕草に思わずアゼルとデニスの頬は赤くなった。


「あんた達、チェリー姐さんに劣情れつじょうを抱いてるの !? でも無理無理 ! あの『御使い』様が相手なのよ ! 」。


 なんだか興奮気味にユーニスが言った。


「そうだよなあ……」。


 走りながらの荒い息で、器用に溜息を吐くデニス。


「……そんなのやってみなきゃわからないじゃないか ! 」。


「「え ? 」」。


 二人が驚いてアゼルを見ようとした時、一際大きく地面が揺れた。


 三人が後ろを振り向いても見えるのすぐ後ろを走るおばちゃんの姿だけ。


 巨大アリギガントは空にいた。


 飛んだのではない。


 跳ねたのだ。


 走る五人の周囲だけが日の光をその巨体に遮られて影になっていく。


「……落ちてくる……。そんな……これからだって言うのに……」。


「いやああああああああああ !! 」。


「うわああああああああああああああ !! 」。


 捕食ではなく、脅威に対して攻撃するために巨大な身体でし潰すことを選んだのだ。


 数秒の内にどんどん濃くなっていく死の影。


 それに抗うように、影の内から、光があふれた。


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