第45話 大きな女の悲哀



(あ……ダメだ。完全に何かスイッチが入ってる……)。


 ソファーから腰を浮かしかけたコウの肩を大きな手が優しく、しかしながら有無を言わさない剛力で押しとどめた。


 両手をコウの肩に置いて、身長3メートルほどの大きな女が正面からかがみこんでくる。


 ゆっくりと近づいてくる大きな顔。


(……こいつ、出会った時はゴリラみたいな顔だったのに、身体が大きくなるにつれて綺麗になってきてる…… ! )。


 肉体に収まりきらない筋肉が顔を圧迫していた過去と違い、彼女の顔はその本来のものになっていた。


 それはりが深く、目鼻立ちのはっきりした美人であった。


 その茶色の瞳は熱を帯びている。


(ダ、ダメだ……。俺は一年後に地球に帰るんだ。だからそんな関係になっちゃダメだ ! 。エルフとかならともかく、巨人族を地球に連れて帰るなんて絶対に無理なんだから ! ……そんな無責任なことをしちゃダメだ……)。


 情けないことに、大きなチェリーの手から筋力をもって逃れることは彼にはできない。


「待て……。まだ早いだろ。出会って一週間くらいなんだから」。


 コウの問題解決法の基本戦術「先延ばし」が火を噴く。


「……早い ? 何言ってるのよ。これから先、私は巨人族の『恩寵おんちょう』のせいでどんどん大きくなっていく……。これ以上大きくなってからだと、手加減も難しくなっちゃうから……」。


 舌先三寸したさきさんずんの言に効果はなく、鼻先三寸まで彼女の顔は近づいた。


「……それにあなたは気づかなかったかもしれないけど、街の住民が私を見る目はほどんどが何か珍しいモンスターでも見るような目だった……。もう私にはあなたしかいないの…… ! 」。


 大きな瞳から一筋、涙がこぼれた。


 巨人族の巨人達は最大時の彼女と同じようなサイズもいる。


 だが決定的に人間族と違う点があった。


 巨人族は地球で言えば原始人のような容貌と知能なのだ。


 これは巨人族を産み出した三月の女神イルシューアが肉体の強靭きょうじんさを優先させたためであり、発達した知能が余計な争いを生み苦悩の元になるという考えのためでもあった。


 現代人が原始人の集落へ放り込まれても、幸せに暮らすことができるだろうか。


 できるわけがない。


 巨人族の人間のハーフで、サイズ以外はほぼ人間である彼女もそうだ。


 言葉も使わず文化もない巨人族の集落で、幸福になれるはずもない。


 そんな不安と孤独感が彼女の視野を狭くしていた。


 目の前の男だけしか、今のチェリーには映っていない。


 コウは驚いたように目を見開き、それから一瞬、哀しげに、そして何かを決断した顔となる。


 ゆっくりとコウは首だけを動かして、すぐ先にいるチェリーに触れる。


 彼の口にも涙が広がった。


 ビクリ、と大きな彼女の身体は硬直したが、やがて彼の両肩に置かれたままだった両手が少し細身の背中に回され、慎重に力が込められていく。


 ふっと、突然その両手の抵抗が消えた。


「え…… ? 」。


 驚いて両目を開けるチェリー。


「アイテムボックスよ ! ……エイプリル姉様 ! せっかくいいところだったのに…… ! 」。


 壁に立てかけられたハルバードに宿やどった三月の女神の分霊が非難の声をあげる。


「……私はエイプリルではありません。分霊の『ポケット』です。……彼は私の……いえ本体の『ヒモ』です。だから……これ以上はダメです…… ! それじゃ、おやすみなさい ! 」。


 コウをその内部に収納したウエストバッグ型のアイテムボックスはふわりと浮かび、器用に大きなドアのレバータイプのノブを下げて出て行った。


「……どういうこと ? 」。


 茫然としたように呟くチェリー。


「……女神の中には眷属とそういう関係になるのもいるのよ。私はそんなことしないけど……。エイプリル姉様や……十月のミシュリティーは眷属への愛が過剰気味でそうなることがあったわ。まあ確かにエイプリル姉様が好きそうな顔してるわね。あの男は」。


 口もないのに、器用に溜息を吐くハルバード。


「……どうすれば取り返せるの ? 」。


 先ほどの感触を確かめるように唇に指を当てながら、恐ろしく低い声で女が問う。


「あら ? 『愛』を司る四月の女神と戦おうっていうの ? おもしろいじゃない ! 」。


 二人の女の声が夜の部屋に遅くまで聞こえていた。



 街。冒険者ギルド。


「ああ ! ミシュリティー様の分霊様にお目にかかることができるなんて ! 神聖な気配を辿ってきた甲斐がありました ! 」。


 耳障りな声をあげながら、黒い修道服の「聖女」がネリーの前にひざまずいた。


 どこか戸惑ったようなネリーに構わず、老女は不快な嬌声きょうせいを出し続ける。


「はい ! はい ! かしこまりましたわ ! 」。


 まるで一人芝居をするように、返事をする聖女。


 そしてくるりと冒険者達に向き直る。


「……あなたとあなたとあなた ! すぐに旅の準備をして『御使みつかい』様とともに出発しなさい ! 」。


 「聖女」の言葉には誰も逆らうことはできない。


 指名された三人は、無表情ですぐに動き出す。


 やがて準備が整い、「聖女」の見送りを受けながら混乱冷めやらぬ、人手の足りぬ街を出る四人。


「……急ぐわよ」。


 ネリーが早足で先頭を行く。


「……時間制限でもあるのかい ? 」。


 いつも元気な受付のおばちゃんが、少しだけ気怠けだるそうに聞いた。


「……それに別の街を捜索する線をあっさり捨てて妖精の国へ行く理由は何ですか ? 」。


 タオがいつも通りの丁寧な口調で聞いた。


「まとめて答えてあげる。すぐに追手がくるからよ。街からね。これに関しては後で説明するわ。ともかく人間と……人狼を相手にした戦闘を想定しておいて。それから……この剣に宿った分霊様を信じて……。追手が何を言っても」。


 その言葉にキャスはギルドの倉庫から持ち出した新品の槍を握りなおした。


 四人の内、三人がコウ達と因縁のある一行は急いで道を行く。



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