第51話 冷たい月の光

※本日二度目の投稿です。





 月映つきばえの空、まんまるな瞳が無情に光妖精ウィスプを見据えたまま逃さない。


 人間やそれに近い感性の亜人種から見れば輝かんばかりの美貌もふくろうにはまるで関係ない。


 知性ある者がそのかてとなるものへ持つ敬意もない。


 えさとなる大きさのただの飛ぶ肉にすぎない。


 彼女がどんな運命を歩んできたとか、どんな性格かとか、どんな男がタイプかとか、ようやく生きる意味を見つけたとか、まるで関係ない。


 夜の森ではよくある光景。


 ただ襲われる側が餌とされるにはあまりにも豊かな感情と幸福となるべき未来を持っているだけ。


 ただ、それだけ。


 何度かわしたか分からない巨大な爪をなんとか今回もぎりぎりで避けることができた。


 しかし今回はその先にも地獄が待っていた。


「…… !? 」。


 いつの間にかもう一羽、梟がいた。


 かわすことはできない。


 脚の四本の爪が限界まで開いて、人間の腕すら握りつぶす力で光妖精ウィスプのゾネをつかもうとして、かなわなかった。


 爪の開いたままの脚が、音もなく落ちて行く。


 それから悲鳴のような鳴き声が聞こえて、光妖精ウィスプのゾネはようやく周囲に音が戻ったように感じた。


「ゾネ ! 大丈夫 !? 」。


 白銀色の鎧に冷たい月の光が水に濡れたような輝きをせていた。


 月の光をまとったような妖精が空中の彼女に飛び寄る。


 住宅街に現れた熊を銃殺すれば地域住民以外の動物好きから非難が殺到する日本では考えられないような躊躇ためらいのない攻撃を受けて、二羽の梟はすでに逃亡していた。


「ラナ……」。


「何考えてるのよ ! 光妖精ウィスプのあなたが夜に一人で鎧も装備せずに出歩くなんて自殺行為よ ! 」。


 風妖精シルフのラナがはねを震わせて詰め寄った。


 光妖精ウィスプと違い、風妖精シルフは夜間だろうと関係なく風の精霊魔法を行使できる。


 その代わり密閉された室内では威力が減衰げんすいするが。


「……どうして……どうしてわたくしを助けたのですか ? 」。


 ゾネから返ってきたのは感謝でも謝罪でもなく、疑問だった。


「何言ってるの !? 」。


「だって……わたくしほどの美しさを誇る光妖精ウィスプを相手にコウ様をめぐって競うよりも……私を見捨ててしまえば……私よりもはるかに劣るあなたにも可能性があったかもしれませんのに…… ! 」。


 胸の前で可憐な手を重ねて、ゾネは大真面目に命の恩人であるラナへ無礼すぎる問いを投げかけた。


 ラナは一度大きく深呼吸をした。


「……あなたにとってあなた以外の他者は想いを寄せる相手とそれを妨害する者の二種類しかいないの ? 」。


「そ、そんなことはありませんわ ! 」。


「そうかしら ? 」。


 ラナは首をかしげる。


 ゾネは妖精族の王種である光妖精ウィスプ


 本来であればこの一行の中でも妖精達をまとめ、率いなければならない。


 しかし彼女の瞳に映っていたのは命の恩人であるコウだけであり、彼以外の者に対しては少しばかり、いやかなり素っ気ない態度をとっていた。


「……あなたはコウのことを太陽にたとえていたわね。でも太陽がまぶしすぎて気づけなかったのかもしれないけど……。太陽が沈んだ夜空にだって光はある。私達だってあなたのことを大切に思ってる。あなたと仲良くなりたいって思ってる。残り少ない妖精族の仲間なんだから……」。


 美しい満月と満天の星空を背にして、ラナは静かに優しく語った。


 彼女のまとう白銀の鎧を蒼い星月せいげつの光が綺羅綺羅きらきらと輝かせていた。


 先ほどまで冷たく思えた光が今はゾネに違った印象を与える。


 ゾネは気づいた。


 気づかされた。


 自分がどうしようもなく寂しかったことに。


 幾万遍いくまんべん叫んだ助けを呼ぶ声に誰もこたえてくれなかった孤独が、そこから救い出してくれた者以外を見えなくしていたことに。


 いつの間にか、涙が月光を反射していた。


「……ラナ…… ! わたくしは……あの地獄にずっとひとりで……。だから……だけど…… ! 」。


 拳を握りしめ、肩を震わせ、歯を食いしばって、号泣するゾネ。


 虚勢きょせいの鎧を脱いで、彼女はようやく泣いた。


 ラナはそんな彼女を静かに抱きとめた。



 街道。



「……交渉の余地はない。お前達四人の首とその剣を『聖女』様がお望みだ…… ! 」。


 恐らくリーダーであろう一番大柄な漆黒の獣人は、にべもない態度だ。


「隊長……。ネリー様は領主様の妹……。『聖女』様はああおっしゃいましたが、生け捕りでも……」。


 群れの一匹がおずおずと申し述べた。


「レイフ、黙っていろ ! 大っぴらに人間族をぶち殺せるんだ ! こんな機会を逃せるか !! 」。


 別の一匹が乱雑に生えた牙をむき出しにして吠える。


 人狼族は先の「百年戦争」で早々と人間族に降伏して、その走狗そうくとなった。


 よって他の種族に比べれば大分優遇されていたが、それでも鬱憤うっぷんは溜まっているようだ。


(……領主様お抱えの人狼部隊……。変化する前の姿は見たことはあるけど……)。


 ふらつく頭でネリーは言い争う二匹を眺める。


 ネリーだけではない、他の三人も二匹に意識を向けた。


 その瞬間、街道の両脇の木陰からすさまじい速さで影が飛んできた。


 二匹の漆黒の人狼が挟むように襲い掛かってきたのだ。


 短剣以上の長さの五本の爪が確実に殺せそうな魔法使いの二人に迫る。


「ギャン !! 」。


「うおっ !! 」。


 一匹は頭部が燃え盛る炎に包まれて転がり、もう一匹は脚に風の刃を受けて動きを強制的に止められた。


 完全にきょをつかれた人間達は反応できなかった。


 反応できたのは空気のわずかな流れを知覚した妖精だけ。


「追撃して !! 」。


 その声に動かされたかのようにキャスの槍が動きを止めた人狼を突き、ワンテンポ遅れて顔を燃やして倒れた人狼をネリーの剣が切り上げる。


 攻撃を受けた二匹はダメージはそれほどなくとも、面食らったように群れの元へ戻った。


 ポフリ、と軽く柔らかい音がして小太りの魔法使いの頭の上に風妖精シルフ火妖精サラマンダーとのハーフの妖精が着地した。


「……犬に襲われてるあんたを助けるなんて……初めて出会った時と逆ね ! 」。


 真紅の髪を持つサラが嬉しそうに足元の顔へ語り掛けた。



 街道上空。



「ねえコウ、あなたひょっとしてハーレムを形成する気じゃないでしょうね ? 」。


 もう目的地に到着するというのに、腰のウエストバッグ型のアイテムボックスが妙な確認をしてくる。


「……そんな甲斐性かいしょうはない」。


「甲斐性があれば作るかもしれないんですね。ひどい男……。自分の身になって考えてみてください。逆に私が週六日はあなた以外の男の腰に巻かれて、あなたの相手をしてあげるのが一週間に一度だけだったらどう思うんですか ? 」。


「……自分の担当の日以外は誰かが代わりにあんなのと戦ってくれるんだったら、それもいいかもな……」。


 コウは眼下の人間達と対峙たいじする人狼の群れを見て、溜息まじりに言った。

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