第132話 ようやく戻る記憶


──前話終了時よりも少し前。




 ルチアナが走り出し、ジョンもその後を追おうとするが、それは果たせなかった。


 稲妻のような激しいヒステリックな声が彼の頭の中で掻き鳴らされたからだ。


──封印を解きなさい !! 今すぐに !!


「な、なんだ !? 今の声は…… !? 」


 ジョンは慌ててその発声源であろう背中の剣を鞘から抜く。


 するとその剣身はまるでヒステリックな女性のように稲妻をその身に帯びて、パリパリと空気を振るわせていた。


「……これは…… !? 」


──早く !! 封印を !


 急かすように稲妻の一条が彼の身体を打つ。


「ぎゃっ !! 」


 真冬に静電気でバチっとやられる数十倍の痛みが男を襲った。


「こ、この剣、悪魔でも封印してんのか !? 」


──失礼ね ! そんなわけないでしょ !! 早くしないとぶっ殺すわよ !!


「イダダダダダダ !? わ、わかったから稲妻で攻撃するのをやめろ !! 」


──早く !! その髭型の知能を持つアイテムインテリジェンスに命じて !!


「……ヒ、ヒーちゃん ! この剣の封印解除ってできるか !? 」


 その声に応じて、カイゼル髭の端が黒い触手となり動き出す。


 そして「本当にいいの ? 」とでも言いたげに一度彼の顔を窺うように動きを止めてから、剣の柄にからみついた。


 次の瞬間、剣の柄尻から赤い光が放たれ、ジョンの目の前の空間にバーチャルキーボードが投影される。


「うおっ !? なんで急に SF みたいになってんだ !? 」


──あんたがつくったんでしょうが ! 早くパスワードを入れなさい ! 四桁 !


「パ、パスワードだと…… !? 」


 ジョンはしばし悩んだ後、指を動かす。


 そしてそれが不正解であることを示す不協和音が鳴る。


── 1 2 3 4 なんてそんな単純なわけないでしょうが !? さっさと思い出しなさい !


「す、すまない…… ! 」


 地球では意外と数字を 1 から順に並べただけのパスワードがどれほど警告されても結構な割合で使用されているそうだが、記憶の失う前の彼はこの危険なモノが封印されている剣に対してそこまで単純なパスワードを使わなかったようだ。


 ジョンはもう一度、指を動かす。


 そして不協和音が鳴る。


── 5 9 6 3 って何よ !? 「ごくろうさん」ってこと !? 封印されてた私に対して !? あおってんの !?


「そ、そんなつもりはないんだが……。なんかヒントはないのか !? 例えば記憶を失う前の俺の大切な人の誕生日とか…… !? 」


──……それなら…… 1 0 0 1 よ !


「わかった ! 」


 再度、彼は指を走らせる。


 そして鳴る不協和音。


──なんで違うのよ !?


 今度は稲妻の炸裂音もついてきた。


「ぐおっ !? 知らねえよ ! とにかく他に候補の数字はないのか !? 」


──…………… 0 4 0 1


4 月 1 日エイプリルフールか。そんな冗談みたいな数字で……」


 ジョンはブツブツと文句を言いながら指を動かした。


 ピンポン、と軽い音が鳴る。


 そして次の瞬間、白い光が弾けた。



────



 十月の女神、ミシュリティ―は止まった時の中で目の前の男女を見つめ、そっと手をかざす。


 すると白い光が二人を包んだ。


 そして彼女は優しげに微笑むと、ゆっくりと歩き出す。


 神域に戻るための門に向かって。


 この宙に浮かんだ黒い丸穴が存在している短い間、女神とその御使い以外の者の時は止まる。


 その穴の近くで男が目を押さえながら転げまわっていた。


 初めて出会った時も、この男が両目にダメージを負わされていたことを思い出して、彼女の微笑みは苦笑いへと変わる。


(あの時……この男が無謀にも女神に行った悪魔祓いによって、私は私の中に残った支配されていない部分を分霊として地上に降臨させることができた……)


 ミシュリティ―が転げまわるジョンに向かって手をかざすと次第に彼の目から痛みが消えていく。


「……ようやく痛みが治まったか。正しいパスワードを入れると爆散するなんて……どんな仕様だ……。一体どんなバカがつくったんだ…… ? 」


 ぶつぶつと記憶を失う前の自分に文句を言いながら、男は立ち上がり、ミシュリティ―に気づいた。


 二人は無言で見つめ合う。


(美しい……なんて美しい女性だ…… ! 小麦を思わせる茶色がかった黄金の髪に……森のように深い緑の瞳……目じりが少し下がり気味なのも優しげで良い。少しだけ豊満よりなのも俺の好みだ……)


 男がそんな不躾なことを考えていると、女はどんどん嬉しそうな顔となっていく。


(笑顔も素敵だ…… ! でも待てよ……。状況から考えて、この女性が剣に封印されていたんだよな……。ということは見た目によらず結構キツイ性格か……。しかも雷を操れるようだし……機嫌が悪くなると物理的に男に雷を落とすタイプか……。仮にこの女性と結婚したら気の休まる暇がなさそうだな。そして子どもが生まれてもその厳しさのせいでグレてしまい、俺はそんな家庭が嫌になって仕事に逃げ、女は別の男の元に通うようになり、見事に家庭は崩壊するんだ……。やっぱり無しだな……)


 徐々に女性の顔は曇り始め、そこから雷が発せられても不思議ではない様相となっていく。


(……なんか俺の考えてることに従って表情が変わってないか ? ひょっとして心を読んでる ? いや、まさか……そんなこと……)


「……あるわけないじゃない」


 ミシュリティ―は引き攣った笑顔で言った。


(読まれてたああぁぁぁぁああああ !? なんで !? )

「す、すみません ! 」


 慌てて謝罪をする男に女神は笑顔のまま、にじり寄る。


 両手に弾ける雷を携えて。


「……いいのよ。確かに私はあまり人を甘やかさない方だから……。それにあなたにはお礼をしないといけないから。封印してくれたお礼と封印を解いてくれたお礼をね」


 お礼参り、という言葉がある。


 それには、願掛けした物事が成就した後に、お礼の意味合いで寺社に詣でること、という意味と、もう一つ、不利益をもたらした相手へ、関係が解消した後に報復すること、という意味がある。


 彼女が発したお礼という言葉がこの後者に該当することは、彼女が纏う稲妻によって自明であった。


「ひぃっ !? 」


 悲鳴をあげて男は逃走を試みるが、女は瞬間移動したとしか思えないほどの速度で彼の前に現れ、そして両掌でやさしく男の頭を挟み込むと、そこに雷をスパークさせる。


「アギャロッペヒギゥゴハロペシュロ !!!! 」


 もはや言語ではない叫びが響く。


 そしてパキン、と男の頭の中で何かが壊れた音がした。


「ふう……スッキリしたわ」


 白目を向いて崩れ落ちた男を眺め、満足そうなミシュリティ―。


「コウ、さっさと起きなさい。痛み以外は身体にダメージはないはずよ」


 彼女はジョンに向かって、彼が記憶を失う前の名でもって呼びかける。


「……俺は……なんで生きてる…… ? あの時……死んだはずじゃ……」


 男は、コウは両手で顔を押さえながら、呻くように呟いた。


「さあ ? 背中の剣に封印されていた親切な女神様が手助けしてくれたんじゃない ? 」


「そうか…… ! ミシュリティーが俺の命を維持してくれてたんだな……。ありがとう…… ! 」


 身体をゆっくりと起こすと、コウは爽やかに笑った。


(ああ、嫌になる…… ! コウは一度も私に恩着せがましいことを言ったことがないのに……。でも……)


 彼女はわずかに視線を逸らすと、話題を変える。


「それでこれからどうするの ? 私はしろが無くなった以上、神域に帰らなきゃならないけれど……」


 ミシュリティーは顎で黒い穴を指し示した。


「神域に行けば……エイプリルの神域にも行けるな。よし ! 」


 ──俺も、と言いかけて男は気づいた。


 周囲にはこの場に残されるルチアナとフィリッポでは対処しきれないほどのアンデッドがまだ残っていることに。


 そして思い出した。


 この凍った時の中で時の止まった他者を傷つけることができないルールを。


 コウは天を仰ぎ、大きく息を吐いてから、情けない顔でわらった。


「あなた……本当にバカね」


「ああ、知ってる。だがな、自分のことを愚かだと知らない奴よりは賢いのかもしれないぜ ? 」


 深いようで浅い、コンビニの底上げされた弁当のようなことを言う男。


「……もし生きて再び神域に来ることが出来たら……まず私の神域に来なさい。今度は生きては出さないから…… ! 」


「な、なんだ急に挑発しやがって !? もう一度ぶちのめされたいのか !? いいぜ、やってやる ! 首を洗って待っとけよ ! 」


 コウはファイティングポーズをとる。


(ああ…… ! そうじゃない…… ! そうじゃないの…… ! なんで私は素直にエイプリル姉様のところじゃなくて……私の傍にずっといて欲しいって言えないの…… !? )


 ミシュリティーは男に背を向けると神域への門に向かって歩き出す。


「そうそう……あの少女から汚らわしい蜥蜴とかげどもの毒を全て抜いておいたわ。これで彼女の病も癒えるはずよ」


「なんだと……それって……」


 男の疑問に答えることなく、女は黒い穴に消えていき、そして時は動きだした。

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