第131話 女神の御使い
「うおおおぉぉぉぉおおお !! どけえぇぇえええ !! 」
ルチアナが行方不明だと聞いて、魔素が回復していないにも関わらず
彼はルチアナを取り囲み、飲み込もうとする
そして、簡単に跳ね返された。
死んでからまだそれほど
「ぐっ…… !! 」
背中から倒れ込んだフィリッポはすぐさま起き上がり、愛用の大斧を構えて再度突撃する。
そして、同じように弾き返される。
今度は 2 メートルほどにもなる甲虫の化け物の
幾度となく同じような光景が繰り返された。
次第にフィリッポの身体からは血が流れ、打ち据えられた箇所は青黒く変色していく。
実力差は明らかであった。
その死の壁を構成するモンスターや人間のゾンビ一体にもまるで歯が立たないのだ。
それでも、段々と勢いが弱まっていくも、フィリッポは突撃をやめない。
それは避けようのない死に抗おうとする人間の足掻きのようであり、朝に太陽が昇るのを防ごうとするかのような滑稽さがあった。
「フィリッポ !! もういいわ !! 逃げて !! 」
ズタボロになった身体を再び起こそうとしているフィリッポに向かってルチアナが叫んだ。
不思議と腐った化け物どもは包囲の輪を縮めては来ず、フィリッポに対しても迎え撃つことはしても、追撃はしてこなかった。
だがジョンは動けなかった。
彼がルチアナの傍を離れてフィリッポに加勢した瞬間に彼女が襲われる可能性がある以上。
(クソ…… ! まだか…… !? ソフィア、早く来てくれ ! )
フィリッポは無言で立ち上がり、また吹き飛ばされる。
「フィリッポ !? 聞いているの !? 逃げなさい ! このままじゃ、あなたまで…… ! 」
「……嫌です」
「え ? 」
それは今まで彼女の命令を聞き続け、彼女のために「戦闘狂」というおかしな人格まで演じてみせた男から初めて聞く拒否の言葉だった。
「俺は……必ずルチアナ様を救ってみせます…… ! 」
「……逃げてって言ってるでしょ ! あなたには言ってなかったけど……私は……本当は病気が完治なんてしてなかったの ! 今助かったとしても……どうせもうすぐ死ぬの ! だから……逃げて ! 」
「…… !? 」
ルチアナの叫びにフィリッポは驚愕の顔を浮かべるが、すぐにそれを引き締めて大斧を構え直して、突撃する。
そして今度は胸に大きな爪による三本筋の傷をつけられて吹き飛んだ。
それは今までの傷よりも深く、出血も激しかった。
ジョンとルチアナにも血の臭いが届くほどに。
「……なんでよ…… ? どうして……いつもは
ペタリ、とルチアナは地面にへたりこんだ。
「……俺は……人形なんかじゃありません…… ! 俺には……心がある。だから……心が従えない命令は……聞けません…… ! 」
男は大斧を杖のように立てて、それに縋って、再びよろよろと立ち上がる。
そして続けて言った。
「……俺は……近衛兵を務めていて……ルチアナ様の病室の警護をしてました……その時は兜を被っていたから……顔を見せてはいませんでしたけど……まだ若いのに……病気と闘って……懸命に生きようとして……自分がつらいのに……俺たち近衛兵をねぎらってくれて……なんて言うか……ルチアナ様の……魂の気高さを……感じて……」
「そんな……ちがう…… ! 私は……そんな人間じゃない…… ! 物語の賢王様みたいに……兵を気遣って……そんな自分に……酔っていただけ……」
ルチアナは両手で顔を押さえて、必死にフィリッポの言葉を否定するが、それは最早朦朧とする彼には届かない。
「だから……俺は……近衛兵としてではなく……一人の人間として……男として……ルチアナ様を守ると……誓ったんです……だから……『逃げろ』だなんて言わないで……俺に……あなたを……守らせてください…… ! 」
そうして、フィリッポは腫れあがった血まみれの顔で笑った。
「何言ってるの !? 私はあなたがその身を犠牲にして、この場を逃げ延びたとしても……もう長くないのよ…… !? 」
「……それでも……今日を生き延びれば……明日……奇跡が起こるかもしれません……新薬が出来上がったり……十月の女神様が祈りを聞いてくださったり……そんな……ルチアナ様の明日のためなら……俺は……俺は……この命を賭ける ! 」
そう叫んで、男は再び大斧を構えた。
「……フィリッポ……」
その頃になると腐った化け物達の状態に変化が訪れていた。
基本的にルチアナとジョンを包囲してその陣形を崩さなかった化け物達が少しずつ動き始めた。
濃密な血の臭いに引き寄せられるように。
今まで迎撃以上のことはしなかった死の壁の外殻の一部がフィリッポに向かって動き始めた。
「ああっ !? フィリッポ ! ど、どうしたらいいの !? 私は……こんな時、物語の主人公だったら……どうしてる…… ? 」
ルチアナはへたり込んで、両手で頭を抱えた。
「……あの男は今、自分の心に……想いに従って……ルチアナを救おうと足掻いてる……」
ジョンがこんな状況なのに、静かにルチアナに語り掛けた。
「ルチアナはどうなんだ ? 自分の心は、魂は……どうしたいと望んでる ? どんな答えでもいい。誰かの真似をするんじゃなくて……自分の心が出した答えで……あの男の心に
「私の……心…… ? 」
ルチアナは死の壁に飲み込まれようとしているフィリッポを見つめたまま、放心したように呟いた。
そしてジョンに手渡した懐剣の柄をつかみ、スラリと抜き放つ。
曇り一つ無い、純潔を思わせる鉄の刃が美しく彼女の顔を映していた。
ルチアナはそれを両手で刃を上に垂直に構えると、短く人間の神である十月の女神に祈りを捧げてから、走り出した。
「うわああああぁぁぁぁぁああああああああああああ !!!!!!!!!!!! 」
それは痩せた美しい少女が放つとは到底思えない獣じみた絶叫だった。
彼女はいずれ病に耐えられなくなった時に使おうと肌身離さず持ち歩いていた自害用の刃を、死の殻を内側から破るために、フィリッポを救うために、不格好に足掻いて今日を生き延びるために使うことを決めたのだ。
彼女の視線の先では今まで彼女と対峙していた動く腐乱死体どもまでもが背を向けてフィリッポに殺到していた。
極度の興奮状態からか、やけに時の流れが緩やかに見えて、音が消えた。
そんな中、大斧を振り回して死に飲み込まれまいとしていたフィリッポがゆっくりと引き倒され、その上に次々とゾンビどもが覆いかぶさっていく。
フィリッポの名を喉が破れるほどに叫んで、走るルチアナの視界に、緩やかな世界であっても追いきれぬほどの速度で白い閃光が走った。
瞬間、彼女の世界に音が帰ってくる。
鼓膜を破るほどの轟音と衝撃が彼女を吹き飛ばした。
薄い背中から叩きつけられたルチアナは苦悶の声を肺の空気とともに吐き出すが、すぐに起き上がる。
すると彼女とフィリッポを隔てていた動く死者の壁は、微動だにせず、ただただ
「……一体何が…… ? フィリッポ…… ! 」
ルチアナは再び走り出す。
フィリッポがいたあたりにある巨大な黒焦げた消し炭の塊に向かって。
懸命にまだ熱いそれを払いのけると、簡単にその塊は黒い粉となって散っていく。
そして中から見慣れた極彩色のシャツが見えて来た。
「フィリッポ !! 」
ルチアナの呼びかけに、フィリッポは咳き込んで口から大量の消し炭を吐き出しながら目を開く。
「……ルチアナ様……一体……何が…… ? 」
「わからないわ……。奇跡が起こったとしか……。でもフィリッポ……ありがとう…… ! 私……あなたの忠義の心に
「ちゅ、忠義の心…… !? 」
「今日を……今を生き延びてみせる……そうすればあなたの言うように……明日は何か素敵なことが待っているかもしれない ! さっきみたいに奇跡が起こるかもしれない…… ! 」
そう言ってルチアナは力強く微笑んだ。
その顔にフィリッポは何も言えなくなり、同じように笑った。
(忠義の心……か。ま、まあいいか、一歩前進ってことで…… ! )
そんなフィリッポの頭の上、消し炭で覆われて黒い地面にいつのまにか誰かの足が見えた。
素足だ。
女性の。
ルチアナは視線を上げようとして、できなかった。
神威、としか言いようのない凄まじい圧が彼女とフィリッポの身体を動かしがたいものとしていたのだ。
(これは……まさか……十月の女神ミシュリティ様…… ? なら……さっきの白い閃光は……神の雷 ? )
そして託宣がなされた。
──あの者に、
(あの者…… ? まさかジョンのこと…… !? )
ルチアナが強張る顔をなんとか動かして少しだけ振り向いた視線の先には、先ほどの白い閃光をまともに見てしまったのか、「目があぁー ! 目がああ ! 」と叫びながら地面を転げまわる男の姿であった。
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