第144話 狡猾な踏み絵


「……失礼いたします」


 厚いドアを開いて、カラカラと車輪が回る。


 メイドの押す、黒く艶のある木製のテーブルワゴンの車輪だ。


 そしてその天板には大きなティーポットと空のティーカップが数客。


 この群島の特産品の一つである紅茶は大陸へも輸出されているが、それでもそれを栽培する島の領主の館で出されるものの香りは、貴族の兄に仕えていたネリーでも嗅いだことのないほど、上品で甘いものであった。


「……本当は冷やしたお茶を出す方が良いのかもしれないけれど……」


 やや脚の短い大きなテーブルの上に湯気を立てる紅茶が配膳されて、ルチアナは口を開いた。


「この群島の暑さの中、冷房の効いた室内で熱い紅茶を飲むのが最高の贅沢だ、なんてコウが言うから、最近は私もそうしているの」


 微笑んで彼女はカップに口を付けた。


 その言葉を聞いて、ドナが一瞬だけなんとも言えない表情を浮かべたが、すぐに余所行よそいきのすました顔に戻る。


「……いただきます」


 ネリーも「貴族」であるルチアナがカップに口をつけたのを見計みはからってから、カップを傾ける。


「……美味しい…… ! 」


 強めの冷房で少しだけ冷えた身体をかぐわしくあかい液体が中から温めていくの心地よかった。


「ふふ、そうでしょ、ウッドリッジ群島の中でもこの島の紅茶は最高なんだから ! 」


 ルチアナの顔がほころんだ。


 それは大陸とはまた違った、この島の持つ熱い生命力が現れ出たような笑顔だった。


 そんな彼女を、後ろに立つフィリッポは目を細めて眺める。


「……人狼族に……土妖精ノームも……この島には他種族がほとんどいないから、物語で読んだことしかないの。実際に会えて嬉しいわ ! 」


 そんなルチアナの言葉に、レイフとドナに二人は無難な微笑みでこたえる。


「……妖精族の中にも妖精王ハイラムの非道な行いに我慢できず私達に協力してくれる者がいるのです」


 人間族を苦しめる元凶となった妖精族の者が何故いるのだ、というもっとももな疑問がくる前にネリーが予防線を張った。


「ええ、全ての種族が力を合わせてこの世界から悪魔を打ち払うのがミシュリティー様の新たな願いだから、他種族の方が協力してくれるのは喜ばしいことよ」


 領主に会えずともルチアナから協力の約束を取り付けた以上、今日この場ではこれ以上の収穫が望めない。


 どこか仕事が終わったような和やかな空気が流れていた。


「ところで、その十月の女神様の御使い……コウ様ですか。彼は今どこに ? 」


「恐らくはこの島の別の街に……もしかしたらもう別の島にまで足を伸ばしているかもしれないわ。門前の女神像を見たでしょ ? 」


 ルチアナは窓から見える島の遠くに目をやりながら言った。


「え ? ええとても素晴らしい像でしたが……」


 急に女神像の話が出て、戸惑うネリー。


「あれはコウが作ったものなの。当家が魔法具や魂石を提供したお礼にね。近隣の貴族や豪商の門前にあるのもそう。それぞれの家が彼に協力したあかしなの。あの像は」


「……ということは、現在はこの街以外の貴族や商人にも協力を求めて奔走なさっているということですか ? 」



「そうよ。だからこの島の領主であるお父様はそのための根回しで忙しいの。でも……その甲斐もあってあれだけ立派な像を作ってくれたのよ。島民達も『さすが領主様だ ! 一番御使い様に貢献なされたから、一番素晴らしい像を賜ったんだ ! 』と噂しているわ ! 」


 彼女はまたしても陶酔したような瞳となり、薄い胸を張った。



────


「……どう思う ? 」


 あまり効きのよくない宿屋の冷房魔法具による蒸し暑さに耐えながら、ネリーは狭い室内に集合した皆の顔を見回す。


「完全におとされてされてるな。あの姫さん」


 キャスが片頬を皮肉っぽくあげた。


「それにしても御使い様のやり口……よく出来てますね。あの像は単純なお礼なんかじゃありませんよ」


 タオが腕を組みながら難しい顔をする。


「どういうこと ? 」


「あれはある意味、踏み絵ですよ。あの像を見た者はこう思うでしょうね。『この家は御使い様に協力したんだ。だが銅色ということは金色や銀色の像よりも大した協力はしてないんだな』とか、『この家の前には像がない、ということはこの家は御使い様に協力していない不届き者だ』とかね」


「やがてそれが同調圧力になって協力せざるを得なくなるってことか……。いやらしいやり方だ」


 レイフが眉間に皺を寄せて吐き捨てるように言った。


「……その協力というのも金銭や魔法具なんかを提供させているみたいですし……どうも怪しいですね」


「まあ実際に会ってみてからだな。どうするかを決めるのは。もしそいつが希代きたいの詐欺師だったら、ドナが言ってたように逆に利用すればいいさ」


 キャスが懐から煙草を取り出し、火をつけながら言う。


「ドナ ? 」


 いつもならば彼の喫煙に関して小言を言う彼女が先ほどからあまりに静かなので、キャスは訝しげに声をかけた。


「あ、すいません。ちょっと昔を思い出していて……。ほら今日『冷房の魔法具が効いた中で熱いお茶を飲むのが最高の贅沢だ』と御使い様が言ってたって……。妖精王も……ハイラム様もよくそんなことを言ってたから……」


 伏し目がちに、小さな声でドナが呟いた。


 箱庭テントの中で幼馴染の土妖精ノームを始めとした仲間達と過ごした日々を思い出してしまったのだろう。


「そうだな……。あの頃のあいつはどんな種族とも分け隔てなく接していたからな。特に女には……。ま、今更そんなことを言っても仕方ない。下の酒場で飯にしようぜ ! 」


 そのキャスの号令で、一行は狭い部屋から解放される。


(あれ…… ? なんだろう…… ? 何かおかしい……。そうだ…… ! ハイラム様は光妖精ウィスプ。サラと同じように花蜜しか飲めないはず……なのに……なんで…… ? )


 ドナが小首をかしげながら最後に部屋から出る。


 階下は広い酒場を兼ねた食堂となっていて、明日も早いのに飲んだくれている漁師や、クエストを終えた冒険者でにぎわっていた。


「……お前、あの領主様の館の像を見たか ? すげえぞ ! 思わずひざまずいて拝んじまった ! 」


「ああ、それに引き換えクラムスキー商会の幹部の家の前を見たか !? 散々もうけてやがるのに、銅色の像だぞ ! きっとケチって御使い様に大した寄付をしなかったに違いねえ ! あんな所の品物はもう買わねえぞ ! 」


 酔っ払いどもが最近増え始めた女神像についてそんな感想を叫ぶ中、カウンターで一人酒を呷る者がいた。


(クソ…… ! なんであの像がそんな風に思われてんだ !? ただ単に協力のお礼として設置しただけなのに…… ! 逆に迷惑になりかねないじゃねえか…… ! )


 今日一日、この島を文字通り飛び回っていた男は自棄やけ気味に冷えたエールを流し込み、お代を置いて帰ろうと振り向いて、固まった。


 その視線の先には、彼以外の店内の男の視線も集めているプラチナブロンドの美しい勇者がいた。



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