第74話 インモラル・クロス


 花畑の脇を通る村の長閑のどかな道に不似合いな舌打ちの音が響いた。


「……行儀が悪いのぉ」。


 たしなめる声に、すぐに反発する声が返る。


「あんたにだけは言われたくないよ。食べながら歩いて……ぽろぽろ落としてるじゃないか……」。


 豪奢ごうしゃな身なりで貴族のようでありながら、サンドイッチを片手に歩く壮年男性に対して濃い茶色のローブを目深まぶかにかぶった女が毒づいたのだ。


 これは小鳥達への施しじゃ、高貴なる者の義務ノブレス・オブリジュじゃ、と大声でわめく下賤な振舞いの男を無視して、女は再び花畑を、正確には花畑の上を飛ぶ者達を見やる。


 それは何体、いや何十体もの妖精達であった。


 さすがに全裸で飼育することは、はばかられたのか、小さな襤褸ぼろを纏い、首にはアクセサリーにしては物々しい黒く細い鎖を巻いている。


 妖精達は花の前でホバリングして、花蜜を吸い、お腹をいっぱいにしてから、細長い木製の小屋へと帰っていき、また飛んでくる。。


 綺麗な花々の上を飛び、甘露である花蜜を味わっているのに、妖精達の顔は一様に汚れ、疲れていた。


 それは小屋に置かれた各々の花蜜瓶に一定量を集めなければならないノルマのせいであり、それが達成できなかった時の罰則、ペットショップに売られるか、「繁殖係」になるか、のせいであった。


 時折、パステルカラーの花の海から金色の髪が覗くのは、花畑の世話をする土妖精ノーム達であろう。


 いまや妖精の国は、かつての国民達を利用した花蜜の一大産地であった。


 妖精が集めた花蜜の瓶詰は不老長寿に効果があるとして、王族や貴族、金持ちに大人気なのである。


 彼らにとって女神の恩寵も持たず、よって抵抗できない妖精達はとても便利な生き物であったし、人間族以外の種族をそう扱える力を授けてくれた十月の女神に日々感謝しながら毎日を過ごしている。


 このいびつな状況に、ほんの少しの疑問も持たずに。


「……そこの二人、止まれ ! 」。


 道の先から軽鎧けいがいを装備して槍を持った男が小走りで近づいてくる。


 この元妖精の国で花蜜農家を営む者達の懐は豊かであったし、よってその収める税金も多かった。


 そのため街から離れた花畑しかないようなこの場所にも盗賊やモンスター対策として警備兵が配備されていたし、一番収益を上げている者は自前で冒険者を警備として雇ってさえいる。


「見ない顔だな……。何者だ !? 何の目的のこの地へ来…… !? 」。


 滅多に言う機会もなく、それ故に久々に気合を入れた勇ましいセリフを完遂することなく、警備兵はどさりと地に倒れた。


 羽音も立てずにローブの袖に戻っていく蜂を横目に見て、壮年の男は、地に伏しているが、二度と立ち昇ることのない男に向かって答えてやる。


「ワシの名はバート・マンスフィールド。神のつかいじゃ。この地に来たのは……解放のためじゃ…… ! 」。


 胸に片手を当てて、高らかに宣言するバート。


「……その目的は今のところ全く果たされてないけどな……。あのエルフは失敗して殺され……あんたの言う『神の器』とやらは、どういうわけか人間どもの味方をしてやがるし……」。


 ごぅおあごぉへあ ! と壮年男性ならではの淡のからんだ異常に大きな音を出して、バートは道に汚物を吐き捨てる。


「うわ !? 汚ね !! 」。


 ローブの人物は慌ててその汚れた場所から飛び退しさった。


「さあ !! 行くぞ !! ビーネ !! まずはあの繁殖小屋からじゃ !! 」。


 耳の痛い指摘をお下劣な行為で乗り切り、バートは胸を張って道を行く。


 そんな彼の後ろを呆れたように首を横に振りながら、目深にフードをかぶったローブの女が続いた。




 雀のちゅんちゅんと鳴く声が聞こえてきそうな朝、コウは気怠けだるげに起き上がる。


 昨夜のことが夢ではないのを彼のすぐ隣で眠る女がこれでもかとその大きな身体で激しく主張していた。


 コウは彼女を起こさないように、そっとウエストバッグ型のアイテムボックスを引き寄せると、アイテム「洗濯の杖コインランドリー」を取り出し、その先端から放たれる青い光を顔に当てて洗顔・歯磨きの代わりとしてから、アイテムボックスを腰に巻いてその固有機能「瞬着」によって一瞬で外出用の装備に着替える。


 つま先の尖ったくるぶしまで包む濃い茶色の革製ブーツ。


 げ茶色のズボンに、若草色の厚いシャツの上には銀色の軽そうな胸当て鎧。

 さらにその上から袖のあるフード付きの深い緑色の外套がいとう


 まるで樹木が人となったような行き過ぎたナチュラリストの色合いだ。


 樹人は静かにドアを開き、廊下に出た。


 廊下の先のホールのそのまた先の「庭」ではすでに土妖精ノーム達が畑から野菜を収穫している。


 おそらくは彼らの朝ごはんなのだろう。


 コウはその様子を少しの間、眺めてから足早に「箱庭テント」から外に出た。


 途端に、キャンキャンと可愛らしい鳴き声とともに、もこもこの黒い小型犬が彼に飛びついて、固まった。


「…… ? モコ、一晩中、番犬をしてくれてありがとな」。


 そう言って彼が愛犬に伸ばした手を、彼女はガブリと噛んだ。


「ぎゃっ ! 」。


 短い悲鳴をあげて転げる彼に構うこともなく、モコは単身で森の奥へと駆けていく。


「ま、待て ! ノーリードはマナー違反だ ! 」。


 この異世界でマナー違反もクソもないだろうに、慌てて引き綱を持って後を追うコウ。

「……そうだ……前にもこんなことがあったな……。あの時は何でだっけ…… ? 」。


「……あなたが一晩中、よその女を抱いて帰ってきた時よ……」。


 いつの間にか人型の獣人型となったモコ、いやリーニャがすっと木の影から現れて、言った。


「人聞きの悪いことを言うんじゃない……。あの時は友達の家に泊まったら、そこの飼い犬が布団に入ってきただけだったろうが」。


「でも……今回ベッドに入ってきたのは犬じゃあないでしょ ? 説明してくれるよね ? 」。


 わざとらしく鼻を鳴らしながら、人狼の女が近づいてくる。


「そ、それは……」。


 どういう理由で説明責任が課されたのかは全く理解できないコウに代わって、腰のウエストバッグ型のアイテムボックスから何かがにゅるりと出て来た。


「……それは私が説明しますよ。事細ことこまかにね」。


 魔法人形マジックドールのペペだ。


 そしてさい穿うがつ、夜の出来事の再現が言葉でなされた。


「なるほどね……。よくわかったわ」。


 説明を聞き終えて、しかめっつらのリーニャ。


 その前には昨晩の発言まで全て再現されて、高熱を発したような顔のコウ。


「わかってくださいましたか ? 」。


 うやうやしく、ぺぺが言った。


「ええ。コウが彼の隣をチェリーの居場所としてあげたんなら、私は前をもらうわ。まだ空いてるんでしょ ? 彼女の反対側の隣と前後は」。


 鋭い目で彼を睨みながらも、リーニャは口角を上げる。


 コウが、そんな問題じゃない、と言う前に、またペペが音声を発した。


「それがよろしいでしょう。どうですか ? いっそのこと前後左右をあなたを慕う女性で固めるインペリアルクロスの陣形でいくというのは ? 」。


「そ、そんな外側に向かって防御力を発揮するよりも、内側に向かってすさまじい攻撃力を振るいそうなインモラルな陣形なんて、できるわけねえだろ ! 」。


 コウは前後左右から攻め立てられる恐ろしい修羅場を想像して、震えあがる。


「何が不道徳インモラルなの ? 」。


 ガサリと茂みからチェリーが現れた。


 ベッドからいなくなったコウが日課の散歩に出たのだと予想して、追ってきたのだろう。


「ひぃい !! 」。


 思わず情けない悲鳴をあげるコウを不思議そうに見やるチェリー。


「大丈夫ですよ。思い切ってチェリーに『めかけを許してください』と言うんです。そうすればすべて丸く収まります。逆に言えばそれ以外の解決方法はありませんよ。言いなさい。言いなさい。言いなさい。言いなさい。言いなさい。言いなさい。言いなさい。言いなさい。言いなさい。言いなさい。言いなさい。言いなさい。言いなさい。言いなさい。言いなさい。言いなさい。言いなさい。言いなさい……」。


 背後から彼にだけ聞こえる音量で呟き続ける魔法人形マジックドール


 その言葉の羅列に、コウはだんだんと判断力を無くしていき、最低最悪の許可願いを出してしまう。


「……チェリー……いきなりで悪いんだけど……妾を許可してくれないか…… ? 」。


 いきなりでなくとも、どんなタイミングでも許可されるどころか刃傷沙汰にんじょうざたになってもおかしくない妄言を吐き終わった後、すぐにコウは正気に戻り、青くなる。


 しかし彼女の反応は彼の予想と全く異なったものだった。


「え…… ? え、ええ ! まあ……数人くらいなら……。い、いきなり何なのよ……。私、先に帰ってるから……」。


 顔を真っ赤にして背を向けてテントの方へと小走りに去っていくチェリー。


「どういうことだ…… ? 」。


「だから大丈夫だと言ったでしょう。この世界は地球に比べれば古臭い考え方が常識となっています。人間族の間では『妾の部屋を掃除してやるくらいの度量がなければ正妻は務まらない』と言うくらいですから」。


 ペペが魔法人形マジックドールとは思えないほどに滑らかに肩をすくめてみせた。


「ふう、そういうことは先に言え……待て…… ! ということはさっきの発言は……」。


「ええ、あなたはチェリーを『正妻』として迎えいれるという宣言でもありますね。正妻以外にあんなふざけた許可をとる必要はありませんからね」。


 コウは慌ててテントへ走り出そうとしたが、前から激しく尻尾を振りながら飛びついてきたリーニャによって、それは果たせなかった。


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