第147話 レイフの決別
太陽が真上に来るにはまだ余裕がありそうな空の下、ネリーは軽い足取りで歩く。
彼女とすれ違った人々が思わず、何か良いことでもあったの ? と声をかけてしまいそうになるくらいの調子で。
昨夜の彼女と違うのはそれだけではない。
純白の薄いマントを鎧の上から纏い、手には大きな布製の手提げ袋を持っていた。
「随分とご機嫌だな」
一日の間に許可された五本中、すでに最後の一本の紫煙をくゆらせているキャスの皮肉っぽい声が彼女を出迎える。
宿屋の一階、受付と食堂、さらに酒場を兼ねた壁のないピロティスペースに並べられたテーブルの一つにネリーの帰りを待つ者達が集まっていた。
「……宿の女将さんの話だとあの人は『錬金術師』だって言うし、外れかと思ったんですけど、収穫があったみたいですね ! 」
ドナがにっこりと笑った。
「ええ、お土産をもらったの ! 」
ネリーは布袋から彼女が纏っているのと同じようなマントを出して皆に配る。
「これは…… ? 」
「羽織ってから魔力を通してみて ! 」
「……涼しい !? 冷風を出す外套なんですね ! 」
「……消費する魔素も微々たるものです。これは良い品をいただきましたね。それに……サラちゃんの分まで……サラちゃん ! 出てこれるかい ? 」
小さなお人形サイズの薄く白い外套を持つ少々太り気味のタオの言葉に応じて、彼の纏うローブのフードの中から、軽い羽音とともに小さな妖精が飛び出してきた。
「……どうしたの ? 」
薄手の人形用としか思えない寝間着を身に着けた彼女は力なくテーブルの上に着地するとタオを見上げる。
「この外套を被っていればこの島の気候でも、もう少し心地よく過ごせそうですよ」
そう言うと彼は手慣れた様子で彼女に
遠目には小太りの男性が恋人のお人形に服を着せてあげている危険な光景にしか見えなかったが、漁師町でいつ海難事故にあって命を失ってもおかしくないこの辺りの住民は、ある意味おおらかで、それほど他人の奇行に興味がないのが幸いであった。
「涼しい……。それに……私のサイズにピッタリ……翅のスリットも……タオが作ってくれたの ? 」
「いや……私じゃないよ。この島の『錬金術師』だ。大陸出身みたいだから妖精のサイズも知っていたのかもしれないね」
タオはそう言って確認するようにネリーを見やる。
「そうね。彼は妖精のことを誰よりも知ってるわ……。あとこれもサラにって……」
ネリーは再び布袋に手を入れると、大きな瓶を取り出す。
その中には琥珀色の粘度の高そうな液体が一杯に入っていた。
「それは…… !? 」
「大陸産の花蜜だそうよ。貴族からもらったって」
タオがスプーンでそれをすくい、サラの前にもっていくと彼女はゆっくりとそれを飲み始めた。
「美味しい……。力が湧いてくるわ…… ! もっと……もっとちょうだい ! 」
久しぶりに飲んだ生まれ故郷の花蜜の味を懐かしむように噛みしめる暇もなく、あっという間にスプーンを空にするサラ。
「ああ、良かった ! いくらでも飲んでください ! 」
タオは笑顔で再び花蜜を掬う。
ネリーはそんな彼らを微笑ましく眺めながら、さらに箱を二つテーブルの上に置く。
「これはキャスに……これは私達にって」
一つをキャスに差し出し、もう一つを開けると、ドナの歓声が上がった。
「焼き菓子じゃないですか ! 美味しそう ! ……食べてもいいですか ? 」
「もちろんよ ! 」
この群島に渡って、久しぶりに穏やかな空気が流れていた。
ドナがお菓子に夢中な隙をついて、箱の中に詰まっていたこの島の特産品である葉巻に火をつけたキャスが一服してからネリーに顔を向ける。
「……で、どうだったんだ ? あいつは御使いだったのか ? 」
「……その前に、私の話を聞いてくれる ? 」
ネリーは打って変わって神妙な顔になると、皆を見渡した。
「……昔の……私達と共に戦った時のハイラムと、今の人間族を奴隷として支配しているハイラムと……違うと思わない ? 」
「ああ、あいつは変わっちまった」
キャスは葉巻特有の甘い紫煙を天井に向けて吐き出した。
今更ながらそれに気づいたドナだが、ネリーの話の腰を折ってしまいかねないので、叱責をぐっとこらえたようだ。
「……コウが言うにはそれには原因があるそうなの」
「原因 ? 」
花蜜を満足するまで飲み終え、落ち着いたサラの細い眉がひそめられた。
ネリーは一度大きく深呼吸をしてから続ける。
「それはハイラムに憑いた『洗脳』を司る悪魔のせいよ」
「そんな…… !? でも……」
「確かに納得できないことはありません。それくらい彼は変わってしまいましたからね……。もしそうならその悪魔を祓えば……ハイラムを元に戻せるということですか ? 」
腕を組んで難しい顔をしたタオが問う。
するとネリーは大きく頭を横に振った。
「いいえ。その……信じがたい話だと思うんだけど……ハイラムはその『洗脳』の力を行使して入れ替わったの。私達とともに戦い、『百年戦争』に勝利した者と……それが……成り代わられた本来の四月の女神の御使いが……コウなのよ」
「バカな !? そんなことがあるわけが…… ! 言いたかないが、ネリーの方が洗脳されて帰ってきたんじゃないか !? そっちの方がまだ説明がつく ! 」
キャスが両手をテーブルに叩きつけてネリーに迫った。
「疑うなら状態異常解除魔法を私にかけてくれもかまわない。私は自分に出来る方法を全てとって確認した結果、コウは嘘を言っていないという結論に達したの」
ネリーはじっとキャスを見つめ返した。
かつてハイラムとそういう関係でもあった彼女の言は妙な説得力があった。
「……確かに思い返せば違和感があります。ハイラムは
「それに……ハイラム様は人間と同じような食事をとっていました。
レイフはそんな仲間達のやりとりをどこか遠い世界での出来事のように眺めていた。
ネリーが帰って来た時、彼女の「直感」が全てを悟らせたのだ。
(ハイラムが私達を裏切った時、私は怒りよりも……嬉しさがあった。だってあいつのハーレムが解消されてネリーが戻ってきたから……レジスタンスでずっとネリーと一緒にいれたから……)
彼女は茫然とコウのために仲間を説得するネリーを見やる。
(……わかってた。あいつの妾をやめたって……私の想いが実るわけじゃないし……いつかは別の誰かと愛し合うようになるってことくらい……でも……その相手は絶対にネリーを幸せにできる最高の男であって欲しかった。私がきっぱりと想いを断ち切れるくらいの……あんなハーレムを築いてるような男じゃなくて……ネリーだけを愛してくれる……)
レイフは大きく頭を振った。
彼女の考えは至極まっとうなものである。
いくら妾が認められているこの世界でも誰が、愛人が十人前後います ! まだまだ増えます ! という男と一緒になって幸せになれると思うであろうか。
(でも……そんなのは私のわがままだ)
レイフは出会った頃からのネリーを思い出す。
彼女は喜怒哀楽、全てをネリーと共有したことがあった。
(でも……今帰って来た時……それからあいつの傍にいた時……ネリーは私が見たことのない顔をしていた。多分あれが……ネリーの「幸せな顔」なんだ……。私にも楽しい顔や嬉しい顔は見せてくれた。でも……ああ、私が……男だったなら…… ! )
彼女は深く溜息を吐く。
(……仕方ないよね。悔しいけど、納得できないけど、もしネリーを悲しませたら……殺すけど……)
レイフは立ち上がる。
自分の想いと決別するために。
彼女の親友を援護するために。
「……ネリーの言っていることは真実よ。私の『直感』がそう告げているわ」
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