第146話 勇者のリストカット




 少しだけ肌にべたつくような潮風が吹き抜ける夜の島、上弦の月が、いやに明るく照らす道を二人は歩く。


 明日も晴れそうだね、と無難に初対面らしいことを恥ずかしげに言う隣の男の顔を見るため、彼女は横を向く。


 ドナが言っていたように妖精族の女が好きそうな顔で、その割に握られた手は思ったよりゴツゴツした感触を彼女に伝えていた。


 ネリーは、不意に昔のことを思い出す。


(ハイラムも……妖精族で、手を酷使することなんて無いはずなのに、しっかりとした手をしてた……)


 それは一年ほど前であったろうか、妖精族を中心としたパーティーというよりは他種族の対人間族連合軍とでも言うべきものに彼女が合流していた時、とある街で蟲人が大量に潜んでいるという情報が流れてきた。


 その街は人間族至上主義の象徴のような街であり、他の種族の者がその門をくぐることが許されていなかったため、ハイラムは配下の光妖精ウィスプにしばらく指揮を任せて、その街にネリーと二人で調査することとなった。


 二人の関係は ? と門の横の検問所で尋ねられた時、彼女は少し迷って「夫婦です」と。


 そして仮住まいを探しに街を歩くと、ハイラムの手が彼女の手を掴もうかと動いては引っ込むのに気づき、じっと彼を見つめると「あ、いや……その夫婦ってことにしとくんなら……手くらいつないだ方がそれっぽいかなって……」なんて男性に逞しさを求める女性が聞けば、一瞬で株価がストップ安になり、市場しじょうが大混乱におちいりそうな情けない返事が返ってきた。


 彼女は苦笑すると、政略的なものも含めてめかけが十人近くいるとは思えない男の手をとった。


 その時の彼は今、隣にいる男と同じような、はにかんだ微笑みを浮かべていた。


「ネリーには兄弟はいるのか ? 」


 答えを知っているのに、男がそんなことを聞く。


 まるで彼女が次に心に思い浮かべることを読んだような質問に、少しだけ驚くけれど、そんなことはおくびにも出さずネリーは答える。


「ええ……兄が一人いるわ。でも……今は大陸のどこかに収容されている。考えたくもないけれど、多分首に隷属の首輪をつけられて……」


「そうか……無事だと良いな」


 男はネリーが期待する以上に悲痛な顔でもって彼女を見つめる。


「ええ……そうね」


 ネリーはかつて妾であった母の元から貴族の父とその正妻の元に連れて行かれ、酷い仕打ちを受けていた。


 そんな彼女を唯一庇ってくれたのが二つ上の腹違いの兄であり、いつしか彼女は兄を想うようになる。


 そして妖精族を中心とした軍団の中、彼女は人間に強い恨みを持つ妖精から時に致命傷になりかねないほどの攻撃を受けることがあった。


 そんな状況で身を挺して彼女を護ってくれたのが、ハイラムであり、彼は妖精族からの忠誠心が下がるのを承知でそうしてくれた。


 段々と彼女は彼に兄の姿を重ねるようになっていく。


 人間であるネリーが妖精族に従うのは、彼らが「百年戦争」の勝者となった時、彼女の功績でもって兄を助命するためであった。


 ネリーはその約束をより確たるものにするため、という大義名分によって大胆な行動を起こすが、一度目は成就しなかった。


「……俺にも姉ちゃんがいるからネリーの気持ちは良くわかるよ」


 そう言って彼は改めて兄の助命を約束して、彼女がその代価という名義で差し出そうとしたものを受け取らなかった。


 たった今、隣の男が言ったような感じで。


「え ? ええ……ありがとう」


「さあ ! ついたぞ ! 」


 手から伝わるネリーの体温に少し慣れたのか、男はおどけたように言ってもう一方の手でポツンと立つ工房を指し示し、その重厚な金属製の扉の鍵を開けて、横にスライドさせた。


 それから壁のスイッチを手探りで押すと、天井の照明アイテムがまるで昼間のように明るく工房内を照らす。


「そこに座ってくれ」


 客を出迎えるカウンターテーブルの向こうに赤い革張りのソファーがテーブルを挟んで並び、彼はそこへと彼女をいざなう。


 不意に彼女は青い光に照らされた。


 コウがアイテム「洗濯の杖コインランドリー」を使用したのだ。


 強炭酸水で全身を洗われたような、信じられないくらいの清涼感とともに全身から汚れが消えていく。


 金属製の鎧に比べれば、幾分マシとは言え革製の鎧を纏っていて汗をじっとりとかいていた彼女にはありがたかった。


(……ひょっとして汗臭かったかしら ? )


 男はそんな彼女の複雑な心中を気にもせず、背を向けて魔法具で湯を沸かしていた。


 機嫌良く歌を口ずさみながら。


 ネリーはそれを聞いて身体を強張らせた。


 あまりに下手過ぎた、というわけではない。


 多少音程はおかしかったが。


(……さっきのアイテムも……この歌も……)


 ハイラムと二人、人間の街で蟲人を捜索するためにわずかな間、暮らした時に彼がよくキッチンで歌っていた歌だ。


 結局その捜査というのも、彼に休暇が必要だと判断した参謀的な役割の魔法人形のペペが仕組んだ狂言であり、その間の護衛として選ばれたのがネリーだった。


 四月の女神の御使いという役を演じず、妖精や他の種族達の目を気にせずに済む彼との二人の生活は、ごっこ遊びだった。


 決して本物には至らない。


 けれど遊びだから、とても楽しい。


 夫婦ごっこ。


(いくらなんでもおかしい…… !? ひょっとして幻術系のスキルにはまってる ? 私の……大事な人と自分を重ねさせて支配するような……だってこの歌は……異世界の歌……ハイラムしか知らないはず……あれ…… ? なんで ? ハイラムはこの世界生まれの妖精……それに……あの街は人間族だけしか入れないのに…… ? わからない…… ! とにかく幻術スキルを解かなきゃ…… ! )


 そして彼女は基本的にして最善な幻術スキルの解除方法を試すために腰の剣を抜いた。


 お茶の準備を終えたコウが振り向いて、目に入ったのは剣の刃を自らの手首に押し当てる女の姿。


「うぉっ !? なんで急に俺の家でリストカットしてるんだ !? そんなに来るのが嫌なら断れよ ! いや、そもそもお前が誘ったんじゃねえか ! どれだけ情緒じょうちょ不安定なんだよ ! 」


 慌てて剣を取り上げようとするも、すでにネリーの手首は血まみれ。


(こ、こいつ…… ! やっぱりおかしい ! 酒場でも痴女的な誘い方してきたし……。俺がいない間にろくでもねえ男とつき合って……捨てられて……おかしくなったんだ……)


 心理捜査官系海外ドラマを 2 ~ 3 シーズン見たことによって培われた彼のプロファイリング・センスが発動した。


 彼は回復薬をネリーの手首に振りかけ、傷はすぐに治癒するが、彼女の瞳はどこか虚ろだった。


「どうしてこんなことを…… !? 」


「……ごめんなさい。急に切りたくなっちゃって……ねえ、コウ……服、脱いで ? 」


「え ? 」


 一転、彼女は据わった目で彼を睨むように見つめる。


「脱がないんなら……無理やりにでも剥ぎ取るから…… ! 」


 「勇者」の恩寵によって一般的な男性よりもはるかに強い力を持つ彼女はそれを遺憾なく発揮する。


「よ、よせ ! 性別が逆だったら完全に犯罪だぞ ! 」


(手首を切った後、すぐに男の肉体を求め始めるなんて……ダメだ ! 完全にメンのヘラだ…… ! )


「何を勘違いしてるの !? 確認するだけだから ! 」


 自ら身体を傷つけることによって激しい痛みを感じても、彼女のおかしな感覚は消えなかった。


 よって彼女が幻術スキルにはまっている可能性は小さくなる。


 そこで彼女はもう一つの可能性を確かめるために動いたのだ。


「……あった !? でもそんな……そんなバカなことが……」


 かつて彼女がハイラムに刻んだはずの印が、そこにあった。


 御使い様は、ハーレムをもてていい、なんて言うやっかみ混じりの声もあった。


 だがかつてネリーは自分に置き換えてみて、彼の立場にぞっとしたことがある。


 もし自分が彼と同じようなハーレムを形成したとして、十人くらいの男を順番に相手して、しかも体に愛の証拠として消えない傷を刻まれるのだ。


 その中には巨人族や竜人族など、ほとんどモンスターみたいなのもいる。


 正気の沙汰とは思えない。


 やがて彼女もその狂気的な輪に加わってはいくのだが。


「…………もう少し確認してみた方が良さそうね」


 そう自分に言い聞かせるように呟くと、彼女は鎧を床に脱ぎすてた。




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