第145話 勇者の誘い


 潤滑油の切れたブリキのロボットのように不自然な動きで、コウは再びカウンターテーブルに向き直り、もう一杯、エールを注文する。


「おや、帰るんじゃなかったの ? 」


 日焼けした肌に刻まれた皺をさらに深くしながら、女将が面白そうに言う。


「ま、まあ明日は休みだし……もう少し飲もうかな……」


「休みねえ……そう言えば、あんたの工房、最近ずっと閉まってるそうじゃないか ? なんかあったの ? 」


 しばらく顔を見せなかった常連客に女将は少しだけ心配そうに問う。


「最近は他の街に出張して営業してたからな……。何の問題もないさ」


 彼女から新しいジョッキを受け取りながら、コウは気もそぞろに返した。


「……そんなにあの子が気になる ? やめときなよ。どうやらあの子、『勇者』様らしいよ。一般人には手の届かない存在さ」


「ああ、わかってるよ。嫌というほどな」


 コウの「わかってる」を己の身分をわきまえている、と解釈した女将は安心して次の客の注文に奔走し始めた。


「……あの白い麻のシャツのカウンター席の男、気にならないか ? 」


「え ? 」


 そう言われてドナは先ほどから、ちらちらとこちらを窺う男を見やる。


 タイミング良く、ばっちりと目が合うとすぐに男は視線を前に戻した。


「……確かに妖精族の……ラナとかが好きそうなタイプですけど、私達土妖精ノームはもっと逞しい、岩とか大地を思わせるような異性が……」


「そうじゃない……。あの男……昼間に姫さんから聞いた御使いの特徴に当てはまってないか ? 」


 キャスは苦笑しながら言った。


「……確かにこの群島では珍しい黒髪・黒目ね。それほど日焼けもしてないし……」


 ネリーが男の背中を見やる。


 そしてまた目が合う。


 すると男はプイっと前を向く。


「……探りを入れてみましょうか ? 」


「そうだな……ちょうどあの男の隣の席も空いてるし……まあこういう場合はネリーに行ってもらうのが一番だな。どんな男でもすぐに落せちまう」


 ネリーが苦笑いを浮かべながら無言で立ち上がろうとした時、彼女の右手が掴まれた。


「レイフ ? 」


「……ダメ。行かないで…… ! 」


 明らかに狼狽えた顔だ。


「どうしたの ? あの男が危険なの ? 」


「違う……。あの男はあなたに危害を加えたりしない。それどころか……でも……ダメ」


「船で言ってた『直感』があいつのことだっていうのか ? 」


「そう……」


「なら大丈夫よ。レイフに悪いことが起こるっていうのはきっと私のことを心配しすぎて胃が痛くなるってことじゃない ? それにあなたの直観通りなら、皆にいいことがあるのよね ? なら……やっぱりあの男が御使い様の可能性が高いわ」


 ネリーはレイフを安心させるように微笑み、やさしくその手を剥がすと軽い足取りでカウンター席へ向かう。


「隣、いいかしら ? 」


 男の返事も待たずにたおやかにネリーは彼の隣へ座った。


「なっなんだ…… ? 」


「ふふ、さっきからちらちら見てたでしょ ? 私に興味があるのかなって思って」


 大きなグレーの瞳が細くなる。


「あ、いや……その……気に障ったなら、すまない……」


 男はその視線から逃れるように俯いた。


「いいのよ。私はネリー、あなたは ? 」


「……コウだ」


「コウ……御使い様と同じ名前なのね」


「……こ、この島じゃあ珍しくない名前だ。多分 1000 万人くらいは同じ名の奴がいるさ」


 そんなわけねえだろ ! この島の人口よりも多いじゃねえか ! という心の声を押し殺して、ネリーは女将に彼と同じエールを注文する。


(当たりね。この男が御使い様のコウで間違いないわ。否定するのは……周囲の人間にバレたくないから ? なら……)


「ねえ……この店、少し暑くない ? 」


「そ、そうかな ? 結構涼しいと思うけど……ここの酒場の冷房魔法具は俺が仕上げたし……」


 誰の奇襲を警戒しているのか知らないけど、そんな鎧を着こんでるから暑いんだよ、という心の声が聞こえそうな顔の女将がちらりと視界の端に入ったがネリーは攻勢を緩めない。


「……もっと涼しいところに行かない ? 」


 彼女は男にぴったりと身を寄せる。


「い、いい、いいけど…… ! す、少し歩くけど……街はずれに俺の工房があるんだ……。そ、そこなら最高の冷房があるぞ…… ! 」


 顔を真っ赤にして動揺しながら、コウは言った。


(こ、こいつ、いつからこんな淫乱な痴女みたいな誘い方をするようになったんだ !? 俺がいない間にろくでもない男にでも捕まって仕込まれたのか !? )


 二人は寄り添って立つ。


 男は無意識に隣の女の手を取ろうと伸ばし、慌てて恥ずかしげに引っ込めた。


 だがそれに気づいた女の手が、改めて男の手を握りしめた。


 男はもう片方の手を頭にやり、これ以上なく照れながら、手を繋いで店を出て行く。


 店内の男達の羨望の視線に刺殺されそうになりながら。


「……なんだかこっちが恥ずかしくなるくらいに照れてましたね。それほど女性慣れしていない風には見えなかったんですが……」


 タオが溜息を吐いて、その代わりに水を流し込む。


「『工房』って言ってたから、あいつは『錬金術師』なのかもしれん。きっとアイテム作成ばっかりやってて、生身の女に耐性がないんだろうぜ」


 キャスが片頬を上げた。


「……危ないかもしれません」


「ん ? 」


 難しい顔をしたドナの呟きにキャスが怪訝な顔をした。


「あ、いえ、危ないって言っても殺されるとかじゃなくて……あの男……似てるんですよ。外見は違うんですけど……昔のハイラム様に……雰囲気というか……特にさっきの感じ……セレステに迫られた時のハイラム様にそっくりで……だったら……」


「……逆に落されるってのか ? まさか…… ! 」


 キャスは豪快に笑って、エールの杯を一気に空けた。



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