第112話 忍ぶ鱗の乙女は一人探る


 マラヤ・クイン・トラバート。


 この国の王の第一子の名前。


 亡くなった先の王妃が産んだ唯一の子の名前。


 新しい王妃に憎まれた継子ままこの名前。


 この国では「英雄」という言葉とともに呼ばれる名前。


 けれども「出戻り」という言葉とともに噂話になることの方が多い名前。


 その名前に敬称を付けて、入室を乞う声が聞こえた。


「……どうぞ」


「失礼いたします……」


 メイド服を凛と纏った若い女性がドアを開けて、するりと室内へと入ってくる。


 彼女はカレン。


 私のお付きのメイドであり、戦友でもある。


「ウッドリッジ群島のリン様から書簡が届いておりますが……」


 カレンは可愛らしい封筒を両手で差し出した。


 懐かしい名前が記されたピンク色のそれは、季節ごとに海を渡る鳥を私達が扱う薬によって飼いならし、いつでも利用可能な郵便屋にすることで運ばれてきたものだ。


「珍しいわね。どのような用件かしらね ? 」


 亡くなった母の故郷である島には幼い頃に旅行した覚えがある。


 その時、母の親族で、私よりも少しだけ年下のリンとはよく遊んだ。


 その手紙が運んできた思い出を少しだけ楽しんで、私は竜の骨製のお気に入りのペーパーナイフで封を解く。


 すると、これまた可愛らしい桃色の便箋びんせんが顔を覗かせる。


 取り出したそれに記されている内容は、これもまた可愛らしいものであった。


 胸やけがするほどに。


「どうかいたしましたか ? 」


 私の何とも言えない表情を見たカレンが不思議そうな顔をする。


「……読んでごらんなさい」


 蜜が滴り落ちそうなほどに甘ったるいそれを渡すと、カレンは苦笑いした後、納得したようだ。


「……つまり人間族の男と恋仲になったけれど、その男は記憶喪失で胸に爬虫類人リザードマンの同胞の証があるから、その男について大陸の爬虫類人リザードマンは何か知らないか、ということですね」


「便箋十枚を要約すれば、そういうことですわね。残念ながらそんな箇所に証を打たれるような人間族の・・・・男に心当たりはありませんけれど」


 一枚分はリン自身とウッドリッジ群島の爬虫類人リザードマンの近況、そして残り九枚はその男のことで埋め尽くされていた。


「それから……ウッドリッジ群島の人間達は、群島に彼ら以外の種族が少ないからか、主神が交代した意味を今一つ理解していないようですね。教会……それ以外にも爬虫類人リザードマンに害をなす勢力がいるとは……」


 溜息混じりにカレンが言う。


 『百年戦争』が終わって、十月の女神ミシュリティーが主神の座から陥落して、十二の種族の力関係は大きく変わっている途中だ。


 人間達は百年に渡って他の十一の種族を支配し、迫害した。


 その裏に悪魔達が暗躍していたとしても、扇動されたとしても、行ったことに対する代償は実行犯が払わねばならない。


 人間族は支配される側になり、それを受け入れられない者はレジスタンスとなった。


「それにしてもこのジョンとかいう人間の男、『そのままのお前が好きなんだ……』とか怖気おぞけの走るようなこと言っちゃって……リン様もそれにやられるなんて……恥ずかしくないんですかね ? 」


 カレンは便箋を眺めながら、首をひねる。


「…………私はそんなに悪くない告白の言葉だと思いますわ……」


 似たような言葉で篭絡ろうらくされたことのある身としては、リンとその男をついつい弁護したくなる。


 ハイラム・ファン・ハーヴェイ様は妖精族の光妖精ウィスプ


 人間サイズで、金髪碧眼の女性と見紛うような美しいお方。


 「百年戦争」において四月の女神エイプリル様の代理人として、人間族以外の種族の連合を率いて勝利しただけではなく、この世界を侵食しつつあった悪魔をしりぞけたお方。


 そして私を側室として迎え入れたお方。


 私だけではなく、他にも判明しているだけで十人は妾がいた。


 今にして思えば、なんていびつな関係だったのだろうか。


 いくら一夫多妻やその逆をもとする種族がほとんどで、あのお方がこの世界・・・・の男とは比べ物にならないほど女に対して優しく、マメだったとは言え。


「……この世界 ? 」


 ふと、今ほど自分の思考に疑問を持つ。


 確かにあのお方は、他の男とは色々と違った。


 それをどうして私は「この世界の男と違う」と評したのだろう。


 あのお方は紛れもなくこの世界の妖精族の光妖精ウィスプであるのに……。


「……どうかしました ? 」


 カレンが心配そうに顔を覗き込んでくる。


「……なんでもありませんわ。ただ、何か寒気が……」


「マラヤ様もですか ? 私もさっきから寒気が止まらなくて……。最初はこの手紙のせいかと思ったんですけど……風邪でも引きましたかね ? 」


 カレンはぶるりと身体を震わせた。


 何か違和感がある。


 それに……この寒気には覚えがある。


 あのお方とライノ坊やと一緒に幻を操る蟲人と戦った時、私達爬虫類人リザードマンが十二月の女神、セブリブラア様から賜った恩寵の一つ「状態異常耐性」が敵の幻術に対して抵抗レジストした時と同じ感覚。


 私は何かに急かされるようにベッドの下、床との間の狭いスペースに手を伸ばす。


「……懐かしい。ハイラム様がつくってくださった宝箱ですね」


 ベッドの下から無事帰還した両手にあるのは宝石を散りばめたキラキラの箱。


 あのお方が私のリクエストにこたえて創ってくださった、私の宝物を仕舞うための箱。


 待って。


 創った・・・ ?


 妖精族は四月の女神エイプリル様の「創造」の権能の一系統、「現象創造」を精霊魔法の恩寵として賜っているはず。


 だから光妖精ウィスプであるあのお方は光の精霊魔法を行使することはできても、「創造魔法」を使うことはできないのに……。



「……開きなさい ! 」


 半年ぶりに、この箱を開く唯一の鍵である私の声を聞かせると、ゆっくりと蓋が上がっていく。


 その動きが今の私には、じれったかった。


 完全に開いていない箱の隙間に手を差し込んで、中味を取り出す。


 それは真っ赤な竜の革を張った冊子さっし状のもの。


 あのお方と出会ってからの日記帳。


 誰かの眼にその内容が映れば、恐らく私は恥ずかしさのあまり死を選んでしまうほどの危険物だ。


 すぐ側にカレンがいることも忘れて、私はそれを開く。


「……え ? 」


 中のページは、その全てが真っ黒に焼け焦げていて、とても文字など読むことができない。


 瞬間、今まで以上の寒気が背骨を伝う。


「これは……一体…… ? 」


 カレンが自分自身の身体を寒さから守るように抱きしめながら、覗き込んで、言った。


 私は今、とても恐ろしい想像をしている。


 恐ろしいけれど、自分に都合の良い想像。


 この箱は時空間を操る魔石によって中に収められたモノの時を止める。


 それに干渉できるのは十二ヶ月の女神級に強力な存在だけだ。


 そしてどうやらその存在にとって、この日記帳に書かれた内容は都合が悪いらしい。


 ただただあのお方との日々と、私の想いを綴っただけのふみが。


 それはあのお方が心変わりをされたのではなく、何かの干渉を受けて私を遠ざけたのではないかという淡い期待を含んでいた。


「……確かめなければなりませんわ」


 寒気を押しのけて、半年ぶりに身体に生気がみなぎるのを感じて、私は部屋を飛び出した。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る