第80話 重たい少年



 固いモノ同士が衝突する硬質な音がして、振りぬかれた爪の軌跡上にいた小さな蟲人は五分割となる。


 形状としてはイナゴの頭部と人間の身体で、その全てが黄土色に茶色の斑が入った外骨格に覆われた蟲人は積極的にライノを襲ってはこなかったが、彼が守らねばならない部屋を攻撃してくる以上、やらねばならなかった。


 再び小さなはねの音がしてライノは身構えたが、すでにガラスの割れた窓から入ってきたのは顔なじみの妖精だった。


「ライノ ! こんな所にいたの ! 外に出てあの化け物共を駆除してよ ! 」。


 仲間の妖精を抱きかかえて飛ぶ茶色い髪の妖精は十二の種族で最強と言われる竜人の少年に懇願する。


「ダアメ。ベスサマノダィジナヘヤ、ナカニベスサマモネエテル。ココマモラナキャ」。


「何言ってるの !? あの子以外の家族は皆もう逃げてった ! もうあの子が助からないからじゃないの !? それに……あの子の家族が赤ん坊だったあなたを冒険者から買って……奴隷に育てたのよ !? どうしてあの子に忠誠を誓ってるの !? 」。


 繁殖小屋でこの惨劇の原因となった二人と対峙したライノは、ベスを抱えて一目散に逃げた。


 そして家に帰還したが、死んだように動かないベスを見た家族の判断はシビアなものだった。


 一番高価なたね妖精と純血の妖精数体を入れた籠を抱えて、すぐに巨大な化け物と小さな化け物が溢れ出したこの場から避難したのだ。


 動けない娘と、この元妖精の国から離れると首に巻かれた奴隷の鎖が致命傷を与えるために避難することのできない竜人の少年を残して。


 そしてライノは死体のようになった彼女を窓のない、彼女が一番お気に入りの書庫へと寝かせて、唯一の出入り口であるドアの前に仁王立ちしていた。


「もう化け物は人間や建物を攻撃するのをやめて妖精達を襲い出してるの ! お願い ! 」。


 ライノは奴隷である。


 彼自身が何かを判断することは今まで何もなかった。


 全て人間に言われるままに生きてきた彼は自ら考えて行動することが、とても苦手だった。


 だから少し前に選択を迫られた時は逃げ出したし、今はかつてベスが「この書庫はとても大事な場所なの ! 」と言ったことに従っているだけだった。


(メラニーはそう言うけど……どうしたらいいんだ…… ? )。


「……ねえライノ、あなたの望みは何 ? その部屋を守ること ? それともその部屋の主を守ること ? 」。


 ふいにメラニーに抱えられている妖精がライノに声をかけた。


「ベスサマ、ウゴォカナイ。オキテホシィイ」。


 噛みつくことに特化した牙だらけの口を懸命に動かして、ライノは彼の願いを述べる。


「そう……ベス様に回復して欲しいのね。じゃあ外に出て妖精を救うべきね。少しでも多く」。


 妖精は噛んで含めるように優しく語りかける。


「ドウ……シテ ? 」。


「竜人のあなたには感じられないかもしれないけど、さっきからとても神聖な気配を感じるの。恩寵を得ていない私でも感じることができるほど強い気配を。恐らく……ううん、絶対に四月の女神様の御使みつかい様よ…… ! 」。


 ライノは首をかしげた。


 まったく話が見えてこなかったからだ。


 そんな彼に構うことなく、妖精は少し前の取り乱した様子を微塵もみせることなく、どこか陶酔したように続ける。


「四月の御使い様はどんな重症でも口づけで治すことができるそうよ。それこそ……手足が欠損していようとね。そんな力を持った方がすぐ近くまで来ているのよ」。


「ジャ、ジャア、ソノヒトツレテクレバ、ベスサマナオル !? 」。


 興奮気味にライノは妖精に詰め寄った。


「……落ち着いて。それは多分あなた次第よ」。


 妖精は小さな両手を前に出してライノをなだめる。


「ボクシダイィ ? 」。


「そうよ。四月の御使い様は当然私達妖精の味方よ。妖精を苦しめた花蜜農家の人間の娘を救う道理なんてない。でも、もし化け物に襲われているたくさんの妖精達の命を救ってくれた竜人がお願いすれば、聞いてくれるかもね」。


 妖精は優しく微笑む。


「ワカアッタ」。


 次の瞬間、ライノは弾丸のように窓から飛び出ていった。


「……可哀かわいそうな子……。でもこれで少しでも妖精が救われれば…… ! 」。


 そう呟いた妖精の声に、わずかに含まれた侮蔑の音を聞き取って、メラニーは腕の中の彼女を床に下ろしてから問うた。


「……まさかライノを利用するために、居もしない四月の御使い様をでっち上げたんじゃないだろうね ? 」。


 まるでそんな存在を感知しておらず、よって責めるような口調のメラニーに妖精は小さく溜息を吐いて、首を横に振った。


「神聖としか言いようのない力を感じているのは本当よ。四月の女神様そのものと言ってもいいくらいの強い力を。……でもあなたは、あなた達はそれすら感じとれないみたいね」。


 若草色の髪の下の若草色の美しい瞳が、ほんの、ほんの少しだけさげすみの色を浮かべて、茶色い妖精を見つめた。


 いや、メラニーにそう見えただけなのかもしれない。


 彼女はその視線に耐えきれず、横を向いてしまう。


(……自分が純血だからって…… ! 私だって……好きで人間とのハーフに生まれたんじゃないのに…… ! )。



 戦うことを選択したライノの身体はかつてないほど、軽かった。


 それは初めて自らの意志で戦うことを決めた心によって身体が軽快に動いたとかいうレベルではない。


 実際に軽かったのだ。


 小さな蟲人が放つ不可視の風の刃を避けようと地面を蹴った彼は、五メートルほど上から蟲人を見下ろしていた。


 鍛えた体幹による美しい空中姿勢によって長く空中にいられるという科学的なようであって科学的ではない話では説明がつかないほど、不自然に長い滞空時間は別の蟲人の格好の的となる。


 ふっと突然現れた炎に熱く抱擁されそうになったライノの身体は、すさまじい速度で地面に落下した。


(なんだ…… !? なんだか変だ ! 身体が軽くなったり、重くなったり……とにかく動きを止めちゃダメだ。あの炎を操る蟲人は目で見てる範囲に自由に炎を出せるみたいだから、狙いを定めさせないように……。火だるまになって動きを止めた所に風の攻撃を受けたらまずい……)。


 今度は上ではなく、横に向かって跳んだライノは目にもとまらぬ速度で移動していく。


 そして一体、妖精を襲おうと彼に背を向けていた蟲人の外骨格をその鋭い爪で分割して、また彼は横へ跳ぶ。


 いや正確には横へ落ちていた。


(だんだん分かってきた…… ! これが……七月の女神様の恩寵なんだ。重さを自在に変化させたり、それが作用する方向を自由に決めることができるんだ ! )。


 また一匹、ジグザグに高速移動するライノを風の刃でとらえることのできなかった蟲人が爪によって切断される。


(……今、爪だけを重くしようとしたら、できた。重さは……威力だ…… ! 次はもう少し重くしてみよう……)。


 ライノは少しずつ戦闘に没入ぼつにゅうしていく。


 彼が救いたいと願う人間の少女は、かつて「お気に入りの本を読む時、世界がそれだけになって、私がいなくなっちゃうの ! そしていつの間にか夕飯の時間も過ぎていてお母さまにこっぴどく怒られるの ! でもその時間が一番私の幸せな時間 ! 」と彼に嬉しそうに語ったことがあった。


 その読書好きの少女と同じことが、竜人の少年にも起こっていた。


 戦いこそが竜人の本性であり、享楽であった。


 そんな日常生活、例えば同じ町内に住んでいればご近所トラブル間違いなしの迷惑極まりないであろう戦闘狂と言っていい性質を持つ者も、非常時には救世主となる。


 ライノは、地面から勢いよく突き出した太く硬質な土の棘の上を軽やかに舞い、その棘の製作者を着地と同時に、縦に分割した。


 そしてライノはえた。


 言葉を喋ることにはまるで向いていない発声器官がようやく本来の働きをなしたのだ。


 空気が震え、それを媒介とした振動が妖精たちや蟲人どもにも伝わる。


 蟲人の本能が餌を求めるよりも、敵を排除することを優先し、わらわらと彼に向かって飛び集まっていく。


 ライノはもう一度吼えた。


 それはまだまだ戦う相手がいることへの歓喜の雄叫おたけびだった。


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