第73話 役目



 昼下がり、丸いガラスに柄のついた不思議な道具を覗く赤い髪の少女が地面に這いつくばっている。


「ソ、ソレ、ナァニ ? 」。


 まだ十歳になったばかりとはいえ、まるで女の子らしくない行為をしているベスに、ライノは草むしりの手を止めて問いかけた。


「これ ? ちょっと来てみて ! 」。


 手招きをする少女の元にライノは腰をあげて駆け寄る。


「覗いてみて ! 」。


 その言葉に従って円形の大きなガラスを覗き込むと、その中に地面の小さな甲虫が逆立ちして丸い土団子のようなものを運んでいるのが拡大されて映し出されていた。


「スゥゴイ…… ! 」。


「でしょ ! 虫眼鏡っていうんだって ! 街道沿いで虫を観察していたら、貴族様みたいな格好をした怪しいオッサンがくれたの ! 」。


 ニカリ、と少女が笑った。


「タダ……デ ? 」。


「うん ! なんか急に『お嬢ちゃんが観察してるこんな小さな虫の命にどんな意味があると思うかい ? 』とか聞いてきたから最初は人攫ひとさらいかと思ったけど、ちゃんと答えてやったの ! そしたらくれた ! 」。


「ナ……ンテ、コタエタ……ノ ? 」。


「おじいちゃんの書斎にあった『モンスター図鑑』に書いてあった通りに『たとえどんな小さな命にもその役割がある。それぞれの命は懸命に生きることで自ずからその与えられた役割を果たしている』ってね ! 私みたいな子どもが答えられると思ってなかったんでしょうね ! そのオッサン、ビックリしてた ! 」。


 少女は誇らしげにまだまだ薄い胸を張ってみせる。


 彼女の亡くなった祖父はこの辺りでは珍しい読書家だった。


 そして彼が亡くなった今、その書斎の主はその妻でも、息子でもなく、孫のベスだ。


「ドンナ……イキモノニモ……ヤクメガ……アルノ…… ? ボクニモ…… ? 」。


 おずおずと竜人ドラゴニュートの少年はその金色の瞳を少女に向けた。


「そうよ ! 竜人ドラゴニュートはすごいんだから ! 十二の種族の中で最強なの ! ライノもいつかきっと自分の使命がわかると思う ! 」。


 少女は数か月前、丘を走り回って派手に転んだせいで欠けた歯を見せながら、ニカリと笑う。


「デモ……ボク……タダノドレイ……ダシ」。


 再び少年は下を向いた。


「大丈夫 ! 私が大人になったらなんとかする ! それに……神様がきっとなんとかしてくれる ! 」。


「カミサマ…… ? シチガツノ……メガミサマノコト…… ? 」。


 少女はその赤い髪と一緒に首を大きく横に振った。


「ちがうの ! おじいちゃんの部屋に数十年前の転移者の手記があったんだけど、その人によると、この世界の女神様は未熟な神なんだって ! 自分達の種族だけを愛して、他の生き物のことはなんとも思ってないって言うの ! 本当の神なら全てを愛さなければおかしいって ! だからそんな本物の神様が現れたら、きっと十二の種族をまた仲良しにしてくれるんだって ! 私もそう思う ! みんなには内緒だけどね ! 」。


 そう元気よく言うと、ベスは虫眼鏡を片手に、虫取り網をもう一方の手にもって、いつの間にか遠くへ去ってしまったフンコロガシを追いかけ始めた。


 その背中を見送った後、ライノは自分の影をつくる太陽を眩しそうに見上げる。


(本当にそんな神様がいるなら……十二の種族を平等に愛してくれるんだろうか…… ? 太陽がみんなに光をくれるように……)。




 箱庭テント。


「……ど、どうしよう……。これ、疑ごうことなく、紛れもなく、完全なる浮気だよな……。『ポケット』が帰ってきたら……殺される…… ! なんとかしないと……」。


 コウは薄暗い中、三メートルほどの大きな女が小さな寝息を立てて、とてもとても幸せそうな顔で身体を丸めているベッドの端に腰かけて、絶望していた。


「そうは言いますがね……」。


 薄い明かりの届かない所にまるで幽霊のように佇む白い魔法人形マジックドールのペペが今にも頭を抱えてしまいそうな彼に声をかけた。


「あれだけ真摯しんしな想いを告げられて、ちゃんとこたえないのはどうかと思いますよ。もしあの場を下手に誤魔化ごまかそうとしたら、さすがに彼女も本気でブチ切れてたでしょうし……。彼女はあなたを簡単に殺せるステータスなんですよ。それともひょっとしてチェリーのことが嫌いだったんですか ? 」。


 コウはゆっくりと首を横に振る。


「……そんなわけねえだろうが…… ! この世界で最初に出来た友達だし……よく見りゃ美人だし……一緒に冒険したし……胸は大きいし……俺のために命を張って戦ってくれたし……お尻は大きいし……無関係の『百年戦争』に協力してくれてるし……俺にとって大切な存在だ……」。


「ちょいちょい出てくるセクハラ気味なワードは気になりますが……それならば問題ないじゃないですか」。


「問題は大ありだろ。『ポケット』が神域から帰って来た時、どうするんだ ? それに俺は、いずれ地球に帰らなきゃならないんだぞ ? 」。


 そう言って、彼は立ちあがり、そのままバスルームへと向かう。


「……とっくにその二つが問題にならないことに気づいてるくせに……」。


 魔法人形マジックドールの呟きを意図的に無視して、バスルームの扉が閉じられた。


 それを合図にむくりと大きな身体が起き上がる。


 顔を茹蛸ゆでだこのように赤くしたチェリーだ。


「おや ? 起きていたんですか ? 」。


 ペペがワザとらしく彼女に声をかけた。


「え、ええ……。コウがずっと私のことをそんな性的な目で見てたなんて……。結構ムッツリなタイプなのかしら……」。


 チェリーは自らの身体を恥ずかしそうに抱きしめる。


「……今更恥ずかしがることですかね。でも良かったじゃないですか。ちゃんと彼もあなたのことを大切に想ってくれてましたよ」。


「そうね……。私のためにあんなことを聞いてくれたんでしょ ? ありがとね」。


 どういたしまして、と魔法人形マジックドールはうやうやしく一礼した。


(この「ポケット」さんが創った魔法人形マジックドール、本当に私とコウの仲を取り持ってくれる気なんだ……。じゃあ最初に魔法人形マジックドールが説明したこともやっぱり本当なの…… ? コウの背中の文字には正直ドン引きしたけど……すごい魔力……ううんそれを超えた力を感じた……。それも魔法人形マジックドールの言った通り。でも、だとしたら…………)。


 チェリーはそっと天井を仰いでから、ベッドを下りて、水音のする方へと歩いていった。


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