第76話 刻死剣を持つ男は女と静かに暮らしたかった



「あれはなんだ !? 」。


「巨大種か !? 」。


 人間達にとっては長閑のどかな花畑農家が集まる村の中、徐々に恐慌が広がっていく。


 その中心である巨大な生物。


 楕円形の顔の両上端に丸く黒い目、頭からは長い触覚が生えていて、顔の下には両開きの顎があった。


 頭と同じくらい太い首の下は、ほぼ人型で、背中からは大きなはねが生えていて、ぴったりと背中に張り付いている。


 外骨格の全身は黄土色で、まだらに濃い茶が散りばめられており、枯草の中に潜んでいれば到底見つけることはできないだろうと思わせる。


 その体長が現在の千分の一ほどであれば。


 巨大な蟲人はゆっくりと地響きを立てながら一歩一歩、確かめるように歩みを進める。

 警備兵、冒険者が蟲人に対応するために動き始めた頃、ベス達はそれが現れた繁殖小屋へと向かった。


「ア、アブナィヨ ! 」。


 人間種のように他者とコミュニケーションをとらないため、もともと言語を発するようには出来ていない発声器官を懸命に動かして竜人ドラゴニュートの少年ライノが警告するが、ベスはまるで止まる様子がない。


「原因を探らなきゃ ! それに最強の竜人がいるんだから大丈夫 ! 」。


 ベスは一瞬だけ振り返って、笑った。


 その全幅の信頼が、ライノには重かった。


(竜人種って言っても……僕は戦ったこともないし……七月の女神様の恩寵おんちょうも実感したこともないのに……それに……)。


 まるで甲冑のようなあおい鱗に覆われた小さな身体が赤い髪の少女を追う。


 半壊した小屋の中は天井に空いた大穴から差し込む陽光によって、明るかった。


 そっと中をのぞきこんだベスは思わず声をあげた。


「あれ !? 虫眼鏡くれた変なオッサンだ ! 」。


 その声に反応して腕を上げかけたビーネを制して、バートが少女に向き直る。


「好奇心旺盛なお嬢ちゃんじゃな。こんな所へ何しにきたんじゃ ? 」。


「あの大きな蟲人が現れた原因が何かあると思って、調べに来たの ! 」。


 元気な返事にバートは苦笑しながら白いカイゼル髭のピンと伸びた先を指でいじった。


「オッサンは何か見なかった ? 」。




 少女が可愛らしい調査を開始した頃、小屋の外はおぞましい戦闘、いや蹂躙じゅうりんが始まっていた。


 ぐしゃり、と嫌な音がして、それから上げられた巨大な足の痕にはグシャグシャに変形した軽鎧けいがいとそれを装備していた人間が血だまりになったばかりだった。


 蟲人にまるで虫のように踏み潰された警備兵のかたきを討とうと、残りの警備兵達が巨大な柱のような脚の外骨格に槍を突き立てようとするが、まるで刺さる気配がない。


 彼らにとって唯一幸運だったのは、蟲人が今のところは警備兵の相手よりも進むことを優先していることだった。


 その蟲人の目的地は、大きな屋敷だ。


 そしてそこから冒険者らしき一団が慌ただしく出てくる。


「……巨大種にこれだけ接近されるまで気づかないなんて……この農場の警備兵の目はガラス玉なのかしら ? 」。


 ピンク色のフェミニンなローブを纏ったパープルの髪の少女が、木製の細い杖をぎゅっと両手で握りしめて、言った。


 無言で鈍色にびいろで飾り気のない鎧を装備した男が彼女を安心させるかのように前に出て、すらりと剣を抜く。


「ヒヒヒ…… ! 久々に切りがいのありそうな相手だねえ ! なあグライド ! 」。


 途端にその黒い剣から声がした。


 知能を持つアイテムインテリジェンスの剣だ。


 あまりに肉を切り刻みたがるため、実はあれは知能を持つアイテムインテリジェンスではなく悪魔がとり憑いているのではないか、と噂される「刻死剣ブラック・デス」。


 その三代目の持ち主が現在売り出し中のB級冒険者で、「剣士」の恩寵を持つグライドだった。


 引き換えにした魔素の量に応じて、なんでも切り裂くという伝説の剣にも引けを取らないこの剣の持ち主にはいつも黒い噂がついて回った。


 曰く、「剣に憑いた悪魔に生贄として人間の女を切り刻んで捧げている」と。


 実際、パープル頭の「魔法使い」ジェマが彼と付き合うのを真剣に止める友人もいたが、彼女は気にもしなかった。


 グライドが無口だけれども、とても紳士的で優しい男だということを同じパーティーの彼女は良く知っていたからだ。


「……すまないな。二人でしばらくゆっくりできると思って花蜜農場の警備なんてつまらない依頼を受けたのに……こんなことになって……」。


 剣と同じ黒い髪と黒い瞳の青年が静かな声で言った。


「いいえ……きっとこれがグライド様の……力を持つ者のさだめなんです ! 行きましょう ! 」。


 ジェマは両手を握って微笑んだ。


「……いつも通りに牽制の魔法を頼む…… ! 」。


 彼は少しだけ口角を上げて、彼女に指示を出した。


「ヒヒヒ……お熱いねえ ! 俺でも二人の仲は切れないかもしれないねえ ! 」。


 冷やかす知能を持つアイテムインテリジェンスの声に、真っ赤になりながら呪文を詠唱する女と、軽く剣を叩く男。


 他の冒険者達は恐ろしいまでの圧力を伴いながら地響きと警備兵の悲鳴をお供に近づいてくる巨大な蟲人におののきながらも、この男女のやり取りを呆れたように眺めていた。


 そんな二人を見ているのか、見ていないのか、無機質な黒い楕円形の目の巨大な蟲人は少しの感情を表すこともなく向かってくる。


 運の良い警備兵はその大きな脚で蹴散らされ、運の悪い警備兵は踏み潰されて、蟲人を止める者はすでに誰もいなかった。


「ファイヤバレット ! 」。


 杖の先端からバレーボールほどの焔の玉が撃ちだされると同時に、クライドは駆けだした。


 ドン ! と花火が爆発するような音と共に焔の玉が蟲人の頭で弾ける。


「真・降天斬…… ! 」。


 グライドが剣術スキルを発動させると、彼の魂が生み出した魔素がこれ以上なく効率的に運動エネルギーへと変換され、彼は大きく宙を舞い、それとともに両手で上段に構える剣に大量の魔素を注ぎ込む。


 三十メートルはあろうかという巨大な蟲人よりもさらに高く跳び上がったグライドが、あらゆる形而下けいじかの存在を両断できると言われる「刻死剣ブラック・デス」を巨大な頭に振り下ろそうとした時、とてつもない大きさの破裂音がした。


 キィィィンと鳴る両耳を押さえてうずくったジェマがようやく顔を上げると、そこには祈る様に両の手の平をぴったりと合わせた巨大な蟲人が立っているだけだった。


「え…… ? グライド様は…… ? 」。


 放心したように呟くジェマに、蟲人の合掌した手の間から滴り落ちる大量の血が愛しい男の居場所と運命を告げていた。


 ゆっくりと離される巨大な両手の片方のてのひらに、ぺしゃんこになった鈍色の鎧とそこから溢れ出す赤色、そしてバラバラになった黒い剣が見えて、彼女は叫んだ。


「おまええぇぇぇぇぇえええ !!!!!!!!!! 何してくれてんだあぁぁぁぁああああああ !!!!!!!!!! 」


 魔力切れのことなど考えずに次々と放つ魔法も、巨大でそれ故に分厚い蟲人の外骨格をぶち抜くとこはできない。


 気が付くと目の前には血と肉の張り付いた巨大なてのひらが迫っていた。


 まるで抱きしめられるようにゆっくりと握りしめられた彼女は、愛しい男であったものと一つになった。

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