第149話 道徳と不道徳の狭間で


「……この島でも首輪とリードをつけるのがマナーとは言え……何と言うか……退廃的とでも言えばいいのでしょうか……」


 タオがレイフの首輪につながれた赤い革製のリードを持つネリーを見て、困ったような顔をする。


 それは美女二人が街の往来で、公序良俗に反するどころか、公序良俗の不意を突いて後ろから刺し殺すほどの不道徳な行いをしているから。


 けれども今のレイフは人狼族の「変化」の恩寵によって中型犬サイズの狼となっていた。


 そうなれば話は別だ。


 途端に彼女達のインモラルな姿は、飼い犬の散歩マナーを守る道徳的な姿となる。


 首輪を付けられた犬の正体が人狼族の美女であると知っている者を除いて。


 タオ達はそんなモラルとインモラルとの狭間の揺らぎで、なんとなく居心地の悪い思いをしていたのだ。


 当のレイフはそんなことを全く気にせず、張り切って地面に残った爬虫類人リザードマンの臭いを探っているのではあるが。


「なんだか……リーニャさんを思い出しますね。あの人も狼型に変化してハイラム様に……つまりはコウさんにリードを持たれて散歩している時、視認できないほどの速度で尻尾を振ってましたし……たまに人型の時もリードにつながれて嬉しそうにしてましたしね」


 ドナが昔を懐かしむ顔で言った。


「……今思えば、確かにハイラムではありえないんですよ。リーニャさんは前世が犬で地球という星で転移する前のハイラムと過ごしたことがある、と言ってましたが、この世界生まれの光妖精ウィスプが転移者なわけがないのに……。どうして今までそんなことも疑問に思わなかったんでしょうね」


 タオが溜息とともに、少したるみ気味の太い首を横に振る。


「それも含めて『洗脳』を司る悪魔とやらの能力なんだろうよ。ところでサンドロ、お前のスキルを聞いておきたい。万が一戦闘が起こった時のためにな」


 そう言ってキャスはやや後ろを歩くサンドロに振り返った。


「……基本的な爬虫類人族リザードマンの能力と、人間の『魔法使い』として氷魔法が使えるっす」


「そうか……ならその顔を別人に変えたり、壁に張り付いて姿を消すこともできるわけだ」


「ええ、でも潜入捜査はあんまり期待しないでください。相手は爬虫類人族リザードマン対策をしてる可能性が高いっすから」


 サンドロは軽く肩をすくめてみせた。


 いつの間にかレイフに先導された一行は街を出て、ジャングルへと足を踏み入れる。


 鬱蒼とした樹々が徐々に太陽の光を遮っていく。


「そう言えば大陸のマラヤ姫のことはご存知ですか ? 」


 初対面の相手との話題として比較的難易度の低い「共通の知人」カードをドナが発動させた。


「ええ、直接お会いしたことはないっすけど。仲間の爬虫類人族リザードマンのリン様の親族っすね」


「マラヤ姫か……プライドの高い姫さんだったけど、どこか抜けてる可愛いところもあったな。いつだったか木陰であいつと抱き合ってるのを偶然見つけちまった時は顔を真っ赤にして毒を吐きかけてきたな。『このれ者が ! 』とか叫びながら。そんなに人に見られるのが恥ずかしいなら屋内でイチャつけばいいのによ」


 キャスが皮肉っぽく片頬をあげた。


「でも……優しいかたでしたよ。デニスが食べ過ぎてお腹を壊した時、毒を生成するスキルを応用して薬を作ってくれて……」


 ドナは懐かしそうに笑う。


「…… ? みなさんは一体どこでマラヤ様と知り合ったんすか ? 」


「これは他の人間には内密にしておいて欲しいんですが、私達は先の『百年戦争』で四月の女神の陣営にいたんですよ」


 不思議そうなサンドロにタオが答えた。


「ああ……それでっすか。マラヤ様も四月の女神様の御使いの側室でしたからね。今は実家に戻ってるみたいっすけど」


「そうですか……」


 ドナがなんとも言えない表情をする。


(ああ……この人達は異種族の……爬虫類人族リザードマンのマラヤ様のことを古い友人のように語るんすね……)


 ジャングルの中、馬車が通れるほどの大きな道から脇に入り、道なき道を行くと、そこに似つかわしくない建造物が見えてきた。


 一階部分だけの広い建物だ。


 それはまるで大量の職人がいる作業場のようであった。




────



「……このハーフ、何年も人間に化けてたんだろ ? どうやって見抜いて捕まえたんだ ? 」


 鉄格子の向こうで見張りの男が、拷問を受けたのだろうか、傷だらけで床に横たわる女を見ながら言った。


「それがな、どうやら自分で正体を明かしてきたらしいんだ」


「え ? なんでだ ? 」


「なんでも『変化』を解いてから、好きな人間の男に告白したらしいぜ。ま、その結果がこれだ」


 男は下卑た笑いを浮かべながら顎で彼女を指し示す。


「へえ、純情だねえ。爬虫類人族リザードマンってのはどんな姿にも変化できるんだから、その男の好みの女になって、そのまま一生騙せば良かったのによ」


「全くだ。ボスにお願いして、こいつをもらったらどうだ ? 絶世の美女になってご奉仕してくれるだろうよ」


「冗談言うなよ。どんなにそそる外見でも、こいつらの生臭せえ体臭を嗅いだら萎えちまうぜ」


 牢屋に響く下品な笑い声をシャロンはこれ以上ない惨めな思いで聞いていた。


(全部……あいつのせい……爬虫類人族リザードマンのリンと……人間の恋人みたいに……だから……勘違いしちゃった……あの人も……あいつみたいに……私のことを……受け入れてくれるんじゃないか……って……)


 変化が解けて、ピンクの髪は茶色に、顔の白い肌の頬は緑の鱗に覆われ、瞳は金色の爬虫類のもの、爬虫類人族リザードマン特有の体臭は人間にとって生臭い。


 そして首には全ての種族の全てのスキルを使用不可能にする最新型の「隷属の首輪」が鈍く光り、これ以上なく不幸な女を彩っていた。



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