第103話 胸のマークは未完成 ?


 シャロンは賑やかな朝の市場を周囲とはまるで逆に不機嫌そうに歩いていた。


 早朝よりも早い朝に漁にでた漁師達が持ち帰った魚どもがまだまだ生気溢れる瞳で時折彼女を見つめるが、そんな誘いに乗りはしない。


 酒焼けしたガラガラ声が魚を勧めるが、彼女は動じない。


 肉を売る店の前では、少しだけ歩みが遅くなるが、それでも止まらない。


 やがて目的地が近いことをいつも通りに香ばしい香りが彼女知らせてくれる。


「おはよう ! シャロンちゃん ! 今日は休みかい !? 」


 恰幅の良い中年女性が威勢の良い声で彼女に声をかけた。


「ええ、そうなんです。だから……」


「いつものね ! はいよ ! 」


 シャロンの返事にかぶせ気味に返した女性は20センチほどにカットされた棒状のパンを彼女へと差し出した。


 いつも休日の彼女が朝に買っていくパンだ。


「あ、いえ、今日はカットしてないのをください」


「え !? わかったよ ! ほら ! 」


 地球でいうフランスパンのような形状の50センチほどの長さのパンを自らの布製買い物袋へと入れ、その代わりに革製の財布からいくつかのコインを差し出し、彼女はそそくさとその場を去る。


 普段ならば、話好きのおばちゃんとしばらく会話を交わすのだが、いつもと違って何か探るような、面白がるような彼女の目から逃げるようにシャロンは早足で行く。


(……何か誤解されたかもしれない)


 改めて杖を持った右手とは逆の左手に下げた買い物袋を見てみると、いつもの二倍のパン。


 そして普段は買わない野菜やお酒の瓶、そして彼女の好きな卵もいつもより多めに買い物袋から見えている。


 まるで休日に朝から食材を買って、これから愛しい誰かの家を訪ねてお昼ご飯でも作ってあげる可愛らしい女のようだった。


「そんなんじゃないから…… ! 」


 見えない誰かに言い訳して、彼女は石畳の大通りに出てを街はずれへと向かう。


 すると木製のリヤカーを引く一際大柄な男の背中が目に入った。


 夜勤明けで勤務外だというのに、軽鎧けいがいを纏ったトレイだ。


 シャロンは早足でその背中に近づき、折れた剣や穴の開いた鎧が載せられた荷台へとそっと買い物袋を置く。


「おはようございます。トレイ部隊長」


「うおっ !? いきなり背後から挨拶するんじゃねえよ ! びっくりするだろうが ! 」


 理不尽な文句を言いながら、トレイが振り返る。


「早速、ジョンの工房に仕事を回してあげるんですね。それにしてもわざわざ部隊長が行かなくても……」


「なーに、ちょうど手が空いたし、あいつは今無一文だって言ってたからな。早く生活を軌道に乗せてもらわないとな……。食い逃げでもやらかして俺達の仕事を増やされたらかなわんからな ! 」


 そう言ってトレイはガハハッと笑う。


「ふふ、そうですね。……そう言えば部隊長はどうしてその手の刻印のことを隠してたんですか ? 」


 今はリストバンドが巻かれた右手首を見て、シャロンは問う。


 その下に打たれた爬虫類人リザードマン友誼ゆうぎを結んだ異種族の者の証である印のことを。


「……お前が大陸から来る前のことになるが……。この島では人間族の他は爬虫類人リザードマンしかいない。そして交流はほとんどないが……一度揉めたことがあってな。領主様のメイドの一人が『擬態ぎたい』した爬虫類人リザードマンと入れ替わってたことがあったんだよ。目的はわからないが……。それはその時たまたま島を訪れていた人狼族の奴が見破ったんだが、その気になれば領主様を暗殺できたし、領主様と入れ替わることもできただろう。その事件以来、この島の住民の中には爬虫類人リザードマンを危険視する奴らが多くなってな」


 トレイは深呼吸と見紛みまごうほどの大きな溜息を吐いた。


「なるほど……そんな危険な爬虫類人族リザードマンと警備隊の部隊長が仲良しだと要らぬ疑いを招きかねないということですか」


「そういうこった。あのジョンの野郎にも隠しとくように言っておかねえとな。なにせ印のついてる場所が場所だ。爬虫類人リザードマンの女に『あなたの心が欲しいの』とでも言わせたんじゃねえか ? 」


「まさか……」


 シャロンはジョンの胸、並んだ二つの丸の端が重なったような印を思い出した。


(……もしかしてあのマーク、まだ完成してないんじゃ……出来上がると……。いや、そんなわけない……爬虫類人リザードマンの女とそんな頭がとろけたバカップルみたいなことをする人間の男なんているわけない…… ! )


 そして二人はようやくジョンの工房へとたどり着いた。


 昨日、街からここまで来るときはジョンに街を案内しながらの道中だったので、それよりは随分短い時間で来ることができたようだ。


「ちょうど昼飯前か……ってお前、こっそりと荷物をリヤカーに載せてやがったな ! 」


「剣と鎧の重量を考えたら、誤差みたいなものですよ」


 しれっと言い、シャロンは買い物袋を荷台から取り上げた。


「まったく……油断も隙もねえな。ん ? お前、それは食材か ? あーなるほど、なるほど ! 休みなのになんでわざわざこんな所までついてくるのかと思ったら…… ! 気に入った男に手料理を振舞おうなんてお前も女らしいところが……」


 トレイの言葉はシャロンが無言で杖を彼に向けたことで止められた。


「……そんなんじゃありませんよ。食材を差し入れるだけです…… ! 」


「わかったわかった ! そういうことにしておいてやるぜ ! 」


 そう言ってトレイは昨日、彼が激しくぶっ壊した修繕済みのドアを勢いよく開けた。


「おう ! 仕事を持ってきたやったぞ ! 」


「……失礼します」


 一日も経たず、再び工房に入った二人はギョッとした。


 奥の作業台の上、破損した首から上だけの頭部が限界以上に開かれた瞳で二人を見つめていたからだ。


「なんだ魔法人形マジックドールじゃねえか ! 驚かせやがって ! 」


 ホッとしたようにトレイが言った。


 昨日、彼も地下室で見た壊れた魔法人形マジックドールの頭部だけが恨めしげに二人の方を向いていたのだ。


「もう仕事を回してくれるのか ? 助かるよ ! 」


 声の方を見ると、地下室の入り口からジョンが顔だけを出していた。


 そしてペタペタとサンダルの音を鳴らしながら一階へと完全な帰還を果たす。


 その腕には一糸まとわぬ魔法人形の胴体が抱えられていた。


 それを作業台に慎重に寝かせると、昨日と同じく上半身裸で、室内だからか、剣を背負っていない男は改めて二人に向き直った。


「確か装備品の修繕って言ってたよな ? 外にあるのか ? 」


「あ、ああ……」


 ジョンは機嫌良さそうに、軽い足取りで二人の横を通り過ぎて、外へ向かう。


「……見間違いじゃないよな ? 」


「ええ…… ! ジョンの胸の印の形が……」


 昨日までは確かに二つの円が少し重なったような形だった。


 それがさっき見た時、その二つの円の下に逆三角形が新たに重なっていた。


 すなわちその形は……


「ハートマークになってました ! 」


「あの野郎…… ! 昨日リンと何があったんだ…… ? 」


 首をひねるトレイ。


(予想が当たった……あれがあの二つの円のマークの完成形だったんだ……でも……)


 シャロンはごくりと息をのんだ。


(あのマークを途中までジョンにつけた爬虫類人リザードマンはリンとは別人のはず。それなら勝手にハートマークを完成させられた女は……)


 自らに降りかかってこない修羅場ほど、女性の心を湧き立たせるものはない。


 剣と鎧を工房に運び入れるジョンを今までとは違う視線で、シャロンは見つめた。


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