第77話 苦しみからの解放



「何か見た ? ……か。ああ見たぞ」。


 バートは大げさに腕を組んで、外連味けれんみたっぷりに答えた。


「何を !? 教えて !? 」。


 思わず彼に駆け寄ろうとしたベスをライノが前に出て抑えた。


 ベスは竜人ドラゴニュートの少年を不思議そうに見たが、無理にそれを突破することもなく、その場にとどまることにしたようだ。


(あのローブの奴……なんだかわからないけど……すごく強い感じがする……近づいちゃダメだ…… ! )。


 ライノは最大限に警戒していた。


 バートはそんなライノの様子を興味深そうに眺めた後、答えた。


「ワシが見たのは……哀れな妖精が解放された姿じゃよ」。


「解放って……この小屋に居た妖精を逃がしたの ? それとあの巨大な蟲人と何の関係があるの ? 」。


 ベスは可愛らしく首をかしげた。


 クックッ、と面白そうに笑って、バートはまだ蓋の開いていない籠を一つ持ち上げる。


「……この怖気おぞけを引き起こす繁殖籠から出すだけじゃない。全ての苦から解放したんじゃよ」。


 そう言って、彼は籠の蓋を取って中味をベスに見せつけた。


 好奇心旺盛で無垢な少女はそれをまじまじと見て、気持ち悪そうに口を押える。


「どうしたんじゃ ? まさかこの農場の妖精達は花のつぼみから産まれてくるとでも思っておったか ? 」。


 生物学的には正しいが、人間的に、倫理的に、大人として、全く間違った行いをその下卑げびた笑みとともに成し遂げた壮年男性。


 これが地球であれば不審者情報が保護者に回るどころか、フェミニスト団体に依頼された猟友会に駆除されかねない存在であった。


「あの巨大な蟲人は小さく無力であるが故に人間に繁殖用家畜としての扱いを受けた妖精が、そこからの救いを望んだ姿じゃ ! 」。


 ちょうどその時、外から爆発音と大きな破裂音が聞こえた。


「今はまだ少し知性と記憶が残っているから、恨み骨髄に徹する農場主の屋敷へ向かっておるが、もうしばらくすれば彼女も真に解放される」。


 バートは映画監督が嫌う舞台役者の大げさな演技のように両手を大きく広げて、陶酔したように語る。


「真の……解放 ? 」。


「そうじゃ。苦しみの記憶も、苦しみを判断する知性も、苦しみを感じる感情も、全て消えて、ただただ本能に従って生きる蟲人になるのじゃ。そこには痛みも、死への恐怖も、他者を不当に利用しようとする醜い心もない ! 太陽が昇って沈むように、自然のままに生き、死んでいく ! 穏やかな世界があるのじゃ ! 」。


 いつの間に太陽を雨雲が覆ったのか、小屋に差し込む光は暗くなり、バートの爛々と輝く瞳がベスを刺すように見つめていた。


「……蟲人になって苦痛を感じる理性が無くなればそれが解放だなんて ! 馬鹿げてる ! そんなのは死んでしまえば、もう苦しむことはないって言ってるのと同じくらいの暴論よ ! 」。


 ベスは激しく手を振って、抵抗した。


 この男の言い分を認めてはダメだ、と彼女の中の何かが激しく警鐘を鳴らす。


「ほう、ではお嬢ちゃんならばどうやって妖精達を……そこの竜人ドラゴニュートを解放するんじゃ ? いや……お嬢ちゃんは解放されたら困る側じゃったな。奴隷がいなくなっては大変じゃものな。これは愚問じゃった……」。


 バートはワザとらしく両手で頭を抱えた。


 そのどことなく滑稽な仕草に少女は憤りを覚える。


「……そんなことない ! 妖精達がこんな酷い扱いをされてるなんて知らなかったし……ライノのことだって……私が大人になれば何とかしてみせる ! 」。


「無理じゃよ」。


 道化じみた動きとは裏腹に、とても冷徹な声が少女の宣言にかぶせられた。


「かつてお嬢ちゃんよりもはるかに賢く、強く、地位もある女性がこの十月の女神によるいびつな支配構造を崩そうと足掻いた。じゃが無理じゃった。彼女は王族にすら意見できる立場じゃったのにな」。


 バートはどこか遠くを見て、誰かをいたむような、懐かしむような、そんな顔になる。


 その瞳を見た少女は、何も言えなくなった。


「それに……お嬢ちゃんの綺麗な服や年に見合わない知識は妖精達を犠牲にして得たお金と奴隷に働かせて得た時間によるものじゃろ ? お嬢ちゃん自身も妖精と奴隷を絞り潰したことによって出来上がっておるのじゃよ」。


「そんなこと……」。


 ──ない、と言いたかったが、確かにベスの割と効果な服は両親が妖精に集めさせた花蜜を売った利益によるものだし、祖父の本もそうだった。


 そしてその本を家のお手伝いもせずに読み漁ることができたのは、雑務をライノがこなしてくれていたからだった。


「……安心せい ! お嬢ちゃんを苦しめるそんな青臭い正義感も大人になるにつれて消えて行くぞい。そして代わりに自分が人間種であることと他の種族を支配する力を授けてくれた十月の女神への感謝が湧き上がってくるのじゃ。ワシはそういう人間を数えきれないほど見て来た……」。


 どことなく自嘲的な笑みだった。


 人間に期待して、裏切られ、そして自分もまた同じ人間であることをあざるような、そんな笑み。


 ベスは両手を握りしめ、下を向いた。


 何も言えなくなった少女を横目で見ながら、バートは手に持ったままの繁殖籠の中にぶつぶつと話しかけ、懐から出した小さな植物の種を取り出し、それを籠に入れる。


「さあて、解放の時じゃ ! 」。


 バートの宣言に従ったのか、残った繁殖籠全てが震え始めた。


 そしてイヤな音が聞こえ始める。


 もし耳の近くで聞こえたなら、パニック状態になるのは間違いない大型の虫の羽音だ。


 ブン、と籠から小さな人影が飛び出した。


 先ほど外で見た巨大な蟲人と形と色は似ているが、それは大分小さかった。


 次々と籠から出てくる蟲人は小屋の中を飛び回りながら、自らが閉じ込められていた籠に向かって授けられた力を放つ。


 ある籠はこれ以上ないほど切り刻まれ、ある籠は一瞬で燃え上がった。


「……これは……妖精達が四月の女神様の恩寵おんちょうを得られなくて、使えなくなった精霊魔法…… ? 」。


 そう呟いたベスの首筋に激しい痛みが走った。


 同時に身体に悩の命令が伝わらなくなり、少女はゆっくりと崩れ落ちる。


「バートのオッサン、もういいだろ。次の繁殖小屋に行かなきゃならないし、竜人ドラゴニュートが奴隷の首鎖を付けられて、人間に従っているのをこれ以上見ていたくない」。


 片手を床と平行に上げたローブの袖に、すっと小さなハチが戻っていく。


 バートは何かを言いかけたが、小さく首を横に振っただけだった。


 そしてビーネはライノに向き直って、言った。


「……そいつはもうどんな回復魔法をかけても助からない。身体は動かないし、徐々に呼吸もできなくなって死んでしまう。それにこの元妖精の国にいる人間も皆、死ぬ。解放された妖精達によって。それを踏まえた上で、さあ、選べ。お前も解放されるか、私達の全てを解放する旅に同行するか、を ! 」。


 燃える繁殖籠の火が壁に燃え移り、パチパチという音を立てながら炎がライノ達を赤く照らす中、ばさり、とビーネは目深にかぶっていたフードを外して、睨むようにライノの爬虫類型の瞳を見つめた。


 ビーネのその瞳もまるで爬虫類のように黄金色で、瞳孔は縦長だった。


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