第151話 人が守るもの
穴を掘って逃げられないようにするためか、地面に壁と屋根だけがあるこの建造物で牢屋だけが下に木の板が敷かれていた。
そのささくれだった床に身を投げ出したまま、シャロンは薄い壁を易々と貫通してくるモレーノの言を虚ろな瞳で聴いていた。
(……少しでも人間であろうとして……私は人間の法を厳格に守った……でも……その法は私を少しも守っちゃくれない……もういい……疲れた……)
シャロンは身体を丸めて、縮こまる。
大声を出せば、サンドロ達に自分の存在を気づかせることができるだろう。
だが、今の彼女はそうすることに意味を
未来に何も
(そう言えば……ソフィアもそうだった……壊れかけの
「随分と法を重要視してるんすね。ですが忘れてませんか ? 王族、それに聖女、そして……御使い様は法を引っ繰り返せる存在だってことを」
サンドロは肩をすくめながらモレーノに言った。
この世界の人間は彼らを生み出した女神が絶対である。
よって王権も神授によるもので、職業「王族」は女神直々に統治を認められた存在として絶対の権力を誇る。
さらにそんな王族が増長しすぎないように女神の言葉を直接聞くことが出来る職業「聖女」がさらにその上位に位置する。
そしてそれらよりも女神の代理人である「御使い」は地上の人間において誰よりも強い権限があった。
「……もちろん存じてますよ。それが何か…… ? 」
モレーノはわざとらしく、顔の肉に埋まった黒縁眼鏡をかけ直す。
「ならば最近この島に降臨された御使い様が他種族との融和を重要視していることもご存知っすか ? この工場は明らかに御使い様の……つまりは十月の女神ミシュリティー様のご意志に反してるっすね」
(サンドロが「御使いの威光を利用する」と言ってたのはこういうことか……。確かに「御使い」という
キャスはわずかに片頬を上げて、槍を握り直した。
モレーノはサンドロの言葉を聞いて動揺することもなく、億劫そうに両腕を組んで、わざとらしく首をひねりながら言う。
「なるほど、なるほど、確かにサンドロさんの言う通りです。……その御使い様が本物ならね」
「……何を言ってるんすか ? 『貴族』のルチアナ様が認めたんすよ ? 」
「ですが王島の『聖女』様の認定を受けないと正式な『御使い』とは認められません。本物ならば女神様が『聖女』様にその旨を託宣なさるはずですから。奇遇ですねえ。丁度今頃、王島の教会で『聖女』様と『御使い』が謁見しているはずですよ」
「……なんでそんなことまで知ってるんすか ? ともかくそれなら今日にも正式に認められるってことっすね。なら……」
「いいえ、違いますねえ ! 」
モレーノは薄笑いを浮かべながら、首を横に振る。
「私の元に入ってきた情報では、『聖女』様はその『御使い』を偽物として教会で討伐するそうです ! よってそんな偽御使いの妄言に従う理由は微塵もないってことですよぉ ! 」
理由はまるでわからないが、いきなり興奮の最高潮を迎えたモレーノは全身の肉をブルブルとふるわせ、唾を飛ばしながら大声で言い放った。
(……あの悪魔をも退けたコウさんが偽物とは到底思えないっす。……どうして「聖女」は本物と認定しないんすか…… ? まさかこいつら……「聖女」とつながってる ? まずいっすね。どうしたらいいんすか ? )
もしコウが偽者として討伐されるか、もしくは逃げおおせたとしても当然「御使い」としての正当性は認められない。
そうなればサンドロ達の行為にもまるで正当性がなくなる。
(……完全に計算違いっす。ここは一端撤退して……)
今まで「人間」としてこの島で暮らしてきて、時折母の同族である
「……たすけて……」
旗色の悪さを感じ取ったのか、椅子に縛り付けられた
「かえりたい……家族に……あいたい……」
「もう……痛いの……嫌……」
それらはすぐに殴打の音とともに悲鳴へと変調する。
モレーノは心地よさそうに聞き入り、サンドロは唇を血が出るほど噛みしめた。
(ああ、無駄なのに……。ここに私達を助けてくれるものなんていない……。あいつだったら……助けてくれたかも……でも……あいつも殺されるみたい……もしあの世で会ったら……一言文句を言ってやらなきゃ……)
「……とりあえずこの場は退くっす……」
サンドロは救いを求める視線から逃れるように背を向けて、出口へと歩き出す。
「おや ? あなた方は帰らないんですか ? 粘ってもお茶なんて出てきませんよ ? 」
不思議そうなモレーノの声がした。
サンドロが再び振り返ると、キャス達は彼の背中に続かず、モレーノと対峙したまま。
「ダメっす ! 今ここで暴れると…… ! 」
慌ててサンドロが割って入ろうとするが、そんな彼を笑顔のドナが手で制した。
「いいんですよ。何か事情があるんでしょう ? サンドロさんがここから出てから動きますから、安心してください ! 」
「そんな……ここでこいつらを倒しても……こいつらが『聖女』とつながっているなら、最悪の場合、王島の軍と戦うことになるんすよ !? キャスさん ! あなたがリーダーっすよね ! 止めてください ! 」
「……俺はな、一つ決めていることがあるんだ。女の子から助けを求められたら男として絶対に
キャスは槍を構えて、臨戦態勢に入る。
「それに……御使い様のことは良く知ってるんですが、私達が彼の同志となったのは、その夢に共感したからです。全ての種族が自分らしく、そして共に笑って過ごせる国を作るっていう夢にね。その夢のためにも今ここで
タオが杖を構えた。
「そうね……。ああ口惜しいわ。その夢を語るコウがハイラムの姿で記憶されているなんて……」
ネリーの剣から稲妻が
おかしな状況であった。
(……誰かが……私達を助けようとしてる……顔も知らない誰か……だけど……あいつの仲間みたい……あいつがここにいなくても……あいつに共鳴した仲間が……私を……)
その時、どうしてかシャロンはその差し伸べられた手を振り払う気になれなかった。
「……たす……たす……けて…… ! 」
そのか細い声は、サンドロの耳に届き、それが誰が発したものかを悩が理解する。
彼は自分と同じハーフの女のことを想い、そして覚悟を決めた。
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