第68話 女の策略


 四月の女神謹製きんせいの「マジカルテント」。


 このテント内に入った者達の心の距離が遠いほど、その身を近くに寄せ合わねばならないほど狭い部屋がその中に作られ、そこで一夜を共に過ごすうちに心の距離も近くなって欲しいという人間関係の複雑さをまるで理解していない女神の創作物。


 それをコウは管理者権限で設定を変更し、真ん中に大きな部屋、そしてその壁に個室への扉と外への出入り口が並ぶレイアウトにしたのだ。


 その中央の大部屋に置かれた低めの木製テーブルとそれを囲むように配置されたソファーで一晩続いた戦闘を終えたメンバーは朝食をとり、おのおの自由な時間を過ごしている。


 疲労困憊こんぱいの者は個室のベッドで横になり、余裕のある者は中央の部屋のソファーでそれぞれのカップに注がれたこの世界では珍しい珈琲色の飲み物、まさしく珈琲の味と香りを楽しんでいた。


「……ちょっと苦いけど、すごく良い香り ! こんなの初めて ! 」。


 チェリーがその大きな手のせいで小さく見えるカップを傾けて、感嘆の声をあげる。


「さっきのパンもそうだけど……この飲み物も絶対売れるわ…… ! 」。


 ベッティがコウの背後とチェリーの肩を気にしながら、彼女らしい感想を述べた。


(……コウの背中に憑りついていた死霊はいなくなってる……。その代わりにチェリーの肩に少女の霊が……)。


 いわゆる霊感少女で、珍しくも本当に強力な霊感をもっている彼女には現世にしろ宿やどって降臨した女神の分霊の姿がはっきりと視認できた。


 ただ彼女はそれをたちの悪い悪霊だという、この世界を管理する女神に対して不敬ふけいきわまりない勘違いをしてはいたが。


(みんなの反応を見てると、この世界には珈琲が存在しないみたいだな)。


 コウは渋い顔をして目の前のカップを見つめるだけのドナに水差し型アイテム「みんなの飲物屋さんドリンクメーカー・ブレイカー」から甘い牛乳を彼女の珈琲に注いでやりながら、そんな感想をもった。


 土妖精ノームの少女ドナの横に座るキャスは、ようやく再びカップに恐る恐る口をつけた彼女をその岩のようなゴツゴツした顔をすこしだけ和らげて、見る。


 そしてその視線に気づいたドナは、そこに込められた感情にも気づいたようで、頬を膨らませた。


 戦闘の緊張の反動からか、穏やかな空気が流れていた。


 コウはソファーに深く腰掛けて、これからしなければならないことに思いを致す。


(……まずは十月の女神の分霊が宿った剣だ)。


 依り代に宿った女神や分霊はその状態で魔力を使いすぎると、休眠状態となり外部から一定量の魔素を供給しない限り覚醒することはない。


 地球まで飛ばされた「ポケット」が数多くの人間から魔素を吸い取り、呪いのウエストバッグと恐れられたのもそれが原因だった。


 それだけ女神やその分霊が現世に降臨するのはリスクの高い行為である。


 そして今、テーブルの上に鎮座している長剣も下半身が千切れた状態のレイフの生命を無理矢理維持した代償によって沈黙していた。


(チェリーのハルバードに宿る三月の女神の分霊の話だと、一気に大量の魔素を注入せずに毎日少しずつ注入しなきゃならないってことだが……。まだ目覚めるのは先のようだな。なんでこの剣に宿った十月の女神の分霊は俺に会いに来た ? そしてなぜ追われてた ? )。


 コウの疑問に、質実な造りの長剣は鈍く光を反射するだけで答えはしない。


(それに……タオさん達はこれからどうするんだろう ? 「聖女」によってお尋ね者になってしまったって言ってたけど……。ベッティも……「勇者」パーティーが彼女以外全滅した状況で街に帰って……吊るし上げられないだろうか……。比喩じゃなくてリアルに縄とかで…… )。


 コウは不安げにベッティの気の強そうな顔を見た。


 彼女はそんな彼の思いを知ってか知らずか、その視線に気づいて不思議そうにコウを見返す。


 ふと彼の膝に何かふわふわしたものが乗ってきた。


 黒いモコモコした毛を持つ小型犬だ。


 犬は驚いたコウの顔をその小さな舌でぺろぺろと舐める。


 彼が地球で飼っていた小型犬の姿そのまま、よく甘えてきた時のように。


 前世はコウの飼い犬だったと言い張る人狼族の女がその女神から賜った恩寵おんちょうによって「変化」した姿だった。


「ふふ、モコ、お前にまた会えるなんてな」。


 コウがこの世界の誰にも見せたことのない顔で彼女の頭を撫でると、その尻尾は千切れんばかりに振られる。


 その様子を見たキャスは小声で隣のドナに話しかけた。


「……あれは人狼族がよく使う手だ。可愛らしい犬に変化して人間を油断させて、家に侵入して二人きりになった途端に元の姿に戻って襲い掛かるんだ。もっとも普通は人狼族の男が人間の女に対して仕掛けるのがほとんどだがな」。


「そ、そうなんですか。人狼族って女神様から授かった恩寵をそんな性犯罪に利用してるんですね……」。


 頬を赤らめて小声で返すドナ。


 小型犬はそんな二人を一瞬だけその可愛らしい容貌を捨てて、鋭い目で牙をむき出しにして睨んだ。


(あのおかしな時間の流れの空間に閉じ込められている間に「ポケット」から教えてもらった創造魔法で、蟷螂の蟲人の素材を使ってドラゴニュートスーツも少しだけ強化できそうだし……。色んなアイテムの設計図面も残していってくれたし……。あいつが帰ってくるまでなんとか持ちこたえないと……)。


 ふとコウはそのアイテムの設計図面の中に特別なものがあったのを思い出した。


「チェリー、今回も戦ってくれてありがとな。まだ先になるけど、ちゃんとお礼は考えてあるから、楽しみにしててくれよ」。


「え ? ……そんなの気にしなくていいのに……」。


 言葉とは裏腹に彼女の胸は期待で大きく膨らむ。


 それこそが彼女の戦略だったからだ。


「『ポケット』が特別なアイテムの図面を書いてくれたんだ。まだ素材が揃ってないからつくれないけど……。それが出来れば巨人族を普通の人間サイズに縮めることができる。そうすればチェリーも普通の女の子として生きて行くことができるぞ」。


「……普通の女の子として……生活できる…… ? 」。


 あまりに予想外の申し出にチェリーは戸惑う。


 そしてベッティの目には彼女の肩に座る半透明な少女があからさまに不機嫌な顔になったのが映った。


(……そんなの思ってもみなかった。身体が普通サイズになって……魔法の威力も普通になって……。普通の冒険者になって……普通に生活して……普通の男の人と……普通に恋愛して……)。


 そこまで考えて、チェリーはハッと目の前で微笑むこの世界において異質な転移者であり、四月の女神の「ヒモ」でもある明らかに普通ではない男を見た。


(コウは私にとても優しくしてくれる。でも……それは普通じゃない私に同情しているからかも……もし私が普通になったら……扱いも普通になる…… ? それに……コウはこの戦いに私を巻き込んだことに少なからず負い目を感じてる……。私を普通の人間にすることでそれを無くしたら……。ダメ…… ! 私、今ものすごく嫌なことを考えてる……)。


 一生かけても返せない借金を負った男がどこかのご令嬢のヒモにでもなったのか、急に貸主にそれを返済することが可能になったとしたら、貸主はそれを喜ぶのが道理である。


 その返済される金額以上に、その借した金のおかげで優位性をもって彼とつながっていることが貸主の望みでもない限りは。


「そう……ありがと。私……疲れたから、少し休むね」。


 そう言い残すと彼女は立ち上がり、ふらふらと個室のドアをその大きな身体を屈めてくぐっていく。


 その身体の揺れる様は、固まっていたはずの彼女の覚悟が揺らいだようでもあった。



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