第69話 小型犬は前世の夢を見る


 トイプードル。


 地球の犬好きの人間がその小型犬を見れば、そう判断するのは間違いない。


 この地球に比べれば未発展どころかモンスターまで闊歩しているたとえ土佐犬でも自然の中では生きていけないこの世界において、その愛くるしさに特化した小さな犬の存在は異質だった。


「フフ、モコが異世界に生まれ変わっていたなんて姉ちゃんが知ったらびっくりするだろうな ! ……モコも一緒に地球に帰るか ? 」。


 そう機嫌良く黒い小型犬に話しかけるコウに、モコは可愛らしく首をかしげて舌を出してみせる。


「その小さな犬の正体がどう見ても三十路を超えた人狼族の女だと知れば、あいつの姉はさらに驚くだろうな……」。


 キャスの小声に土妖精ノームの少女ドナは思わず脳内で、さっきまでコウと小型犬のコミュニケーションを変化前の人狼族の女で再生してしまう。


 十歳ほどとしの若い男の手の平にのせられた餌に、両手をまったく使わずにむしゃぶりつく妙齢の女性。


 投げられたボールを四つん這いで取りにいく妙齢の女性。


 遠慮なく男の顔を舐めまわす娘盛りむすめざかりを過ぎた女性。


 そして可愛らしく首をかしげて舌を出してみせる年嵩としかさの女性。


 そこまで想像して、ドナはこの春うららかな時節であるにもかかわらず背中に冷たいものを感じた。


「……まだ御使みつかい様が男性で、人狼が女性だからいいですけど……。性別が逆だったら恐ろしい事案ですね」。


 その通りだ、とキャスは声を押し殺して笑った。


 そんな仲のよろしい人間の男と土妖精ノームの少女をベッティは冷めた目で見つめる。


 その目の対象は彼らだけではない。


 人間のタオと火妖精サラマンダーのサラにも向けられていたし、エルフのセレステに対するものも、それに近かった。


 百年前の「ゲーム」によって人間族が支配する人間至上主義と言っていいこの世界で、愛玩用ではなく、異性のパートナーとして他種族を選ぶ者は──大抵その相手は美しく背格好が人間とほぼ同等なエルフだが──同じ人間に相手にされない哀れな者として扱われていたからだ。


「……もうこんな時間か。そろそろ作業にかからないとな……」。


 どこからも時刻を補正する電波の飛んでこないこの世界でも、今のところは正確に時を刻む日本製の腕時計を見て、コウは物憂ものうげに呟いた。。


「モコ、しばらく番犬をしてくれるか ? 地球に帰るまで生きのびるための備えをしておかなきゃならないからな」。


 モコは一瞬下を向いてから、元気よく吠えることでこたえた。


 それを聞いてから、コウはにゅるりと白いウエストバッグ型のアイテムボックスの中に吸い込まれていく。


「……随分好き勝手に言ってくれてたな…… 」。


 ドナがアイテムボックスから声の方に目をやると、人狼族の基本形態であるほぼ人間の身体に服のような毛皮をまとい、頭から狼の耳を立てた姿となったモコが黒く長い髪を揺らしながら二人を睨んでいた。


「す、すみません ! モコさん ! 」。


 慌てて頭を下げるドナと、泰然たいぜんとその刺すような視線を受け止めるキャス。


「……コウ以外にそう呼ばれるのは本意ではない。私の今の名はリーニャだ。別に信じてくれなくてもいいが、私は本当に前世でコウと一緒に過ごしていたんだからな。コウの家族のことも……知ってる。さっき思い出した」。


 リーニャはすでに冷めた珈琲の入ったカップを傾けながら、口調とは裏腹にどこか遠くを懐かしむ者が浮かべる穏やかな表情となる。


「さっき思い出した ? うまくあいつから聞き出したんじゃないのか ? 」。


 キャスは相変わらず疑わしげだ。


「……コウと過剰にコミュニケーションをとったのは前世を再現して思い出すためだ。その時のことと……その先を……」。


「その先 ? 」。


 キャスの疑問には答えず、リーニャはドナに向き直る。


「それより気になることがある。あの『悪魔憑き』はコウに向かって『お前のお気に入りのエルフ』と言っていたが、それは事実か ? 」。


リーニャがコウの姉にそっくりなエルフのセレステのことを問うた。


「え、ええ。はたから見て、こっちが恥ずかしくなるくらいに丸わかりです……」。


 ドナの返答を聞いて、リーニャは考え込む。


「なんだ、ひょっとして嫉妬してるのか ? 」。


「そうじゃない。なぜ悪魔憑きはそのことを知っていたのかと思ってな」。


「……適当に言ったんじゃないか ? それとも内通者でもいるっていうのか ? 」。


 キャスは頭の後ろで手を組み、少し考える素振りになる。


「……妖精族の中に悪魔の仲間がいるっていうんですか…… ? 」。


「その可能性があるかもしれない、ということだ。私の『直感』に引っかかる者は今のところいないが……『隠匿』に長じた悪魔ならばわからない……。彼を守ってあげないと……」。


 リーニャがその髪と体毛と同じ漆黒の瞳に力を込めた。


「そしていずれその『地球』とかいうあいつの故郷に一緒に帰るのか ? 」。


 それほど事態を深刻にとらえていないキャスがどこか軽い口調で言った。


 リーニャは軽く首を振って、キャスを見据える。


「コウによれば前世の私が死んだのは二年前のことだそうだ。……私が二歳に見えるか ? 恐らく異世界を移動すると時間の流れも滅茶苦茶になるんだ ……帰っても……コウの家族は……知ってる人間は……誰もいないかもしれない……」。


 そう言って、女は悲しげに天を仰いだ。




 アイテムボックス内。


 白を基調とした研究開発室を思わせる部屋にコウはいた。


「これを分析しておいてくれ」。


 彼は一粒の木の実を白いマネキン型の魔法人形マジックドールに渡す。


 うやうやしく両手でそれを受け取った性別不明のマネキンは硬質な外見からは想像できないほどの滑らかな動きで自動ドアを通り、別室へと向かった。


 その背中を少しの間見送ってから、コウは傷ついた真紅の「ドラゴニュートスーツ」と向かい合う。


「まずはこいつの修理からだな」。


 そうひとちて、いつもなら返ってくる「ポケット」の声を想いながら、手に魔素を集中する。


 そしてゆっくりと破損個所の周辺に魔素を浸透させて、それをスーツの素材である蟲人の外骨格を「増殖」して形を「変形」させながら、破損していない部分と「融合」させていく。


 全ての物質とエネルギーの根源である魔素を外骨格に変換することによって傷を塞いだのだ。


 相当に位階の高い神であれば物質そのものを魔素から創造することも可能だが、今の彼にはすでに存在する物質を多少増やすことが精一杯だった。


 同じ要領でどんどん破損個所を修復していくコウ。


「……人工筋肉が傷ついてなくて良かったです。複雑なものほど『増殖』させるのに時間がかかりますから……」。


 ふと、後ろから声がした。


 さきほど出て行ったマネキンだ。


 「ポケット」不在の間、コウのアシスタント兼アドバイザーを務める魔法人形マジックドールのペペだ。


 そうだな、と小さく呟いてコウは再び作業に没頭していく。


 何かに集中していれば、他のことを考えなくてもすむ。


 飄々ひょうひょうとしているようでも、命のやり取りと無縁の人生を歩んできた彼にとって、この世界の荒々しさは、いまだ慣れなかった。


 いつの間にかそんな彼の心の支えとなっていたのが、腰のウエストバッグ型のアイテムボックスに宿っていた「ポケット」であったが、彼女は今、いない。


「……ペットと戯れたり、趣味に没頭することで寂しさを紛らわすなんて……まるで一人暮らしの独身OLみたいですね」。


 ペペの性別のわからない機械的な音声がコウに突き刺さる。


「……これは趣味なんかじゃない……。生き残るための備えだ…… ! 」。


「そのいかにも名古屋人が好きそうなセンスの意味のない金色塗装がですか ? 『ポケット』様がこの「ドラゴニュートスーツ」の有様ありさまを見たら、怒りで髪の毛が金色になりますよ……」。


「名古屋の人間が金色好きとか……怒ったら髪が金色になるとか……お前の情報は昭和で止まってんのか !? 」。


 ブツブツと文句を言いながらも、コウは手にした黄金の蟲人の外骨格の破片を基本的な「創造魔法」によって真紅の「ドラゴニュートスーツ」の表面に薄くコーティングしていくのを止めない。


 結果、思わず手を合わせたくなるような金色に輝く竜人の像が出来上がった。


「……美しい。やって良かった…… ! 」。


「……代償として隠密行動が一切不可能となりましたがね」。


 冷たい機械の音声が作業室に響く。


「それを差し引いても、ちゃんと意味はある。ゾネの光の精霊魔法を見て思ったんだが、敵が光の魔法を行使してきたら、あの速度には対抗不能だ。だから光をはね返す黄金色が必要だったんだ ! 」。


 それに抗うかのように熱を込めて説明するコウ。


「……ご心配にならなくても、光妖精ウィスプレベルの光魔法を行使できる人間なんて存在しませんよ……。まあ、あなたのモチベーションが上がるなら良しとしますか……。ついでにドラゴニュートスーツの額に魔石の嵌め込み穴エンベディングホールを作りますよ。せっかくの時空の魔石を利用しない手はありませんから……」。


 そして魔法人形マジックドールの指示に従って、再びコウは作業へ没頭していく。


 何かに向き合うことから必死で逃避するかのように。






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