第四章 妖精の国

第70話 儚い夢



 沈みかけの真っ赤な真っ赤な太陽の巨大な半円によって草原の若々しい緑すらも、その反対色である赤に染められていく。


 街の城壁や外周の家々も赤い。


 異様な赤さで、異様な静かさだった。


 チェリーはなんとなく不穏なものを感じながら、草原にたたずんでいた。


 耳が痛くなるような静けさの中、そっと名を呼ばれて振り向くとコウがいた。


 いつもの穏やかな笑顔なのに、その位置がいつもと違った。


 普段は彼女の胸ぐらいにあるその顔が、今は夕日に真っ赤に染められながら、彼女よりも頭二つ分ほど上にある。


 驚いたチェリーが声を出そうとしたが、どういうわけか声が出ない。


 そんな彼女に代わって、コウが嬉しそうに話し出す。


「良かったなチェリー ! これで普通の人間として生きていけるぞ ! 」。


(え !? ああ、そうか。コウが大きくなったんじゃなくて……四月の女神のアイテムで私の身体を縮めてくれたんだ……)。


 チェリーが自分の身体をあらためて見ると、地面に転がる大きなハルバードが視界に入った。


 三月の女神の分霊が宿っていたハルバードだ。


 チェリーが三メートルほどの大きさの時は片手で振るえたそれは、今では両手でも到底持ち上げられそうにもない。


(本当に小さく……ううん、普通サイズになったんだ……)。


 まだ落ち着かないチェリー。


 そんな彼女に笑顔のままゆっくりと近づいてきた彼は、そっと彼女を抱きしめた。


 彼女の小さな顔がコウの胸に触れる。


(……男の人に……コウにこんな風に抱きしめてもらえる時が来るなんて……そうだ……言わなきゃ……今、言わなきゃ……)。


 胸に埋めていた顔を上げて、頬を夕日の赤以外の理由によって朱に染めて、彼女はその想いを声にしようとして、果たせなかった。


(どうして…… !? どうして声が出ないの…… !! )。


 ふっと彼女の背に回された腕が解かれた。


「……チェリー、俺もう行かなきゃならないんだ。街も近いし、もう一人で大丈夫だよな ? それじゃ元気でな ! 」。


 そう言ってコウは笑った。


 チェリーが初めて彼と会った時と同じ、爽やかな笑顔だった。


 事態を飲み込めない彼女が茫然としている内に、彼は背を向けて歩き出す。


(ま、待って ! )。


 懸命に手を伸ばし、彼の服の端を掴むが、彼は止まらない。


 その内、彼女の手から服の端もするりと逃げてしまう。


 彼女が大きな時にはありえなかったことだ。


(力が弱くなってる……それに……)。


 チェリーが懸命に走っても、早足で歩く彼に追いつけない。


(大きかった時はあんなに速く走れたのに…… ! )。


 そのうちに生い茂った草に脚を取られて、チェリーは転んでしまう。


 草がクッションになって痛みはないが、その間にさらに背中は遠くなっていく。


(どうして…… ? どうして私を置いていくの…… !? こんなに……こんなにあなたのことを想っているのに…… !! )。


 見上げる遠い背中を見つめるチェリー。


 その瞳に映る感情は、怒りだ。


 ドス、と何か重たいものが転がる音がした方を見ると、ハルバードが転がっていた。


 彼女はゆっくりとそれに手を伸ばす。


 小さく可憐な手が無骨で大きなハルバードに触れた瞬間、女神の恩寵の力が暴流のように流れこんできた。


 そして彼女は巨人となる。


 遠く離れたコウの背中へ二歩で追いつき、その進路を阻むように巨大な手のひらを落とした。


 突如、天から落ちて来た壁に驚いて尻もちをつく彼を少しだけ力を込めて握りしめ、彼女はゆっくりと彼を巨大な顔の前に持ってくる。


「ど、どうして !? せっかく普通の人間になれたのに…… !? 」。


 まるでわかっていない彼の言葉に、イラついた彼女はもう少しだけ手に力を込めた。


 途端に彼の顔が苦痛に歪む。


 血のような赤い夕陽の中、狂ったような三月の女神の分霊の哄笑こうしょうが響き渡る草原。


 ゆっくりと夕陽よりも赤い巨大な唇が彼に近づいていった。



「……なんて夢……最悪だわ……」。


 ベッドに仰向けに寝転んだまま、チェリーは天井を眺めながら呟いた。


「そんなに嫌な夢だったの ? 」。


 壁に立てかけたハルバードに宿った三月の女神の分霊が彼女に問いかけた。


「ええ……。結末が特にひどかったわ……。私……コウにあんなことをしちゃうなんて……」。


 チェリーは大きな両手で顔を覆った。


「そう……。でも寝ている時のあなた、とっても嬉しそうに笑ってたわよ。欲しくてたまらないものがようやく与えられた子どもみたいに。それに……今だって……」。


 両手の隙間からわずかに覗く彼女の口元は、悲痛な口調とは裏腹に笑っていた。


 とてもとても嬉しそうに。




「よし、これで完成だ ! 」。


 コウの満足そうな声がアイテムボックス内の作業室に響いた。


「……女性への初めてのプレゼントが手作りの品なんて重すぎませんかね ? しかも戦闘用の鎧だなんて……もう少し女心というものを考慮した方がいいんじゃないですか ? 」。


 すかさず水を差す魔法人形マジックドール


「……今は非常時だからな」。


 地球でよく姉に言われたことを異世界でも指摘されたことによって、コウは苦笑いを返しつつ、懐かしそうな顔になる。


 そして彼はアイテムボックスの外に出ると、そこはビジネスホテルを思わせる狭い部屋。


 「箱庭テント」の一室だった。


 コウはドアを開けてテントの廊下を行き、円形のホールを抜けると、そこは大きなテントの中であるはずなのに、満天の星空だった。


 星明りの下の広大な花畑にいくつも妖精用の小さな家が設置されている。


 コウはその中の一つを訪ねようとしたが、星空の中を舞う光を見つけて足を止めた。


 光もコウに気づいたようで、ゆっくりと彼の元へと飛んでくる。


「コウ様 ! こんな夜にどうしましたの ? 」。


 光は光妖精ウィスプのゾネだった。


「この前の戦闘ではゾネに助けられたからな。お礼を持ってきたんだ」。


 そう言って彼はアイテムボックスから妖精用の小さな鎧を取り出す。


 金色に輝き、アールヌーボー風の百合の装飾が凝らされた鎧、「妖精王の鎧」だった。


「……こんな状況だからあんまり色気のないプレゼントですまないな」。


「いいえ……こんなに美しい鎧は初めて見ましたわ。それに……これは伝承にある『妖精王の鎧』ですわよね ? わたくしに妖精王になれ、とおっしゃるのですか ? 」。


 鎧と同じ黄金色の瞳がコウをじっと見つめた。


「ああ、四月の女神エイプリルに代わって『御使い』の……」。


「よしてください。そんな芝居がかったことは……。ただあなたが『頼む』とおっしゃってくだされば、わたくしは何にだってなってみせますわ」。


 ゾネはコウの御使い風演技を遮り、いたずらっぽく笑う。


 今までの彼女とは違ってとても柔らかで穏やかな自然な笑顔だった。


「そうか……。ゾネ、頼むよ。『妖精王』になってくれ。妖精達をまとめることができるのは光妖精ウィスプのゾネだけだ」。


「ふふ、かしこまりましたわ ! 」。


 微笑みながらゾネは金色の全身鎧を纏い、綺羅星きらぼしの中を黄金の光となって舞ってみせる。


 それはコウが時を忘れて見とれるほど、どこまでも綺麗で、どこまでもはかなかった。


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