第67話 小便くさい小娘(リアルに)



 朝日が優しくも爽快に降り注ぐ中、艶のある夜を思わせる漆黒の毛を音速を超えた速度に巻き込んで、むしり取り、ちぎり取りながら、その暴虐の謝罪も無く、拳大の石があっと言う間もなく後方へ去って行く。


 ふっと姿を現した金色の蟷螂かまきりタイプの蟲人は、再び「時空魔法」を発動するためのクールダウンのために緩やかな動きとなる。


 その蟲と人とが不味いカクテルのように各々の割合も考えずに交ざりあった姿は歪であり、特に彼女は他の四匹と異なり、腕が蟷螂の鎌ではなく、人間の腕の形をほどほどに保ったまま、黄金色の外骨格となっていて、それがまた彼女をいろどるゴールドの輝きでも隠し切れない気持ち悪さを発揮していた。


 恐らく、投擲武器を使用していた「武道家」の女が変身したのだろう、と体高二メートルを超える巨大な狼の姿となったレイフは思う。


 金色の美しい髪を頭の二つのお団子にまとめた可愛らしい彼女。


 レイフがつかえるこの地方の領主の城に「勇者」カーティスが訪れたことがあった。


 その時、彼のパーティーメンバーの彼女を見た記憶がある。


 「勇者」の威光を笠に着て、人狼族のレイフはもとより「貴族」以外の人間に対してもひどい態度だったが、それでもレイフはあまり彼女を嫌いになれなかった。


 獣人族でもないのに、語尾に猫のような「にゃ」をつける痛々しい女だった。


 報われるはずもない想いを捨てられない、痛々しい女だった。


 領主の城の中庭でカーティスと過ごした後、独りで泣くような痛々しい女だった。


 プン、と空気を切り裂く音よりも速く放たれた石を、もはや未来予知レベルにまで高められた人狼族特有に「直感」でレイフは避けていく。


(……あの「勇者」が誠実にあなたの想いに応えてくれていたら……もしかしたら運命が変わってあなたはこんな姿に変わらずにすんだのかもしれない)。


 美しかった武道家の成れの果てに迫りながら、レイフは思う。


「──せめて来世では想いを通じ合わせる相手と出会えたらいいね……」。


 そう呟いた巨大な牙の並ぶ口で、レイフは彼女の頭を噛み砕いた。



「……終わったようだね」。


 獣人族の基本形態である人間の身体に狼の耳と服のような毛皮をつけた姿に戻って座り込むレイフの横にいつの間にかリーニャが立っていた。


「隊長…… ? あの男の側にいなくていいんですか ? 」。


 平坦な声に少しだけ苦味を加えて、レイフは言った。


「……お前が私を呼んだ気がしたから急いで来たんだがな……私の『直感』も衰えたかな……」。


 首をひねるリーニャ。


 それに合わせて彼女の長い黒髪も揺れる。


(ワーブドリード様に祈りを捧げはしたけど……隊長を呼んでなんていない……。まあリーニャ隊長の「直感」はあの人間の男を前世から知ってる、とかいうようなあの「武道家」も真っ青な痛々しいものだから、あんまり精度が高くないのかも……)。


「……今、何か私をバカにしなかったか ? 」。


 鋭い眼光がレイフを刺す。


「い、いえそんなことは…… ! ああ ! そうだネリー ! 大丈夫 !? 」。


 無理矢理にごまかして、レイフは彼女の大切な人の元へと駆けだす。


 そんな軽く尻尾の揺れる背中を溜息まじりにしばらく見つめた後、彼女はいまだへたりこんだままの「勇者」パーティー唯一の生存者を確保するために歩き出した。


 目の前でかつてのパーティーメンバーが蟲人と化し、そして巨大な狼にその頭を噛み砕かれた衝撃からか、彼女の周りの小さな水たまりはその範囲を広げていた。


「ひっ…… ! 近寄らないで ! 獣臭い人狼が…… ! 」。


 くすんだ金髪の少女は怯えながらも気丈に怒鳴った。


 文字通り小便臭い人間族の少女からのひどい言い様も、ある程度の年齢であるリーニャには慣れっこである。


「あなたに危害を加えるつもりはないから。少し話を聞かせてもらいたいだけよ」。


 そう微笑んでみせるが上げた口角からのぞいた犬歯によって、それは見事な逆効果となる。


 少女は立ち上がり、駆けだした。


 森の奥からこちらに向かって歩んでくる同じ人間族の、顔見知りの男に向かって。


 そして彼女はメイド服を模した、おしっこでぐっしょり濡れたロングスカートで男に抱き着いた。


「コウ ! 助けて ! 」。


「…………ベッティ ! どうしてこんな場所に !? 」。


 密着する彼女とともに彼に付着する液体。


 コウは少なくとも表面上は動揺してはいなかったが、それは彼の優しさによるものであった。


「ああ…… ! 後でマーキングしなおさなきゃ…… ! 」。


 悔しそうなリーニャの声。


「……それはあの男におしっこをかけるってことですか ? リーニャ隊長ってひょっとして……変態だったんですか ? 」。


 負傷した上に魔力切れとなったネリーを背負ったレイフの呆れたような声が彼女の後ろからした。





 今や地球の多くの国で禁止されている焼畑やきはた農業が行われたのかとジャーナリストが興奮しそうなほど焼失した森から少し離れた街道沿いに「マジカルテント」を張り、コウ達はその中で状況を整理する。


「つまりベッティは昨日の夜に働いている店に来た『勇者』に雑用としてパーティーに勧誘されて、朝に『勇者』の時空魔法でここまで一緒に移動してきたってことか……。災難だったな」。


 ベッティは少しだけ疲れたようにうなずいた。


「……何か彼女達が蟲人になった原因に心当たりはない ? 」。


 今度はチェリーが問う。


「わからないわ。……でも朝、出発する前に『勇者』様から全員に何かの木の実を一粒配られたわ。『肌が綺麗になるから呑んでおけ』って……」。


「……あなたはそれを呑んでないの ? 」。


「ええ、私は朝が弱くて何も口にする気がしないの」。


 そうさらりと言うと、彼女はアーモンドのような木の実を取り出した。


「微かに硫黄のような臭いがする……。多分それが原因で間違いない」。


 リーニャが鼻をひくつかせて言った。


「それ、もらってもいいか ? 色々調べたいことがあるんだ」。


 コウの言葉に、ベッティは無言で種を差し出した。



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