第64話 Please Give me Your Name !


(クソ ! 肩にこいつの爪が刺さったままだと瞬間移動を使っても、こいつまで一緒についてくるし、自分の時間だけを早めることもできない…… ! それに……)。


「さあ ! 名前を言え ! 」。


 悪魔憑きの『勇者』にまたがった真紅の竜人の鎧を纏った男が左手の水差しから水をそそぐ。


「ギイイイイィィィィィイイイイイ !!!!!!!!!!!! 」。


 就寝中の歯ぎしりを数十倍にしたような悲鳴が響いた。


 悪魔の叫びだ。


 本来人間や亜人種に憑りついた悪魔に痛覚はない。


 例えナイフで刺されたとしても傷ついたのは悪魔の器となった者の肉体だからだ。


 ところが今、そそがれた液体は肉体を全く傷つけることがないのに、その奥に潜む悪魔に焼けるような激痛を与え続けている。


 そんな相手が自分の名前を求めているのだ。


 現代日本において通りすがりの見知らぬ人にカードの暗証番号を聞かれて教えれば、確実に良くない結果が待っていることが誰でもわかるように、今の悪魔も名前を教えてしまえば自分にとって何か恐ろしいことが起こることが予想できた。


「……よせ ! 俺を怒らせると、この肉体がただではすまんぞ ! まだ若いこの器の未来を断つ気か !? 」。


 首だけを必死に起こして、悪魔はコウに訴えかける。


「……悪魔祓いの教え、その四 ! 悪魔がいた人間の肉体を人質にとっても、憑かれた人間はもはや死んだものと思い、決して交渉には乗らず、悪魔を祓うことを優先すべし ! 」。


 コウがまたしても悪魔祓いセットの教本に記された一節を暗唱した。


「な…… !? 」。


 そのあまりに非人道的な教えは悪魔ですら驚愕させ、それによって見開かれた瞳の前に十字架が突き付けられる。


 その黄金の十字は、自ら光を放っているわけでもないのに悪魔はそれを見ると網膜が焼かれ、その奥の悩まで燃えるような感覚を味わう。


 またしても聞いた者の悩を擦るような悲鳴が響いた。


「コウ ! 大丈夫 ? 」


「近づくな ! 今は『悪魔祓い』の最中だ ! 」。


「……そいつは !? まさか『勇者』カーティス !? 」。


 ようやくコウの元へ辿り着いたチェリーが悪魔憑きを見て驚きの声をあげる。


「こいつを知っているのか !? なんでもいい ! こいつのことを教えてくれ !! 」。


「え ? ええと、名前はカーティス。職業は『勇者』。自分のパーティーに金髪の美女ばかりを加えていることから『ゴールドコレクター』と裏で呼ばれているわ」。


 各冒険者ギルドに配布されている『勇者名鑑』と冒険者達の噂話で知った知識を披露するチェリー。


「なんだと !? そんな欲望を暴走させてハーレムパーティーを作るなんて破廉恥はれんちなことをしているから悪魔に身体を乗っ取られるんだ ! 」。


 悪魔の器となったカーティスに説教をかますコウ。


 やっとこの場に到着したタオはそんな彼を見て、彼を心配そうに見つめる女達を見て、何かを言いかけて、言葉を飲み込み、隣に立つキャスと無言で顔を見合わせた。


「……悪魔祓いの教え、その五 ! 悪魔の名がどうしてもわからない場合はその悪魔をなるべく正確に指し示す言葉で命令すべし ! ……『勇者』カーティスに憑きし『時空』をつかさどる悪魔よ ! 神の御名において命ずる ! お前の名を言え ! 」。


 コウは十字架を「悪魔憑き」の眼前に突き付けた。


 カーティスが、いや彼の中に潜む悪魔がエビのように身体を反らして、コウの命令に従おうとする自らに抵抗する。


(ダメだ…… ! もう耐えられない ! この状況を覆すにはとにかくこの爪を抜いて時空魔法を自由に使うしかない ! そのためには……)。




(……あれ ? まだ生きてる…… ? )。


 悪魔憑きの『勇者』の斬撃に両断されて、上半身だけとなったレイフは川の流れに浮かぶ泡のように今にも消えそうな意識で疑問に思った。


 霞む目に、ひざまずいて、剣を地面に刺し、その柄を両手で祈るように持つ女の姿が朧気おぼろげに映る。


「……レイフ……大丈夫よ……この剣に宿やどった十月の女神の分霊の力であなたの命を維持してるから……。四月の女神の『御使みつかい』は……どんな重傷でも一瞬で治すって言い伝えがあるわ……。彼がここに来るまで……」。


 ネリーが額から大粒の汗をいくつも垂らしながら、上半身だけの人狼族の少女に微笑みかけた。


 おそらく分霊の魔力だけでは足りず、ネリーの魔素も消費してようやく彼女の命を維持しているのだろう。


 レイフが血の流れる口から何か言葉を絞り出そうとした時、ふいにこの場に似つかわしくないかしましい声が聞こえて来た。


「やっぱりそうだ ! あの白っぽい髪の女と剣がカーティス様が言ってた標的ターゲットだ ! 」。


「うわ……あの人狼族……上半身だけで死んでるにゃ……気持ちわるいにゃ……」。


「とりあえずあの女性が本当に標的ターゲットかどうか、彼女に確認するであります ! 」。


「……ほんまに標的ターゲットやったら、素直にそう認めるわけないやろ…… ! カーティス様がいつの間にか習得していた時空魔法で瞬間移動してきたこんな辺鄙へんぴな場所に標的ターゲットの特徴そのままの女がおったら、それが標的ターゲットや」。


「……」。


 六人の女性がやかましく街道を歩いてこちらへと向かってくるが、会話内容からして彼女達の手を借りるどころか、こちらの首をとられかねない状況のようだ。


 そして間の悪いことに、この場にいた者は二人を除いて全てコウの元へと行ってしまっていた。


「おい ! そこのお前 ! お尋ね者のネリーだな !? 」。


 十メートルほどの距離から、金髪をツインテールに垂らした少女が手の杖をネリーに向けて、問い詰める。


 まるで男のような口調の彼女は、美人だが性格のキツさが顔に表れていた。


 典型的な魔法使いのローブを羽織っているが、その中身は原色を多用した服。


 おそらく中央の方で流行っているのだろう。


「……」。


 しかしネリーはレイフの生命維持に精一杯で、それに答えることもできない。


「……無視すんじゃねーよ !! 」。


 メントスを落とした瞬間、間を置かずに爆発するコーラのように瞬時に激昂げっこうした女は素早く呪文を唱えると、ネリーの右肩が炸裂音とともに爆発した。


 上質な革製の鎧がはじけ飛び、その下の服と、彼女の皮膚ひふをもえぐりとる。


「怖いにゃ ! カーラは気が短すぎるにゃ ! もし人違いだったらどうするにゃ ! 」。


 頭の左右に二つ金色の髪の塊を作った武道家らしき小柄な女性、シャリーンがその場でピョンピョンと飛び跳ねながらワザとらしく怖がってみせた。


「いいんだよ ! その時はその時だ ! 」。


 吐き捨てるように言って、カーラは再び呪文を唱え始める。


「カーラの言う通りであります ! カーティス様は『今回の標的ターゲットを抹殺するためならどれだけ犠牲が出てもかまわない』とおっしゃいました ! 」。


 そう言い放つと詰襟つめえりの白い軍服のような服、肩までの短い金色の髪の女性が長い長いむちをふるうと、ネリーの白い頬がはじけた。


 そして左肩もカーラの魔法によって爆発する。


 恩寵おんちょうを授かり『勇者』となる前の彼女が今の攻撃を受けていれば、両腕が吹き飛び、顔の肉が全て弾けはじけ飛んだ死体が出来上がっていたであろう。


 肉の焼けた焦げ臭いの下、一方的に攻撃を受けたネリーは動けない。


 動けばレイフの生命維持が解かれ、彼女が死んでしまうからだ。


「あらあら……どうやらその死にかけの人狼を無理やり生かしとるから動けんようやな。まあそれはそっちの事情で、こっちには関係ありまへんけどな」。


 緩くウェーブのかかった金髪の僧侶らしき女性が下品な笑みを浮かべた。



「……ネリー……逃げて……あなたが死んだら……私がかばった意味がなくなる……」。


 血とともに言葉を絞り出すレイフ。


「黙って…… ! さっきはあなたが私の盾になってくれた。だから今度は私があなたの命の盾となる…… ! 幼い時の誓い通りにね」。


 ネリーは前方の攻撃してきた女共を睨みつけながら、言った。


「そんなの……いいから……逃げて……」。


「それに……あなたと戦って、思い出したの…… ! 二人で日が暮れるまで遊びまわった日々を。お母さんがいて、親友のあなたがいて……時々お父様が来て……私が一番幸せでいた時を…… ! あなたを守ることはその時間を……大切な時間を守ることなの……。だからお願い……あなたを守らせて…… !! 」。


 ネリーは腫れあがった顔で、無理やり笑った。


 レイフの黒い瞳にはその顔に幼い頃の彼女の顔が重なって見えた。


「あ……ああ…… !! 」。


(私は……間違っていた…… ! 自暴自棄になって……ネリーのために死んで……彼女の永遠の存在になろうとしていたけど……そうじゃなかった…… ! あの頃もそうだったし……今も…… ! ネリーと想いが通じた今、この瞬間に……永遠が……ずっと変わらない……壊れないものがあるんだ…… ! これから先、二人がどうなろうとも……二人が作り上げた時間は……世界は……永遠なんだ…… ! )。


 サク ! サク ! サク !


 レイフが再び何か言葉を絞り出そうとして、それを果たす前に、細い投擲用の短剣がテンポ良くネリーの胸に三本刺さった。


 彼女は一瞬ぐらついたが、踏みとどまった。


「あれ ? 心臓まで届かなかったかにゃ ? 」。


 どこか間の伸びた声がする。


「あいつ『職業』はなんなんだ ! 固すぎるだろ ! 」。


「まあ焦らんと。反撃もしてこんし、そのうち死によるやろ」。


 ネリーは腫れあがった顔をさらに苦痛で歪めながらも、決して動こうとはしない。


(……お願い…… ! 誰でも良いから ! ネリーを助けて ! 人狼族の女神ワーブドリード様 ! 私の全てを捧げますから……ネリーを、私の大切な人を守って…… ! )。


 その己の全存在を賭けた祈りが届く前に、女達に変化が起こった。



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