第二部 第二章 ウッドリッジ群島

第96話 インラン・ピンクの魔法使い


 太陽がちょうど真上に来る頃、砂浜で剣を振っていた男はようやく休憩に入った。


 砂の上に置いた水筒を取り上げて、美味そうにその中の水を飲む。


「……せっかくの非番の日に剣の稽古ですか。寂しい生活ですね。たまには剣じゃなくて女の子の手でも握ったらどうですか ? 」


 日に焼けた褐色の鍛え上げられた上半身を汗まみれでさらけ出している短い銀髪の男は、苦笑しながらその声のした方へ向き直った。


「シャロンこそ、勤務中にわざわざこんな所まで皮肉を言いにくるのはどうかと思うぞ ? ひょっとして俺に会いたかった……うぉ !? あぶねっ !? 」


 シャロンと呼ばれた女が一瞬の内に呪文をつむぎ、発動させた風魔法の小さな不可視の刃を男は大げさに避けてみせた。


「……なんで私がトレイ部隊長に会いたがってるんですか。むしろ天国のご先祖様に会わせてあげましょうか ? 」


 肩ほどの長さのインラン・ピンクの髪の下の仏頂面ぶっちょうづらは口調を変えることもなく冷静に悪態をつく。


 その冷たい瞳は髪の色と違って、理知的な灰色だった。


 服装は魔法使いの定番であるローブ姿だが、この群島の気候に合わせてか、その素材は麻のように薄く風通しの良いものである。


「ったく ! せっかくカワイイ顔してんのに、不愛想で暴力的なのが玉にきずだな」


 インラン・ピンクの女は再び風魔法を発動する。


「だからあぶねえって ! 人に向かって魔法を撃つんじゃねえよ ! 」


 今度は身を低くして、風の刃をやりすごしたトレイは、シャロンの頬が少しだけ赤くなっているのに気づかなかった。


 だが、それに気づいた者がいた。


「……なるほど、無骨で鈍感な年上の男を憎からずと想っている不愛想な魔法使いの女か……なかなか面白いものを見せてもらったな」


 波打ち際からずっと二人のやり取りを見ていた男は満足したように砂浜の向こうの街を目指して歩きだした。


「それにしても……『ピンク髪は淫乱いんらん』っていうのは一体誰が言い出したんだろうな……」


 そんな失礼なことを呟きながら、男はまだじゃれ合ってる二人の横を、視線だけは気づかれないようそちらに向けて通り過ぎる。


「……おい ! そこの怪しい男 ! 止まれ ! 」


 自分のことを微塵も怪しい思っていない男はその声を無視して進む。


 そんな男の足元で、砂が弾けた。


 シャロンが警告の風魔法を撃ったのだ。


「うおっ !? なんだ !? 」


「止まれって言ってるでしょ ? 聞こえませんでした ? 」


 不愛想な女の顔が男を見据えた。


「……怪しい男に向かって止まれと言ったんだろ ? 俺は全く怪しくないんだが……」


 憮然とする男。


「……そのあからさますぎて逆に人目を引く付け髭に、さほど鍛えてもいないのにシャツも着ないで、古傷だらけの上半身を見せつけて歩く意味のわからなさ。それほど強そうじゃねえのに履いてるズボンはこの近海では最強のモンスター、シードラゴンの革製ときてる。どうみても怪しいじゃねえか !? 何が目的でこの島に来た !? 」


 トレイは警備隊仕込みの勘で怪しいと直感した男に詰め寄った。


「……自分を探すために来たってとこかな」


「なに思春期をこじらせた少年みたいなことを言ってるんですか……」


 男が精一杯考えて送り出した答えは、シャロンの溜息に迎え撃たれた。


 一言で済ませて街へ向かいたかった男は、それが叶わないと知ると、渋々事情を説明する。



「……失った記憶を取り戻すために、海人族の縄張りにある島からここまで来ただと…… !? よくもそんなデタラメを言えるな ! 海人族のテリトリーからこの群島までどれだけの距離があると思ってんだ ! 」


「……どんな方法でこのウッドリッジ群島まで辿り着いたんですか ? 」


 激昂するトレイを抑えて、シャロンがさらに問う。


「空を飛ぶアイテムを利用したんだよ。ちょっとトラブルがあって空中で火だるまになって泳ぐはめになっちまったが……」


 恥ずかしそうに頭をかきながら、男は答えた。


「……わかりました。これからどうするつもりですか ? 」


「とりあえず冒険者ギルドへ行って、何か自分に関する手がかりを探すつもりだが……」


「ならばギルドまで案内してあげます。時間をとらせてしまいましたしね」


「お、おい ! まさかこんな荒唐無稽な説明を信用するのか !? 」


 こんなに怪しい男を自らが守る島に放っておいて良いわけがない、とトレイは再び声を荒げた。


「……作り話ならばもっとそれらしい話を作ると思いませんか ? それに私がここへ来たのは沖から帰ってきた漁師が『火の玉が海に落ちて、それから海中を竜人みたいなのが泳いで陸に向かった』と警備隊の詰め所に駆け込んできたからです。その男のシードラゴンの革製ズボンを竜人の鱗と見間違えたというなら説明はつきます。ただ念のために監視を兼ねて同行はしますが……そもそもこの男は外見が怪しいというだけで、まだ何も法を犯していないんですよ…… ! 」


 シャロンは小声でトレイに耳打ちする。


 自身が最も有能と信頼する部下がこうまで言うのだから、さすがのトレイも納得せざるを得なかった。


「ついてきてください」


 不愛想に言う女の後を、男は追う。


 その背中をトレイは苦々しげに睨んでいた。


 小さな木造の漁船が波打ち際に並ぶ白い砂浜をすぎると、足元は灰色の石畳へと変わっていく。


「そう言えば、あなたのことは何とお呼びすればいいんですか ? 」


 ペタペタとシードラゴンの革を贅沢に使用したサンダルの音を鳴らしながらついてくる男に、シャロンは歩みを止めずに振り返って聞いた。


「とりあえずジョンと呼んでくれ。人魚につけてもらった名前だ」


 男は爽やかに笑った。


「……私はシャロンです。さっきのその全てが筋肉で構成されてそうな男はトレイ。二人ともこの島の警備隊に属しています」


 それだけ言うと、またシャロンは前を向いた。


(……過去の失踪記録を調べた時、漁に出た若い男が海人族に攫われたケースがいくつかあって、その被害者の中にジョンという名前もあった……。何か関係あるのかしら ? )


 白い壁と青い屋根を基調とした街並みの狭い路地を二人は軽やかに進む。


「港町なのにあんまり魚の臭いがしないんだな」


「心配せずとも、市場へ行けばむせかえるほどの生魚の臭いを嗅げますよ。ここからはもう少し東ですがね……つきましたよ。ここがこの島の冒険者ギルドです」


 そう言って、一際大きな建物の涼しげな鎧戸タイプのドアを開けて、シャロンは入っていく。


 薄い茶色の細長い板が太い枠の中に並んで、風通し良く出来上がっているドアを一瞥して、男はそれに続く。


 濃い茶色の床に白い壁、そして横長のカウンターテーブル。


(南国の役所って感じだな。職員もアロハシャツみたいなの着てるし)


「あら ? シャロンじゃない ! 久しぶりね ! 」


 カウンターの向こうの良く日に焼けた、ショートカットの銀髪の女性が声をあげる。


 相変わらず白いね、やっぱりクラムスキー商会の日焼け止めを使ってるの、あの鈍感な部隊長さんとは上手くやってる ? この間、勘違いした冒険者が──などと女の子同士の会話を一頻ひとしきり終えて、ようやく本題に入った時には10分以上が経過していた。

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