第52話 好感度-100


「……できればこのまま安全な空中から遠距離攻撃でもして一方的に蹂躙じゅうりんしたいんだが……」。


 コウはちらりと腹部のウエストバッグ型のアイテムボックスを見る。


「遠距離攻撃用のアイテムが欲しいんですか ? つくれたはずなんですがね。あなたが『箱庭テント』なんか創らせなければね……」。


 アイテムボックスに宿やどった四月の女神の分霊「ポケット」が素っ気なく、されど嫌味を込めて返した。


 テント内に多数のレイアウト変更可能な部屋と広大な花畑と森が存在する奇跡のアイテム「箱庭テント」。


 四月の女神が神域に貯蔵していた希少な素材を会社で言えば、研究や新商品開発、社員研修などの戦力増強に使わずに全て福利厚生にぶっこむというまるで経営を考えていない間違った優しさを存分に発揮したアイテムだ。


「あなたの身内への甘さはきっと韓信かんしんとかに『婦人のじん』って非難されますよ」。


「……劉邦りゅうほう的な奴に倒されそうなフラグを立てるんじゃない……。それにしても良く知ってんな。項羽こううの故事なんて」。


 コウは小さく溜息を吐いて、ゆっくり落下し始める。


「気を付けてください。あなたの基本戦術は私のアイテムの性能によるゴリ押し、まさに『匹夫ひっぷの勇』です。ですが満月の夜の人狼族との戦闘はそれではダメです。恐らく消耗戦しょうもうせんになるでしょう」。


「消耗戦 ? 」。


 会話の間にコウは地面に降り立った。


「……こういう時って普通両陣営の間にカッコよく降りませんか ? 」。


「なんで俺が矢面やおもてに立たなきゃならねえんだよ。まだ事情もわからないのに」。


 コウの前方に見えるのは人間達の背中、そしてさらに先に人狼達が見える。


「コウ ! 遅いわよ ! 」。


 ローブ姿の小太りの男の頭の上に座る妖精が非難めいた声をあげた。


 自分の頭上から発せられた声によって男も後ろを振り向いた。


「コウさん ! 」。


「タオさんだったのか ! 受付のおばちゃんもいるし……間に合って良かった ! 」。


 駆け寄ろうとするコウを「ポケット」が制止する。


「待ってください ! コウ ! あの女の持っている剣、あれを今すぐ破壊してください !! 」。


「剣 ? 」。


 コウは立ち止まり、剣を持つ女を見やる。


 長いプラチナブロンドで灰色の理性的な瞳。


 革の鎧を身にまとっている。


「理由はわかりませんが、あの剣には……十月の女神の分霊が宿っています ! 早く壊してください !!!! 」。


「ポケット」の音声が夜の森にこだました。


 それに焦ったのはネリーだ。


 彼女の兄が完全に回復する前に十月の女神の分霊の宿る剣を粉砕されれば、兄がどうなるかわからない。


 彼女はふらつく頭で必死に抗弁する。


「ま、待ってください ! この十月の女神の分霊は自らあなた方に合流しようとここまで来たんです。この分霊は……本体である十月の女神ミシュリティーに反逆したんです ! だから私達は人間族の走狗そうくである人狼に追われている…… ! 」。


「分霊が本体に反逆 !? 『ポケット』、そんなことできるのか !? 」。


 コウが驚いて腹部の「ポケット」に問いかけた。


「……できるできないで言えば可能です。確かにあの分霊は本体との経路パスも切断しているようですが……。それでも信用なりません。あの女ならばこれも戦略の一つである可能性があります。しろを破壊すればそれに宿った分霊は神域に帰らなければ消滅します。だからコウ、あの剣を破壊してください」。


 「ポケット」はかたくなに剣の、十月の女神の分霊の破壊を主張する。


「…………待て。確かに十月の女神の分霊なんて国際ロマンス詐欺さぎ並みに怪しいが……何か情報を得られるかもしれない。まずはこの状況をなんとかしてからだ」。


「ですが…… ! 」。


「俺は本体の四月の女神から全権を委任されてるはずだろ ? 従ってくれ。頼む」。


「……本当にいいんですか ? その選択肢を選ぶと私の好感度が100ポイントは下がって攻略不可能になるかもしれませんよ……」。


「お前ってそんな恋愛シミュレーションゲームみてえなシステムだったの !? 」。


「知りません ! もう勝手にしてください ! 後悔しても助けてあげませんから ! プイッ !! 」。


「ポケット」の好感度と引き換えになんとか要求を通したコウ。


(……「ポケット」に感情がないってのは、まるっきり嘘ってわけじゃなさそうだ。本体の四月の女神エイプリルならばここは譲らなかったはず……)


 ネリーは少しだけ身体の力を緩め、相変わらずはっきりしない頭でコウを見る。


(とりあえず四月の御使みつかいに感謝ね。考えもせずに分霊の言うがままに動く魔法人形マジックドールみたいなやつじゃなくて良かった……)。


 青い月光の下、特別な「恩寵おんちょう」を数日前に授かった彼女にだけは四月の女神の分霊の姿も薄く見えた。


 若草色の髪の乙女は口を尖らせてすねたような表情をしているものの、両腕を男の腰に回し、その片頬を男の胸にピッタリとつけている。


 その様はさきほどの彼女の発言からすると、確かに100ほど好感度は減ったのかもしれないが、まだまだ軽く10000ポイントは残っていそうだ。


(なんなの…… !? さっきのやり取りはひょっとしてケンカ風イチャつきだった…… !? これじゃむしろ御使いの方が分霊を支配してる…… ? )。


 ネリーがなんとも言えない表情で二人を見ていると、手に震えが伝わってきた。


「え ? 」。


 震えだけではない。


 感情も伝わってきた。


 剣に宿る分霊の。


 そして彼女の視界にノイズが走る。


 ここではない場所が見える。


 遠くに見える山まで続く麦畑。


 果物を実らせた木も多く見える。


 伝承にある「豊穣ほうじょう」をつかさどる十月の女神ミシュリティの神域のよう。


 麦畑の中を軽快に走る彼女。


(これは……私じゃない……。誰かの記憶…… ? )。


 ふいに後ろから優しく片手を引かれて、彼女は走ることをやめた。


 振り向いた先には男がいた。


 黒い髪とひげで青い瞳の甘ったるい顔の男。


 鼓動がドンドン早くなっていく。


(ああ、彼女は恋をしているんだ……)。


 顔がゆっくりと近づいてくる。



「ネリー ! 」。


 ハッと彼女が意識を現実に戻すと、目の前には不満げなおばちゃんがいた。


(今のは……伝わってきたのは……悔恨かいこん…… ? )


「どういうことだい ? その分霊様は本体である十月の女神様に反逆したって ? ただ依頼を受けて同行した私達もなんで処刑対象になってるんだい !? 」。


「……『聖女』様はお前達全員を殺せと命じられた。本体の十月の女神様が託宣でお前達のことまで言及したかどうかはまさしく神のみぞ知ることだが、『聖女』様がそうおっしゃった以上、それが事実となる」。


 親切にも言葉につまるネリーの代わりに人狼が愉快そうに答えてくれた。


「……あのババア…… ! 自分が騙された八つ当たりを私達に…… ! 絶対に生き残ってぶん殴ってやるよ ! 」。


 おばちゃんが忌々いまいましそうに吐き捨てた。


「さあ……そろそろ殺させてくれ。お願いだ。満月の夜に我慢をしなけりゃならないのは、数日間砂漠を彷徨さまよって、ようやく見つけた水場の前で押さえつけられているようなものなんだ…… ! 」。


 真っ赤に裂けた口がさらに大きく広がった。


 人狼達は八体。


 興奮して尻尾を激しく振っている者までいる。


「……せっかくあの地獄を生き残ったのにな……。理不尽なもんだ」。


 キャスが溜息を吐いて、槍を握り直した。


「人生なんて理不尽の連続ですよ。でも……それは誰にでも言えることです。どうやらあちらにとっての理不尽が到着したようですよ」。


 ごうとやかましい音と共に、不可視の塊が瞬時に彼らの脇を通りすぎて、一体の人狼を派手に吹き飛ばした。


 動きの素早い人狼族には風魔法。


 走り寄る巨大な人型の理不尽が放った定石通りの攻撃が、戦闘の始まりを告げた。

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