第58話 人狼は前世をかたる



「……あなたとは……前々世からつながっている気がする……」。


 狂気を帯びた真っ赤な瞳が歪み、コウを抱きしめる力が強くなった。


「ヒット曲の歌詞みたいなこと言ってんじゃねえよ !! 俺には全くそんなスピリチュアルな記憶はねえ !! 」。


 さんざん酷い目にわせた目の前の毛むくじゃらの人狼が女性だと知らされて精神的優位をとられかけた、例えるなら殺人を犯し死刑確実な被告人を女性だからと量刑に執行猶予のリボンをかけてプレゼントする判事のような似非えせフェミニストのコウだったが、気合を入れて再び両腕に力を込める。


 またしても肋骨が砕け、内蔵にも損傷があるが、満月の夜の人狼にはそれは快楽でしかない。


「ああ……思い出して……あの時……私は犬で……あなたと私は……教会で……何かを……見て……死んだ……」。


 人狼がそう言って、懐かしむように天を見上げた。


「なんで異世界なのに『フランダースの犬』のラストシーンを知ってんだよ !? それにあれは創作だろうが !? 」。


「……ちがう……あれは私達のことをもとに作られた……」。


「そ、そんなバカな…… ! じゃあ俺は前世は働きもせずに絵ばっかり描いてた甲斐性なしの少年だったっていうのか…… !? 」。


 驚愕するコウ。


「……その影響が現世でも出てる……。あなたは女性に……頼り過ぎているんじゃない…… ? 」。


「あ、当たってる !? 」。


 さらに驚愕するコウ。


 人狼は恐ろしい容貌で優しく微笑む。


 すでに損傷は満月の光を浴びて回復していた。


「大丈夫……現世でも私に頼っていいのよ……。だからもっと強く抱きしめて…… ! 」。


「わ、わかった」。


 再び目を背けたくなるような嫌な音がするが、人狼は気持ちよさそうに目を細めて、竜人の外骨格の頬に自らの頬をこすりつける。


「それから……あなたは……幼い頃に動物を……飼っていた……それも……私……」。


「そんなバカな !? 年数が合わないだろ !? モコが死んだのは二年前だぞ !? 」。


 コウは家族の一員だった小さな犬のことを思い出した。


「異世界に魂が転移する時、時空が歪むのはよくあること……。あなたたちは……私の見た目から……名前をつけた……」。


「そ、そうだ ! 姉ちゃんが『この子は毛がもこもこだからモコにしよう ! 』って……モコ ! お前、モコなのか !? 」。


「そうよ…… ! でも今の私の名はリーニャ……。今の名で呼んで……コウ……」。


「……リーニャ ! 」。


「コウ ! 」。


 千切ちぎれんばかりに尾を振る漆黒の人狼と深紅の竜人は抱き合う。


 いつの間にか山々の間から朝日が二人を恥ずかしそうに少しだけ覗き始めていた。


 そのわずかな陽の光を浴びて、人狼は変化していく。


 大柄な身体は縮み、コウより少し低いほどに。


 全身を覆う漆黒の毛はまるで毛皮の服のようになり、不必要な部分は抜けていく。


 毛の抜けた箇所は褐色の肌。


 そして人間と変わらぬ顔で、深紅の瞳。


 ただその黒く長い髪の合間から犬を思わせる二つの黒い耳がぴょこりと出ていた。


 ふっと、コウも「ドラゴニュートスーツ」を「瞬着」によって一瞬でアイテムボックスに収納して、生身なまみとなる。


 もちろん服は着ているが。


 それによってリーニャのテンションはさらに上がり、尻尾はもはや回転していた。


 そして彼女はコウの頬に自らの頬をこすりつける。


 人狼族が自らの匂いを想いを寄せる相手につける最高の愛情表現だ。


 コウの手がリーニャの頭を少しだけ遠慮がちに、優しく撫でると、彼女の背骨を夜とはまた違った快感が走った。


「コウ……人狼族の戦士は満月の自分をいかなる手段も用いてでも一対一で屈服させた人間族に永遠の忠誠を誓うの……」。


「モコ……いや、リーニャ……」。


 真紅の瞳と漆黒の瞳が見つめ合った。




「なんかすごい運命的だね ! 前々世からつながっててまた再会できたなんて ! 」。


「本当 ! 素敵 ! 」。


 少し前から二人のやり取りをじっくりと眺めていたエルフのセレステと土妖精ノームのドナは興奮気味に語り合う。


「……そんなわけないでしょうが……」。


 そんな二人に水を浴びせかけるような水妖精ウンディーネのスー。


「その通りだ。あの人狼族の女が言ってたのは誰にでも当てはまるようなことだし、それに対する四月の御使みつかいの反応を見て、話す内容を変えたんだろうよ。あの全身を覆う竜人の鎧の中の人間の反応を感知するのはさすが人狼族の超感覚と言わざるを得ないが……」。


 キャスは顎に手を当てながら興味深そうにコウとリーニャを眺める。


「え ? じゃあなんであの人狼はそんなことをしたんですか ? 」。


 ドナがキャスに問う。


「……夜明けとともに問答無用で殺されないための保険か……。捕虜となった場合の待遇を良いものにするためか……。それとも戦いの最中に本気で四月の御使いを気に入って取り入ろうとしたのかもな」。


「……最後の理由だとしたら、人狼族の女ってチョロすぎませんか ? 」。


 その回転力によって浮力を得て浮かび上がりそうなくらいに回る人狼の尻尾を見て、ドナは言った。


「十二の種族は共通する面も多いが、やはりその種族でなきゃ理解できない所もあるもんだ。なにが昨晩あの女の琴線きんせんに触れたかは人狼族じゃなきゃわからんのだろうよ」。


 キャスは苦笑して続ける。


「ま、チョロすぎるっていうのは四月の御使いにも言えるがな。あんな似非えせ占い師が使うような手にあれだけ綺麗に引っかかる奴なんて初めて見たぜ」。


「全くよ」。


 スーが同意して溜息を吐く。


 どこか穏やかな空気。


 突然現れた光妖精ウィスプが月光の下、行使した光の精霊魔法は昼間と違い、相手を氷つかせた。


 それによって人狼達は動きを封じられた氷の彫像と化して森の中に佇んでおり、現在戦闘は援護を断ったネリーとすでに変化のとけたレイフが行っているだけ。


(おかしいわね……)。


 スーは周囲を見やる。


 コウとリーニャのこんな状況を黙って見ているわけがない連中が揃って静かなのだ。


 彼の腰のウエストバッグ型のアイテムボックスに宿やどった四月の女神の分霊は沈黙している。


 チェリーは三月の女神の分霊の宿ったハルバードを握りしめて少し離れた場所で周囲を警戒しているし、光妖精ウィスプのゾネと風妖精シルフのラナは空中から周辺を偵察していた。


 昨晩から戦い続けたメンバーは少し休憩しているように、とだけチェリーが指示を出したためだ。


「大丈夫かい ? 震えてるけど戦いづめで体調を崩しちゃった ? 」。


 受付のおばちゃんがいつの間にか座り込んで小刻みに震えるセレステに声をかけた。


「……大丈夫じゃない……みんな……戦闘準備を…… ! 」。


 戦闘中でも見せないような張り詰めた顔のセレステ。


「え ? 」。


 スーは思わず彼女の背の矢筒やづつを見た。


 そこに宿る者から何事かを聞いたのだと判断して。


 次の瞬間、悲鳴が響き渡り、振り向いたスーの目には空中に吹き飛ぶ千切ちぎれた上半身が映った。




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