第60話 汚れものは綺麗にしてから仕舞うもの



 悲鳴が響いてから、リーニャは人狼族がその神からたまわった恩寵おんちょうである「直感」に従って前方に跳んだ。


 コウを抱きかかえたまま。


 空中に舞う彼女の黒い後ろ髪が重たいモノに切り払われて、さらに空に散った。


「ぐえ ! 」。


 背中から受け身もとれずに地面に落ちたコウは情けない声をあげるが、リーニャはそれに構わず、すぐに重なった身体を起こし、腕を支点にして身体を回転させて脚を彼の頭の上に持ってくる。


 そしてすかさず彼の腕を引っ張り、共に後ろへ跳んだ瞬間、つい数舜すうしゅん前まで二人が倒れていた地面に太い剣が突き刺さった。


「……けるなよ。どうせ結果は変わらないのに、そこに至るための時間が無駄に増えるだろうが」。


 声の主は剣を地面に突き刺したまま、面倒くさそうに言い、指をパチンと鳴らした。


 瞬間、その音の発生源を中心に半径十メートルほどがガラスのような透明なものでドーム状に覆われる。


 そのドームの中にはコウとリーニャ、それとそれを作った者。


 そして透けて見えるドームの外と内は、何かが違った。


 時の流れだ。


 外にいる者達はこちらを見たまま、凍り付いたように止まっていた。


「……まさか……外は時間が止まっている ? 」。


 コウがどこかほうけたように呟く。


「いいや、止まってるわけじゃない。この中の時間を早めただけだ。外の一秒がこの中の千年くらいにな……。このフィールドを作るのは疲れるんだよなぁ……まったく……」。


 この状況を作り上げた者が面倒くさそうに言った。


「……随分親切に説明してくれるじゃない」。


 リーニャが少しだけ大きめな口から犬歯をむき出しにして忌々しげに言うと、紫の鎧をまとった短い金髪の小柄な少年は肩をすくめた。


 まるで少年らしくない仕草だった。


 そしてその闇に輝くような蛍光ブルーの瞳は、まるで人間族らしくなかった。


「コウ、気を付けて。こいつは有名な『勇者』よ……。そして……微かに地獄の臭いがする……」。


「『勇者』から地獄の臭いがする !? どういうことだ !? 」。


「……信じられないけど……『勇者』の肉体に悪魔が憑りついた『悪魔憑き』よ。女神様やその分霊が何かをしろにして降臨こうりんなさるように悪魔は何か生き物に憑りついて現世に現れるの。でも……それには器となる者の承諾が必要だし……その世界がけがれてなければならないはずなのに……」。


 リーニャは悔しそうにギリギリと歯を食いしばる。


「……この世界はいい具合に汚れているさ。百年前に人間族が多くを殺したし、それ以降他種族をじわじわと弾圧し続け、怨嗟えんさの念がおりのように積み重なっている。だから俺が現れることができたんだ。この世界を管理するあまりに愚かな女神共のおかげだ」。


 少しだけきょうに乗って来たのか、悪魔のような笑いを浮かべる少年。


「……何が目的かわからないけど……すぐにその器を破壊して私達の世界から地獄に叩き落としてやる…… !! 」。


 リーニャは咆哮をあげた。


 それはこの世界をまもせきを帯びた者の叫びのよう。


「ん ? お前は……そうかあの剣と同じか……。まあ面倒だから後回しでいいか。まだ第二目標のあの剣も破壊してないしなぁ」。


 なにやら悪魔はぶつぶつとひとちる。


「コウ、安心して。人狼族は『忠誠を誓った相手』と『二人』で『格上の敵』に挑む時、満月の夜よりも強力な力を発揮することができるの ! だから……」。


 恐らく笑顔で「安心して ! 」と続けて言うつもりであった彼女は、その言葉を発することなく消えた。


 その姿はドームの外にある。


 固まったままの笑顔が虚しくコウを見つめていた。


「ええぇぇ……」。


 コウの呆れたような情けない声がした。


「クク……。残念だけどこの空間の中にいる者は俺の意志で自由に外に出せるんだよなぁ」。


 コウは覚悟を決めたのか、無言で「瞬着」によって「ドラゴニュートスーツ」をまとい、再び真紅の竜人と化す。


「ああ、そんなことする必要はないぞ。俺はお前と戦うなんて面倒なことをするつもりはない。やっかいな能力持ちだと聞いてるしな。このフィールドも三秒後には解けるから安心してくれ。まあ外の三秒だからこの中では三千年が経過してるが。運が良ければ骨が化石になって仲間と再会できるかもなぁ」。


「……その前にお前を倒せばいいんだろ ! 」。


 手の甲の赤い魔石に魔素を通し、こぶしから突き出した四本の短剣のようにするどい爪に炎を纏わせ、コウは悪魔に向かって飛んだ。


 突き出した右拳から炎が後ろに流れて、真っ赤な炎の流星と化した彼の爪が悪魔に到達する瞬間、悪魔は消えた。


「どこだ !? 」。


 周囲を見渡すと、彼に向かって笑顔で手を振るようにして、固まっている悪魔がドームの壁の外にいる。


 コウは彼と悪魔を隔てている透明な壁に向かって、もう一度真紅の炎の流星となって飛んだ。




 しばらくして、コウは「ドラゴニュートスーツ」を脱いで地面に寝転がる。


「……無理だ……どうやっても無理。あの壁、何をやっても傷一つつかない」。


「……これぐらいの逆境で簡単に諦めてどうするんですか。そんなことでは四月の女神エイプリルの分霊たる私の『ヒモ』は務まりませんよ ? 」。


「むしろこんな絶望的な状況を自力で乗り切れる奴は『ヒモ』になんかならないと思うけどな。……それにしてもなんで今までこたえてくれなかったんだ ? 『ポケット』 ? 」。


 コウは腹部のウエストバッグ型のアイテムボックスに宿やどった四月の女神の分霊「ポケット」に問う。


「仕方ないでしょう。内と外との両方に意識を存在できるようになりはしましたが、それはCPUで言えばコア数が二つになったようなもので、その二つをフル稼働しなければならない状況だったんですから」。


「異世界の女神の分霊がCPUとか言うんじゃねえよ。雰囲気ぶち壊しだろうが」。


 コウは苦笑する。


「とりあえず状況の説明と対策を話しますから、中に入ってください」。


 その言葉と同時に、彼の身体はにゅるりとウエストバッグの口に吸い込まれていった。

 そして慣れ親しんだ上下左右が生肉で構成された広い空間へと出る。


 そこにはすでに生肉の乙女となった「ポケット」がいて、彼女の意志によって床の生肉の一部が盛り上がり、テーブルセットへと変わっていった。


「まずは水でも飲んで休憩してください」。


 ありがたいことに生肉製ではないコップに注がれた水が差しだされる。


 コウは礼を言ってそれを受け取り、一気に流し込んだ。


「ふう、こんなに美味い水は久しぶりだ。あのサウナスーツのせいで熱中症になりかけたからな……」。


 少しだけ皮肉をこめた声にも「ドラゴニュートスーツ」製作者の生肉乙女はどこ吹く風。


「一息つけましたか ? それではやるべきことを一つずつやっていきましょう」。


「ああ、お前のことだから何かこの状況を打開する手段の一つや二つあるんだろ ? 」。


「ええ、ですがまずやらなければならないのは……あなたへのお仕置きです」。


「なんで !? 」。


 生肉乙女は微笑みながらも、そこだけは笑っていない瞳でコウを見つめた。


「……忘れたとは言わせませんよ。私は確かにあの雌犬の汚らわしいオシッコがかかった『ドラゴニュートスーツ』を念入りに洗浄してから私の内部に収納してください、と言いましたよね ? 」。


「あ…… ! 」。


「思い出してくれたようですね。そのうえ振込詐欺の被害者ですら信じないような『前世からつながっている』とかいう頭のイタいスピリチュアルなメス犬の言葉を信じて、私の『ヒモ』でありながら別の女を抱きしめましたね……」。


 笑顔でにじり寄る「ポケット」。


 後ずさるコウ。


「……まあ私も鬼ではありません。一つチャンスをあげましょう」。


「チャンス ? 」。


「俊敏性の訓練を兼ねたチャンスです。逃げる私を抱きしめて捕まえることができたら強制的に魔力切れ状態にするのは許してあげます」。


 機嫌を損ねた「ポケット」による懲罰はコウから魔素を吸い取り、魔力切れ状態にするというもの。


 魔力切れになった人間は酷い二日酔いに似た症状となるが、それから回復すると魔力は若干向上しているという訓練を兼ねたお仕置きである。


 コウはそれを回避するべく動き出す。


 ゆっくりと両手を広げて生肉乙女へと近づいていく。


 生肉乙女はコウを見つめたまま動かない。


 その正面に立ち、広げた腕の輪を縮めていくのに、生肉乙女は全く動かない。


(捕まえる瞬間に消えるパターンか…… ? )。


 コウはいぶかしく思いながらもゆっくりと「ポケット」を抱きしめた。


「……俊敏性の訓練じゃなかったのか ? 」。


「そんなの知りません。別に……ただたまにはあなたの方から抱きしめて欲しかっただけです」。


 プイっとコウの胸に当てられた生肉製の美しい顔がそっぽを向く。


 全身が生肉でできた少女だというのに、その仕草があまりに可愛らしくて、コウは思わず両腕にもう少しだけ力を込めた。


「あ……」。


 生肉乙女の生肉製の唇から吐息が漏れる。


「…………気が変わりました。やっぱり今回もあなたから魔素を搾り取ることにします」。


「なんで !? 」。


 コウのデモでも起こしかねないほどの抗議の意志を圧政をく独裁者のように無視して、ゆっくりと「ポケット」は彼を押し倒した。


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