第111話 オークション前の一週間 その4



 朝日が真っ赤な海を照らす中、ジョンは巨大なシードラゴンの解体の手を止めた。


「……凄まじい光景ね」


 巨体にはそれ相応の内容物がある。


 その一つ、血液が流れ出た海は青色から情熱的でも、愛情を感じるでもない、ただただ死を思わせるだけの赤へと変わっていた。


「こればかりはどうしようもない。それにしても血の臭いに引き寄せられて別のシードラゴンが出てくるのは、まいったな」


 血の海を割って、黒い鱗の鼻先と金色の瞳が現れたかと思うと、音も立てずに砂浜に接近し、やがてその怪物の海中での軽やかな動きが、重みと圧力を伴ったものへと変化する。


 仲間の死骸が並べられた、恐るべき砂浜に上陸したシードラゴンは、この惨状を生み出した男に構うこともなく、すでに皮と魔石をはぎ取られた死骸へと、四本の太く短い脚で、まっしぐらに駆け寄る。


「……仲間のかたきを討とうって思いはないのかしら ? 」


 同種のモンスターの死肉をご機嫌で噛みちぎり始めたシードラゴンを呆れたように見るソフィア。


「こいつらはとてもシンプルだ。自分以外の存在を『食えるか、食えないか』の二つで判断しているだけだからな」


 ジョンは再び二体目の解体作業に取り掛かる。


 口元の知能を持つアイテムインテリジェンスの付け髭型万能ツールが伸ばした黒い触手の先が様々に形を変えて、死骸を素材へと変えていく。


「……当たり前だけど、人間とは違うわね。人間は仲間なんて食べないもの」


 ソフィアは小さく木製の肩をすくめて言った。


「そうでもないさ。人間だって基本は二分法的に判断するもんだ。それを細かく行うのが他の生き物と違うだけで。例えば人間を男か、女か、で判断して男だったら若いか、年寄りか、若かったらイケメンか、そうでないか、イケメンだったら性格は良いか、悪いか、なんて風にソフィアも判断を繰り返して逆ハーレムのメンバーを選んだんだろ ? 」


 寝不足の影響からか、珍しくも少しだけ意地悪く口角を上げ、顔だけ振り向いた男の背をソフィアは砂浜で拾った漂着物のロープを鞭のようにしならせて、打ち据えた。


「イテっ ! 何だ !? 」


 彼女が人間だった時、「鞭術士」( A 級)の恩寵おんちょうを授かったランク A の冒険者だった頃に男の背中を打ったなら、背中が弾け飛んでいたであろうが、今の簡素な魔法人形マジックドールの身体では、少々男の作業を邪魔しただけであった。


 それでも多少は溜飲りゅういんが下がったのか、ソフィアは男の背を満足そうに見つめてから、念のために食事中のシードラゴンを監視するために向き直る。


 するとそこでは新たな戦いが始まっていた。


 朝になって飛び回り始めた瞬跳蜻蛉テレポートンボがご親切にも固い皮が剥ぎ取られた新鮮で巨大な肉に引き寄せられてきたのだ。


 いくつもの雷の炸裂音がして、シードラゴンの咆哮がそれにこたえるが、空から一方的に攻撃されてはたまらない。


 やがて名残惜しそうに振り返りながら、海へと帰っていく。


「……あんな化物の肉が取り合いになるくらい美味しいのかしら ? 」


 少々かじり取られた巨大な肉塊に群がり始めた瞬跳蜻蛉テレポートンボどもを見ながら、ソフィアは呟いた。


 瞬跳蜻蛉テレポートンボには世界はどう見えているのだろうか。


 昨日、瞬跳蜻蛉テレポートンボめすを模した魔法人形の身体にその魂石を入れられた彼女は、なんとなくそんなことを思った。


(昨日、狩った瞬跳蜻蛉テレポートンボおすにはあの雌のボディがよほど魅力的に見えたんだろう……。私には何がいいのかさっぱりわからなかったけど……)


 彼女は小さく首を横に振って、再び後ろを向いた。


 その視線の先には、三体目のシードラゴンから魔石を採取しようとしている男の背中があった。


(でも……お互い様かもしれない。瞬跳蜻蛉テレポートンボの雌だって、あの背中に、あの背中の持ち主の人間の男に想いを寄せたりしないだろうから……。ううん、人間同士だって理解できないことはある。人間だった頃のソフィアなら……あの男の背中をこんな想いで見ることなんてきっとなかった……)


 ソフィアは吐けるはずもないタメ息を吐く。


(そもそも人間だった頃の私は……男の背中に守られることなんてなかった。私は掛け値なしに強かった。でも……その強さのせいで大切なものがわかってなかった。病気になって……弱くなって……初めてエミリオの優しさを……温かさを感じることができた……)


 ソフィアとエミリオとの絆は、彼女が倒れてから初めて紡がれたものではない。


 昔から、ちゃんとあったのだ。


 当たり前すぎて、そのかけがえのなさに気づけなかっただけで。


(あの時、エミリオがいないなら自分の存在理由はないから、壊すか、記憶を消して、と言ったけど……本当は……自分が消えてしまうのが少し怖かった。壊れる寸前の身体は視界が暗くて、このまま自分が闇に落ちていってしまいそうで、恐ろしかった。だから私を治すと言ってくれたジョンの言葉が嬉しかったし、オークションに出せば修理されることもなく分解されることが分かり切っているのに、そうしようとするピンク髪の女が心底、おぞましかった。そして……あの暗闇の中、魔素をきらめかせて私を庇ったジョンの背中が……私を救う光に見えた……)


「……昨日さ。シードラゴンが上陸してきた時、思わず腰に手を伸ばしちゃったの。装備もしていない鞭を振るおうとして。人間だった時みたいに。……笑えるでしょ ? 今の私は何もできない簡素な魔法人形に過ぎないってのに……」


 不意に話しかけられたジョンは手をそのままに、振り向きもせず背中でソフィアの独白を聞く。


「私は一体何なの ? 人間ソフィアの記憶を持っているけど、ソフィアそのものじゃない。かと言って魔法人形にもなり切れない。私は……」


「……本当の自分がわからなくて不安になってるのか ? 」


「そう言ってもいいかもしれない……」


「そうか。……でも本当の自分なんて存在するのか ? 」


「え ? そりゃあ、そうさ……」


 思ってもみないようなジョンの言葉に、ソフィアは少しばかり面食らったよう。


「俺は今、過去の記憶を失っている。もしかしたら昔の俺は今の俺と全く違う人格だったかもしれない。となると今現在の俺は偽物の俺ということになるか ? 」


「……私にとっちゃあ、今のあんた以外にあんたがいるなんて関係ないよ。過去のあんたと私とは何の接点もなかったんだし。破損した私の魂石を治して……ここまで一緒に来たのも今のあんただ。過去のあんたじゃない」


「俺にとってもそうだ。昨日、瞬跳蜻蛉テレポートンボを狩ってくれたのは今のソフィアだし、夜にシードラゴンの襲来を教えてくれたのも今のソフィアだ。過去のお前じゃない」


 そう言って、ジョンは立ち上がるとソフィアに向き直る。


「それに今、色々と考えたり、思い悩んだり、感じたりしたことが積み重なって、未来の自分を作っていくんだ。その経験の中には決して人間ソフィアでは体験できないことだってある。だからそれによって作られた未来のお前の心は、お前自身のものだ」


「……あんたは一緒に私の心を作ってくれるの ? 」


「俺がつくってやれるのは身体だけだ。だけど一緒に過ごしてたら、それは自然とお互いの心をつくることになるかもな……。過去を探す人間と、未来を探す魔法人形が共に生きていくっていうのもなかなか面白そうじゃないか ? 」


 爽やかに笑うと、ジョンは再び解体作業に戻る。


 ソフィアがこれから先を歩むための材料となるものを手にするために。


 魔法人形のソフィアはそんな人間の男の背中に向かって砂の上を歩んでいく。


 随分と高くなった太陽。


 彼女は自分の手のひらをその光にすかしてみる。


 木製の手は光を少しも透過することはない。


 流れる血潮が見えるはずもない。


(ああ……私は魔法人形だ。エミリオが愛した人間の女性、ソフィアの記憶を持つ魔法人形だ。そして……今は……あの背中の側にいることを願う魔法人形のソフィアだ…… ! )


 さほど遠くない目的の場所に、時間をかけてようやくたどり着いたソフィアは恐る恐る両手を伸ばす。


 最初に指先、それから手の平、そして腕、最後に小さな身体全体で彼女はジョンの背中にもたれかかった。


「……さっきから何なんだ ? 情緒不安定か ? 」


 まるで DV 常習者のような一貫性のないソフィアの行動に、ジョンは訝しげな顔で肩越しに振り向く。


「……うるさい。あんたのせいなんだから………… ! 」


 はたから見れば、 1 メートルほどの木製デッサン人形が座る男の背中にりついている呪われたような状況だが、幸いにも周囲にはそれを奇異と思うものはいない。


 ただただ蜻蛉とんぼの化物が飛び回っているだけだ。


「……お願いがあるの」


「なんだ ? 」


「新しい私の身体を……一からあんたに作って欲しい……」


「え ? エミリオが作成した身体じゃなくていいのか ? あれをベースにするつもりだったんだが……」


「いいの。あれはエミリオが人間のソフィアを再現しようとした……人間ソフィアのための身体だから。私は……ソフィアの記憶を持っているけど……ソフィアそのものじゃない。私は魔法人形のソフィア。あんたの魔法人形になりたいと思ってるソフィアだ」


 未来を求める魔法人形は、過去を失った男と共に歩むことを、自分で決めた。



────


 街の郊外、寂しさと引き換えに得た静けさの中、ソフィアは二つの墓石の前に佇んでいた。


 白く四角形の石が大量に整然と並ぶ、その場所において彼女の雪のように白いシードラゴンの腹の滑らかな革でできた肌と、その身に纏うシードラゴンの背中の黒い革製のドレスとブーツは、これ以上なく似合う色合いだった。


 寒色が優位なその墓地で、供えられた二つの花束だけが鮮やかだ。


 しばらく二つの墓石に前でひざまずいて祈りを捧げたソフィアは、胸中に設置されたシードラゴンの魔石が魔素を変換したエネルギーによって、その身体を起こすと、ジョンの髭型万能ツールを伸ばして、切り取って作成した黒い髪が揺れた。


「……自分の墓参りをするなんて変な気分だね」


 エミリオと、そしてその隣の人間ソフィアの墓石への墓参りは、彼女にとって一つの意味があった。


 それは自分は人間のソフィアとつながっていても、別の存在なのだという決別の儀式だった。


「私は……魔法人形のソフィアとして生きていくよ。あの男と一緒にね…… ! 」


 眠る二人にそう宣言して、ソフィアが振り返ると、黒いガラス製の瞳にジョンの姿が映る。


「さあ ! オークションへ行きましょ ! ミスリル製の 1000 万ゴールド硬貨があれば魔法人形用の最高の魔素タンクがつくれるんでしょ !? 」


「……それは次善の策だ。エミリオの作った身体も使いたいからな」


 そう苦笑する男の背中を魔法人形のソフィアは追う。


 そして二人は瞬跳蜻蛉テレポートンボの魔石の力によって空へと浮かび上がった。


 どんどん小さくなる二人の背中を、二つの墓石が静かに見送っていた。



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