第138話 想うアイデンティティ




──私も……あの薬の効果で……心の状態が変わっていたのかしら…… ? でも不思議なものね。形のある薬が形のない心を変えてしまうなんて……。


 ルチアナは少し前に、彼女も服用していたクラムスキー商会の薬を震えながら飲み込んだ警備兵が周囲の制止も聞かずに腐死ふしの怪物達に突撃して、腕をもがれ、脚をねじ切られながらも奮戦し、まるで死を恐れることなく食われてしまった光景を見てそんなことを考えていた。


「……フィリッポ……私……怖い……」


 死に対するものか、それとも別のものに対してか、ルチアナは己の感情を素直に吐露する。


 すると彼女の目の前の背中が向き直った。


「大丈夫です !! 俺がついてます ! それに状況は悪くないです。アンデッドの数は相当減らしましたし、こっちは数人の被害だけです。それにどうやらミシュリティー様は俺の身体を回復させるだけじゃなくて、弱まった恩寵も戻してくれたみたいで俺は絶好調だし、御使い様の鎧はアンデッドの攻撃を信じられないくらいに防御してくれてます ! 」


 よくもまあ咄嗟にそれだけ適当にポジティブなことばかりを言えるものだ、と呆れ顔のサンドロを気にもとめずに、フィリッポはニカリと笑った。


 つられてルチアナの口角もわずかにあがる。


「……そうね」


 コウの神の御使いの所業とは思えないほど無慈悲な悪魔祓い拷問によって力の供給元である悪魔がダメージを受け、それに伴って弱体化したアンデッド達をフィリッポ達はなんとか退けていた。


(……フィリッポが大丈夫って言うと、なんだか安心する……。さっき一緒に死線を乗り越えたから ? でも……人はみんなそうなのかもしれない。どんなに怖いことに立ち向かわなきゃならない時も……ともに立ち向かってくれる人が傍にいれば…… ! )


 死臭が漂う中にもかかわらず、いやそんな状況だからこそフィリッポとルチアナの間に今までとは違うあたたかな空気が流れていた。


(な、なんかこの二人……感じが今までと違うっすね。俺たちがいない間に一体何があったんすか ? )


(フィリッポの奴も「戦闘狂」の演技をしてないし、ルチアナ様もそれを咎めることもない……。なんだこの一度関係を持った後に急に男が強気になるような感じは…… ? )


(クソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソが !? 俺の方がフィリッポなんかよりもよっぽどイケメンなのに…… ! なんでだよ !? こうなったら俺の暗殺スキルで…… ! )


 ルチアナのパーティーメンバーがそれぞれに考えを巡らす中、目の前の動く人間の腐乱死体の首を大斧で跳ね飛ばしたフィリッポは最前線で残った 8 体と対峙する二人を見やる。


「ルチアナ様、あとはあの 8 体だけです。俺はあの 2 人を加勢しにいきます ! 」


「……あの 2 人なら大丈夫じゃない ? 」


「……最後まで女に戦わせて戦闘が終わるっていうのは、どうも男として座りが悪いんです」


 そう言ってフィリッポは男臭く笑う。


「そうね……。あのアンデッドドラゴンと人型のゾンビ達は他のとなんだか雰囲気が違うしね。サンドロもフィリッポと一緒に行ってあげて。私達はもう少し撤退するわ」


 すでに落ち着きを取り戻しているルチアナは冷静に指示を出した。



「……フィリッポさん、俺がいない間に何があったんすか ? 」


 最前線まで移動する短い距離で、サンドロはフィリッポに問う。


「ククク…… ! 見せてやりたかったぜ。俺がルチアナ様をアンデッドどもの包囲からお救いするところをな !! 」


 美化するには早すぎる数十分前の過去をこれ以上なく都合良く言うフィリッポ。


「……マジすか !? いや、そんな嘘はどうでもいいんすよ。あの男がミシュリティー様の御使いって本当なんすか ? 」


「人の素晴らしい過去を一秒で虚偽扱いするんじゃねえ !! あの男……コウとやらが御使いなのは本当だ。ミシュリティー様がそうおっしゃったんだからな ! 」


 フィリッポは人間の女神である十月の女神との邂逅を思い出したのか、怒鳴りながらもどこか陶酔したような不気味な顔となる。


(……なんてこった…… ! リン様……でもあの男が十月の……人間の女神の御使いっていうのは俺たちにとって、俺にとって都合がいいっす ! 多分、あの子にとっても……)


 サンドロは過剰に汗をかかないように常に氷魔法を応用して冷気を身に纏わせている。


 そして彼と同じように常に微風を他者にわからぬように身に纏わせているインランピンクの髪の女を見つめた。


「待たせたな ! このフィリッポ様が来たからには百人力だぜ ! 」


 大声をがなり立ててやかましい男がソフィアの隣で大斧を構え、サンドロが静かにシャロンの横に立つ。


「ふん……まあ一人力にはなりそうだね。でも正直来てくれて助かったよ」


「お前……どこか故障でもしたのか !? そんな殊勝なことを言うとは…… !? 」


「どこも壊れちゃいないよ ! ただ……魔素タンクの残量が心許こころもとなくてね」


「安心しろ ! 俺が残りのゾンビどもをぶった斬ってやるからよ ! 」


「いや……そうじゃなくていざという時はあんたから魔素を奪えばいいと思ってね」


「人を魔素の予備タンク扱いするんじゃねえ !! 」


 ソフィアは片頬を上げると軽く肩をすくめた。


「フフ、冗談だよ。それにこのままだと戦闘にならないと思うよ」


「どういうことだ ? 」


「こいつら、さっきから動かないだろ ? ジョ……コウが上手く悪魔憑きにダメージを与えてくれているから、悪魔の力が届きにくくなってるんだろうね」


 対峙する 5 体の人間のゾンビと 3 体のアンデッドドラゴンは遣る瀬無くフラフラとその場に立つだけだ。


「シャロン、そう言えばあんた私に『人間なのか、魔法人形マジックドールなのか ? 』と聞いたね」


「え、ええ」


 なんでこんな時に、という困惑で珍しく無表情が崩れるシャロン。


「昨晩言った通り、私は人間の記憶は持っていても人間じゃない。その意味では魔法人形マジックドールさ。でも世間一般で言う魔法人形マジックドールかと言われると、そうでもない。私はコウの命令に絶対的に従うように設定なんてされてないからね」


 ソフィアはそっと両手で自分の胸を押さえた。


 まるで自らの魂を抱きしめるように。


「私は私の意思であいつの傍にいるんだ。あいつの傍にいたいんだ。だから私は人間のソフィアでもないけど魔法人形マジックドールのソフィアでもない。今はただのソフィアさ。コウのことを想うソフィア、それが私さ」


 そう言ってソフィアは、儚げに笑う。


「あんたも『どうあるべきか』よりも『どうありたいか』を考えたらどうだい ? 後悔しないようにね。あとから悔やんで無理にやり直そうとするといびつなことになるよ。人間ソフィアの代わりとして作られた私やあいつらみたいにね」


 ソフィアはそっと形よく作られた鼻に手を当てた。


 その仕草にシャロンの身体は硬直する。


(……ソフィアの嗅覚は人間よりはるかに優れているのを忘れてた…… ! いくら汗をかかないようにしてても、彼女にはずっと前にバレていたのかもしれない。私が……純粋な人間じゃないってことが……)


 ピカピカの装備で飾られた腐乱死体達は、どう見ても誰かの想いが込められていた。


 それは冒険半ばで散った仲間達の続きを夢見たミーノの哀しい想いだ。


 そして悪魔との契約によって死者を蘇らせる力を得た彼は、冒険の続きを仲間の命が一度途絶えたポイズンドラゴンの駆除からやり直すことにした。


 加えて、彼らの生前の願いも叶えるために。


 ギドは一流の冒険者として認められること。


 そのために領主の娘であるルチアナを救う茶番を演じてみせた。


 ヴァスコは女性にモテること。


 そのために女性冒険者の死体を操作した。


 ヴァレリアはギドに想いを伝えぬままに死んだことを後悔していた。


 そのために二人きりになれる状況を作った。


 ジャスミンは最後にイラリアを守りきれなかったことを後悔していた。


 そのために彼女を守れる状況を作った。


 イラリアは最後にパンケーキをもう一度食べたがった。


 そのために、これは最初墓前に供えるためだったが最高のパンケーキの作り方を習得して、作ってやることができた。


 ミーノの後悔が脚本を描いた、腐乱死体を使った彼自身のための哀しい人形劇だった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る