第118話 無意味な心理戦


 ただでさえ日の光の何割かは遮られてしまう密林の中、落ち始めた太陽がその光の供給を制限し始めたせいで、より周囲は暗くなっていく。


 二人の少女が道とも言えぬ道を走っていた。


「イラリア、大丈夫 ? 」


 長身の「武道家」とおぼしき少女がやや遅れて走る小柄な少女に振り返った。


「だ、大丈夫 ! まだまだ走れるから…… ! 」


 そうこたえても、あまり良いとは言えない顔色の「魔法使い」の少女を気遣ってか、ジャスミンは徐々に速度をゆるめる。


「……ジャスミン…… ! 休まなくていいから……早く……逃げないと…… !? 」


 イラリアの必死の抗議を、ジャスミンは彼女の身体をそっと抱きしめることで封じ込める。


「落ち着いて……。私があなたを守ってあげるから。どんな怪物からも。どんな時でも」。


 そうイラリアを安心させようとする彼女の顔も、また生気のないものではあったが、それでもイラリアに幾分、落ち着きをとりもどさせることには成功したようだ。


「……そうだね。ごめん……。取り乱しちゃって……」


 イラリアは俯き、自然とその頭はジャスミンのそれほど豊かではないが、まったく包容力がないわけでもない胸に抱かれた。


「しょうがないよ。あんな見たこともないモンスターに突然襲われたんだ」


「……みんなは無事かな ? ミーノが『西にある爬虫類人リザードマンの廃村まで走れ』って珍しく大きな声で叫んだから咄嗟にそれに従ったけど……」


 少しだけ落ち着き、自分達以外の仲間の安否に心を向ける余裕がようやくできたイラリアは消え入りそうな声で呟く。


「きっと大丈夫 ! はぐれちゃったけどヴァレリアなんて、ここぞとばかりに二人きりでギドとの距離を縮めてるかもよ ! 」


 明るい声でジャスミンが言った。


「ふふ……そうかもね。ギドは鈍感だから。ヴァレリアも大変ね。早く言っちゃえばいいのに……」


 そう言ってジャスミンを見上げた、どことなく猫を思わせる悪戯っぽい瞳が彼女をドキリとさせる。


「……でも実際に付き合ったら色々苦労しそう。ああ見えてヴァレリアは嫉妬深いから……。ギドに『一人で行くのは怖いから一緒に夜のお店に行ってくれ』って頼み込んでたヴァスコに向かって火魔法を撃って宿で小火ぼやを起こしたこともあったし……」


「そうね。さっきもルチアナ様にまで……まだ小さな女の子なのにね ! 」


 仲間の微笑ましい姿を思い出し、二人は笑い合う。


 ようやく笑顔になった彼女達を沈みかけの赤黒い夕陽が何かの終わりを告げるように照らしていた。



────



「……戻ってこないパーティーの中には随分若い子達がいるじゃないの ! 救助に行かないと ! 」


 屋敷の豪奢ごうしゃな室内としか思えない魔法具の天蓋の中、鈴のような美しい声が響いた。


 今日一日の報告を聞いたルチアナが思わず発した声だ。


「……残念ですが、経験の浅い者達がモンスターに返り討ちにあうのは、ままあることです」


 熱量を感じさせない声で応じたのは、領主様の娘様への報告をダニーロから押し付けられたシャロンだった。


 警備兵であれば、未熟な者に配慮した差配もできるが冒険者はそうはいかない。


 彼らは警備兵に比べて、自由な分、その行動の結果も自己責任となるのだ。


「何を言っているの ! お父様が『若い領民は宝だ』と、おっしゃっているのを知らないの ! 何なら私が自ら行きます ! 」


 青く正義感に満ち満ちた声が天蓋の中を駆け巡る。


 日の落ちた今、密林に分け入る危険度は昼間のそれをはるかに上回るのを、ベッドの上の本の中、そして全てがお膳立てされたクエスト以外に冒険の経験のないルチアナは知らない。


「……ルチアナ様、この闇夜では捜索もはかどりません。日が昇ってからにいたしましょう。彼らも冒険者の端くれ、一晩くらいは持ちこたえるでしょう」


 サンドロが伊達眼鏡をいじりながら、やんわりとルチアナを抑える。


(ルチアナ様が行くとなると、当然自分達も付いて行かなきゃ……。夜のジャングルに行くなんて冗談じゃないっす ! )


「ルチアナがそう言うなら、ボクは行ってもいいよ♪ 夜のジャングルには面白い化け物が出るかもしれないしね♪」


 ペロリと手斧をなめるフィリッポ。


「フィリッポ……さすが『戦闘狂』ね ! 」


 ルチアナは期待通りの応答をするフィリッポを嬉しそうに見つめる。


(……フィリッポさん、何を言ってるんすか !? いくらルチアナ様に気に入られたいとはいっても……)


(ククク……どうせロレットとレオも夜のジャングルを探索するのは反対するはずだ。それが常識的な判断だ。ならば俺だけがルチアナ様のご意見に賛同して気に入られつつ、夜の探索自体は見送られる……完璧な作戦だな)


「……」


(クソ ! ここで俺も対抗して、捜索に賛意を示せば本当に行くことになりかねない…… ! それはマズイ。ここはルチアナ様の不興を買ってでも……)


 ポーカーフェイスの裏で、歯ぎしりするロレット。


 そんなどうしょうもなくどうでもいい心理戦は、レオの参戦で急展開を迎える。


「……確かに夜の探索はルチアナ様にも危険が及ぶかもしれないからやめた方がいいと思う……」


 レオはルチアナに向き直り、伏し目がちに言う。


(いいっすよ ! レオ君 ! その調子っス ! )


「……だけどまだ駆け出しの冒険者を見捨てるなんて胸糞の悪いこともできないね」


(ん…… ? )


「だからフィリッポとサンドロとロレットの三人が救助に行けばいい。対人戦がメインの『暗殺者』の僕はルチアナ様の警護として残るから……」


(な、なにを言い出すんすか !? レオ君 !? )


(マ、マズイ ! ああ言った手前、俺は捜索を拒否することができん ! )


(このクソガキ ! 昼間のモンスター相手の戦闘ではいいところをせられなかったからって…… ! )



「それは良い案ね ! ロレット、サンドロ、フィリッポ ! 今すぐ救助に向かって ! 」


 可憐な顔がほころんだ。


 領主の娘であり、職業「貴族」を持つ彼女の言葉に、この場にいる誰も逆らうことはできない。


 その序列は女神が定めたものであり、彼女に逆らうことは女神に逆らうことになるからだ。


「……仰せのままに」

(死ねクソガキ)


「ククク……楽しんでくるよ♪」

(死ねクソガキ)


「……」

(死ねクソガキ)



「三人なら滅多なことはないと思うけど、気を付けてね。ルチアナ様に不埒な真似を働こうとする輩がいたら僕がぶっ殺しておくから、そこは安心していいよ」


(ヒヒヒ……どうせ「死ねクソガキ」とか思ってんだろ ? 甘いんだよ、お前らは。俺はお前らとは覚悟が違う。ルチアナ様に気に入られ、婿になれば……そうすれば……)


 ルチアナからは顔の見えない位置で、レオはわらった。


 それは昼間に見せた作った笑顔ではなく、本当に嬉しそうな笑顔だった。


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