第二部 第三章 憐れな魔法人形ども

第113話 魔法人形は主のために心を殺す



 恐ろしく分厚い鋼鉄製の扉が、その威容に反して信じられないほど軽く横にスライドし、中へと客を迎え入れた。


 学校の教室くらいの広さの工房には新たにカウンターテーブルが備え付けられ、前の持ち主とは違い、客を相手にしようという心構えが見える。


「……いらっしゃい」


 しかしながらそのカウンターテーブルの向こう、赤い革張りのソファーに深く腰を掛けた黒いドレスの女は煙とともに気だるげな来店者へのおざなりの挨拶を吐き出して、入口の方を向いた。


「……なんだ。あんたかい。ジョンならいないよ。何か依頼があるなら注文だけは受け付けてあげるけど」


 鈍色にびいろの細長い煙管きせるをくるくると回しながら、ソフィアはゆっくりと立ち上がり、カウンターテーブルへと向かう。


 日本であれば SNS 上で大炎上しかねない接客態度も異世界、しかも半分趣味で開いている工房では許されるようだ。


「……本人が不在でも品物があれば構いません。今日までの納品のアイテムを出してください」


 ピンク色の短い髪の女が固い口調で言った。


「納品 ? 何の話だい ? 警備隊からもあんたからも何の注文も受けてないよ」


 ソフィアが首をかしげるとショートボブの黒髪がさらりと揺れる。


 不気味の谷、という言葉がある。


 人間はロボットが人間に似始めると好意的に感じる。


 その好感度は人間に似ている度合いと比例して上がっていくが、あるポイントに達すると急に好感度が下がる現象が起こる。


 そしてそれを超えてさらに人間に近づくと、また好感度は上がっていく。


 その好感度グラフの下がる場所を不気味の谷と言うのだ。


 つまりは人間に似ているけど微妙に違う容姿に対して人間は嫌悪感を抱くようにできているのである。


 余談だが、これをかつて人間に擬態して襲ってくる生物がいて、それに対する恐れが遺伝子に残っているからだ、と唱える学者もいる。


 そんな不気味の谷を軽々と超えて、完全に人間にしか見えない魔法人形マジックドールのソフィアをシャロンはまじまじと見つめ、それから思い出したように話を続ける。


「……そんなはずはありません。錬金術師ギルドを通してこの島で活動する全ての『錬金術師』に依頼が出されています。年に一度のポイズンドラゴンの駆除に際し、『解毒薬』を30個と『回復薬』を10個、もしくは新機軸となりうる戦闘用アイテムを提出することが通達されているはずです」


 何度も繰り返したことのあるセリフなのか、抑揚のない声だ。


「錬金術師ギルド ? ああ、そう言えば先週のジョンの留守中に入会するように言ってきた奴らがいたね。入会金が 100 万ゴールドとかふざけたことを抜かすから新手の詐欺かと思って叩き出してやったけど」


 オークションで大儲けしたらしいと噂の対象であるジョンから、少々・・高額な入会金を受け取ろうと画策した錬金術師ギルド職員は、地球で言うロボット三原則などもちろん組み込まれていない超危険な魔法人形マジックドールのソフィアと対峙したのだ。


 ちなみロボット三原則とはアメリカの SF 作家のアイザック・アシモフが SF 小説の中で1950年に示した、ロボットが従うべき原則で以下の通り。


①ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。


②ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、与えられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。


③ロボットは、第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己を守らなければならない。


 さて、規定の入会金とジョンに課された入会金との差額によって利益を生み出す別の意味の錬金術を行使しようとした錬金術ギルドの思惑は、上の第一条と第二条を守るどころか、知りもしないソフィアによって必要以上に打ち砕かれ、その結果ギルド職員のトラウマと今現在のギルドからの通達が届いていないというトラブルを生み出したのである。


「困りましたね。ポイズンドラゴンの駆除において定められたアイテムを提供するのはこの島で活動する『錬金術師』の義務です。それに従わなければ、罰則があるのですが……」


 さほど困った風でもなく、能面のように無表情な人間の女は言った。


「……仕方ないね。ジョンは留守だし、『回復薬』も『解毒薬』も在庫がないし……」


 ソフィアは眉間に皺を寄せて、大きく煙を吐き、軽く頭をかいた。


「罰を受けるということですか。その場合は『錬金術師』ジョンに罰金 200 万ゴールドが課され……」


「早とちりするんじゃないよ。アイテムはちゃんと提供する。レンタルだけどね」


「……何か戦闘用のアイテムでもあるんですか ? 」


 シャロンは、がらんとした工房を訝しげに見渡す。


「ああ、あんたの目の前にね」


 そう言って、ソフィアは化粧したての真っ赤な唇の端を吊り上げた。



────


 翌日。


 森、というよりはジャングルと表現した方がしっくりとくる領域と人間の領地との境目に大人数が集結していた。


 朝日が各々の武具や防具をぎらつかせて、せっかくの爽やかな空気を剣呑けんのんなものへと変換していく。


 ガチャガチャと重そうな鎧に全身を包んだ大柄な男が、極彩色のシャツを着た男の背後を通った時に事件は起こった。


「ぐわぁぁああああ ! 」


 金属製の鎧の腹をいとも簡単に切り裂かれ、そこから血を流しながら転げまわる大柄な男。


「な、なんだ !? 」


「喧嘩か ? 」


「早く治療してやれよ ! 」


 何人かの善意溢れる者が出血する男に近づこうとするものの、2 メートル近い大男が恥ずかしげもなく地面を転げまわっているのだから、おいそれと近づけない。


 そんな中、一人の女がそんな駄々っ子のような振舞いの男に躊躇いもなく近づいて、思い切り踏みつけた。


「ガッ !? 」


 ちょうど仰向けになった男の胸を黒い革のブーツが踏み押さえている状態。


「情けない声を出して転げまわるんじゃないよ ! 男だろ ! 」


 そしてその脚の持ち主は薬瓶の中味をいまだに血が溢れ出る鎧の裂けめへと注ぐ。


 すると赤い血は青い回復薬に流され、やがてその下に傷の塞がった肌が見えた。


 それを確認した女は空の瓶を放り投げ、男の胸からゆっくりと脚を下ろして、この凶行に及んだ男へと向き直る。


「おいあんた ! 何考えてんだい !? 」


 これから駆除する対象であるポイズンドラゴンの極彩色の革のシャツだけを纏い、下半身は布製のズボンを履き、傍らに巨大な斧を逆さに立て起き、手斧を右手で玩ぶ銀髪で長髪の男が面白そうに、怒鳴るソフィアを見据えた。


「ククク……。ボクの間合いに入る方が悪いのさ。ボクは間合いに入ってきたものをなんであれ無意識に攻撃しちゃうからね ♪ 」


 まだ新しい血の滴る手斧の刃を舐めながら、むいた目で男は言った。


「はあ ? 」


 ソフィアは不機嫌そうな顔で男を睨んで、すぐに意地悪そうな笑顔になる。


「そうかい、そうかい。じゃあ今から私があんたの間合いに入ったら、こいつと同じ目に合わせてくれるってわけだね。面白いじゃないか」


 傷は回復しても、ショックからか気絶したままの男を一瞥して、ソフィアは挑発的に言う。


「ハハッ ! どうぞご自由に ! 」


 いつの間にか、二人を中心に出来上がった円形の人垣の中、ソフィアはゆっくりと緊張することもなく「狂戦士」へと歩を進めた。




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