第三章 街道

第39話 被害報告



 この大陸の中央の広大な平野。


 その肥沃ひよくな大地のほとんどは人間族の領土であった。


 王国の東南に位置する領地のさらに東南の街で、昨日大軍アリマサントを用いたテロが発生した。


 冒険者百二十七名、警備兵四百九十名、僧侶十名の尊い犠牲により大軍アリマサントの街への侵入は防がれた。


 しかしながら街の住民は避難誘導がなかったため、パニック状態となる。


 そのため至る所で火事場泥棒を始めとする犯罪が起こり、死傷者の数は把握しきれない。


 特に金額の大きい被害は飼われていた妖精が計十二匹、盗まれたことと、エルフの娼奴しょうどが一体、行方不明になったことだ。


 それに関連して街一番の大商会であるゴーサン商会の会長が犠牲になっている。


 おそらく会長お気に入りの光妖精ウィスプとお楽しみの最中、賊が侵入し、抵抗したため殺されたと思われる。


 死体の検分から、殺害方法は光魔法であり、犯人は光魔法を行使できる「魔法使い」と推定。


 街に警備兵が補充され次第、捜査を開始する。


 そして冒険者と警備兵の指揮をとっていた領主代官のクレメント・アルクインは強力な麻痺毒による症状から今も回復していない。


 最後に、信憑性は薄いが大軍アリマサントを全滅させ、現れた巨大アリギガントを駆除するのに土妖精ノームと魔法を使う巨人族が加担したという話がある。


 以上の報告を聞いて、この地方のまだ若い領主であるオスロ・アルクイン伯は満足そうに笑った。


「とりあえず御令弟ごれいてい様と腹違いの御令妹ごれいまい様がご無事でなによりです。それにこれだけの被害で大軍アリマサントを撃退できたのですから、我が領地の警備兵は勇猛果敢であったということですな」。


 おもねるような声が秘書官の一人から上がる。


 そのとおり、とそれに追従口ついしょうぐちが続き、豪奢な執務室で現場を知らない者達の和やかな空気が流れ始める。


 それをメイドの一人は苦々しい思いを微塵も出さずに見つめていた。


(死んだ人間は確かに数字でみれば少なくて、それはめでたいことなのでしょうよ。でも家族がその少ない数字の内に入った者にとっては関係ない。その数字が一万であろうが、一であろうが、家族が死んでしまったことに変わりはないのだから)。


 そして彼女は、祝杯のワインを掲げる肥え太った領主と似ていない彼の腹違いの妹のことを思い出す。


 「貴族」の職業を持たずに産まれてきたため、過去にメイドとして父である前領主の元で働いていた少女のことを。



 街。城壁内。領主代官の館。


 大きいけれど、質素なベッドにこの館の主であるクレメント・アルクインは寝かされていた。


 その短髪で精悍な容姿も、今はくたびれてしまっている。


 そして床に膝をつき、ベッドに上半身を投げ出して、もたれかかるように眠る少女。


 白みがかったプラチナブロンドの髪がベッドの上に広がっている。


 昨日の革の鎧を身に着けたまま。


 ふいにその白金の広がりが小さくなる。


 彼女が頭を上げたのだ。


 そしてキョロキョロと不審げに周囲を見渡すが、やがて視線をある物に定めて、立ち上がる。


 それは彼女の腹違いの兄の剣。


 勇者御用達の鍛冶屋謹製で華美な装飾はないが、質実な造りの逸品だ。


 彼女は専用の剣置きに飾られるように置かれたそれを手に取り、なにやらブツブツと話しかける。


 そして一度大きくうなずくと、ベッドの脇に立ち、スラリと剣を抜き放つ。


 ギィ、とドアが開いて入ってきたメイドは、ぎょっとした顔。


「ネ、ネリー !! 一体何を…… !? 」。


 その至極当然な問いに答えることなく、彼女は抜き身の剣をベッドのクレメントの上に掲げた。


 すると土色に近い顔色が幾分、やわらいで血色が戻ってくる。


 そして小さく早い呼吸音も大きくゆったりとしたものに変わっていく。


「……これで兄さ……領主代官様は大丈夫……。あとはお願い……」。


「え !? ええ !! あなたどこへ行くの !? 」。


 その問いにも答えず、ネリーは走り出す。


「……シャワーを浴びる時間は……わかったわよ ! せめて準備を……道すがら買うっていっても……昨日のことがあるし……」。


 まるで誰かと会話をしているように彼女は一人で呟きながら急いで自室に向かう。


 彼女が何よりも大事な兄の命の代価を支払うために。



 王国南東部。


 街道。



 それほど広くはない街道だが、地面に馬車の轍が出来ていることから、物資の運搬が行われている道ではあるようだ。


 そんな道をコウ達一行は歩いていた。


「昨日のテント、すごかったね ! テントなのにあんなフカフカのベッドだなんて ! 」。


 土妖精ノームの少女が隣を歩く、同じく土妖精ノームの少女に話しかけた。



「……でもアゼル達と同じ部屋だったから襲われるんじゃないかと思って落ち着けなかったわ ! 『御使みつかい』様にお願いして部屋を増やしてもらわないと ! 」。


 話かけられた少女は揶揄からかうようにすぐ前を歩く二人の土妖精ノームの少年達に言った。



「何言ってんだよ。お前みたいに枕投げで興奮しすぎて叱られた子どもにそんなことするもんか ! 」。


 すぐに前の少年の一人が振り向いて抗議の声をあげた。


「へえ、じゃあ大人には襲い掛かるってことね。チェリーねえさんとセレステに注意しとかなきゃ ! 」。


「何言ってるんだ ! 」。


 顔を真っ赤にして大きな声をあげるアゼル。


 そんなお揃いの茶色い外套がいとうを来た少年少女のやりとりを最後尾を歩く大柄な女性は微笑みながら見つめていた。


 身長は三メートルほど。


 その肩に担いだハルバードが小さく見える。


「……ハイキング気分ね」。


 隊列の中ほどにいる水色の髪の水妖精ウンディーネが呆れたように空中からエルフの少女に言った。


「いいじゃないの。スー。私も森を歩けて嬉しいもの ! 」。


 薄緑色のマントの上から矢筒を掛けて、手には弓を持っている。


 金色の髪と、長い耳、そして鳶色の瞳の美しい少女だ。


 和やかな隊列だった。


 先頭を飛ぶ風妖精シルフのラナと、その後ろを歩くコウ以外は。


「……ああ『御使い』様 ! わたくし達の道を阻むどのような障害が現れようとも、必ずわたくしが討ち果たしてみせますから ! 」。


 その元凶はどこか陶酔したように光をまき散らしながら、コウの周りを飛びまわる。


 他の妖精達とお揃いの小さな白銀の鎧を纏っていても、溢れんばかりに輝く美しさは別格だった。


 身長はニ十センチほど。


 光を放つ金色の髪と黄金の瞳。


 透き通るような白磁の肌。


 妖精族の王種、光妖精ウィスプのゾネだ。


「ゾネ、戦いに備えて力を蓄えておくのも戦士の務めですよ。あなたもフードの中で休んでいなさい」。


 四月の女神謹製のコウの外套がいとうのフードは空間を操作して小さな妖精達のための部屋となっている。


 そこには現在、十一体の妖精が待機中だ。


 肉体の損傷は全て回復済み。


 しかしペットとして人間に飼われていた彼女達には時間をかけて回復するしかないものもあるのだ。


「……『御使い』様。ひょっとしてわたくしとお話するのが嫌なのですか ? 」。


 輝く金色の瞳から、光が消えた。


「そんなことはありませんよ。私はただただあなたのことが大切なのです」。


 内心の動揺を悟られないように、にっこりと微笑むコウ。


 いまや彼の中の「機嫌を損ねてはいけないランキング」でチェリーを押さえて堂々の一位の座を獲得している彼女。


 妖精族の王種であるため、彼女の支持があれば人間の彼が四月の女神の「御使い」として活動しやすいから。


 彼女が一番、酷いショックを受けて、心が危ういから。


 そして彼女を救って「恩寵おんちょう」を授けた時、力を得た彼女がまずしたのは、飼い主の老人を何のためらいもなく殺したことだったから。


「……本当ですか ? ラナ達と話す時とわたくしと話す時は口調も違いますし……」。


「……それはあの者達が乱暴な言葉遣いで話しかけられることを喜ぶ粗雑そざつな者達だからです。もしあなたが望むなら、そのような口調を心がけますが……」。


 男に嫌悪感を持っていそうな妖精にはなるべくそれを感じさせないように話していたのが裏目にでたようだ。


 誰が粗雑な者だ、とラナが振り向いて目で抗議した。


「……わたくしにも自然に話してください。それから本当にわたくしのことを大切に思っているなら……。してくださいますわよね ? 『ポエム交換』を」。


 お前のその口調こそ自然なのか、という思いを抱きつつ、コウはこたえる。


「ポエム交換 ? 」。


「妖精の王族種である光妖精ウィスプは大切な相手とにポエムを贈り合う決まりですの」。



「わかった。いつでもいいよ」。


 平安貴族かよ ! という心中のツッコミをおくびにも出さないコウの返事を聞いて、ようやく光妖精ウィスプの瞳に光が戻った。


 自らの身体に一滴くらいは流れているかもしれない日本の平安歌人の血が覚醒することを祈りつつ、コウは恐らく互いの恥ずかしい部分を見せあうことでつながりを深めるのであろう「ポエム交換」に挑むこととなった。


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